与板橋

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国道403号標識
与板橋
Yoita-Bridge-01.JPG
基本情報
日本
所在地 新潟県長岡市
交差物件 信濃川
建設 - 1910年(初代)
- 1965年(現在供用中)
座標 北緯37度33分11.7秒
東経138度49分18.5秒
座標: 北緯37度33分11.7秒 東経138度49分18.5秒
構造諸元
形式 トラス橋桁橋
全長 885.6m
6.0m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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与板橋(よいたばし)は、新潟県長岡市信濃川に架かる国道403号道路橋梁

概要[編集]

右岸側の長岡市並木新田(旧中之島町)と、左岸側の同市与板町与板(旧与板町)との間に架かる、橋長885.6m、幅員6.0mを有する8連下路曲弦ワーレントラス橋および桁橋。車線は片側1車線の計2車線で、上流側に自転車歩行者道橋を併設する。

8連のトラスの径間は60mで、塗色は東詰側と西詰側の両端各1連が薄ピンク色、中間部6連が薄青色という、非常に特徴的な外観色を持つ。また取付部の橋梁として、右岸側には猿橋川に架かる並木橋(橋長34.8m)が、左岸側には黒川に架かる本与板橋(橋長46.56m)がそれぞれ架橋されている。

歴史[編集]

絵葉書『明治四十三年一月與板橋竣工記念』

古くから南蒲原郡三島郡の間は頻繁に物資の輸送や人馬の往来が行われており、長大な流域を誇る信濃川に橋を架けることは住民にとっての悲願であった。そして1910年明治43年)2月、初代橋梁が架橋された。しかし木橋であったため、翌1911年(明治44年)8月の水害で流失するなど、度重なる自然災害による被害が後を絶たず、火災が発生したこともあった。1950年代初頭は自動車の通行量は少なかったが、当時を知る者は「渡るたびに、橋がミシミシと音を立てた」と証言している。また、冬期間は降雪の影響により通行止めとなり、渡船を利用せざるを得ない状況であった。当時の与板橋はまだ国道には指定されておらず、当時の中之島村と与板町とを連絡する県道与板大口線の区間となっていた。

南蒲原郡中之島村と三島郡与板町1957年(昭和32年)2月25日に「与板橋永久橋化促進期成同盟会」を発足させ、新潟県や当時の建設省に対し陳情を行った結果、翌1958年(昭和33年)、県は与板橋の架け替えに着工した。設計に関しては自動車交通に対応するため、6mの幅員が確保されることになった。

しかし施工中の1964年(昭和39年)6月16日に発生した新潟地震で、与板橋は橋梁本体が湾曲するなど甚大な被害を受けたため全面通行止となり、その後撤去された。

現橋梁は1965年(昭和40年)4月24日に開通。総事業費は当時の額面で4億9800万円であった。

沿革[編集]

参考文献・資料[編集]