中央大学法学部

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中央大学法学部(ちゅうおうだいがくほうがくぶ)は、英吉利法律学校を源流とする中央大学の看板学部である[1]

概要[編集]

  • 中央大学法学部は、英吉利法律学校を源流とし、134年の歴史を持つ。3学科(法律学科、政治学科、国際企業関係法学科)を有し、在籍学生数は、6172名(2016年4月現在)。
  • 法曹教育に定評があり、弁護士検察官など法曹を多く輩出している。旧司法試験においては、1949年から2010年までの間で5,484人の合格者を輩出した。大学別では、この合格者数は東京大学の6,537人に次いで2位に位置する。また、1951年から1970年にかけて20年の間、大学別合格者数で1位を保っていた[2][3]。その他政界、官界、財界、ジャーナリズム界などにも幅広い人脈を擁する。

沿革[編集]

  • 1885年 神田錦町に英吉利法律学校を設立。初代校長増島六一郎[4]
  • 1886年 私立法律学校特別監督条規により、英吉利法律学校など五大法律学校が帝国大学特別監督下に入る。
  • 1888年 五大法律学校連合大討論会に参加[5]
  • 1889年 『法理精華』創刊(翌年発行禁止)。東京法学院と改称。
  • 1891年 『法学新報』創刊。
  • 1892年 第3回帝国議会で民法・商法施行延期法案可決。
  • 1893年 司法省から判事検事登用試験の指定校となる。
  • 1896年 高等法学科開設。
  • 1903年 東京法学院大学と改称。本科・予科・専門科・研究科を設置。初代学長菊池武夫[4]
  • 1909年 法学科、経済学科、商業学科を設置[4]
  • 1905年 中央大学と改称。
  • 1910年 新聞研究科を開設[6]
  • 1913年 本科を大学部、専門科を専門部、法律学科を法科と改称。
  • 1920年 中央大学法学部が成立[4]
  • 1926年 駿河台南甲賀町(現在の神田駿河台3丁目)に移転[4]
  • 1931年 夜間学部を開設[4]
  • 1948年 通信教育部(法)を開設[4]
  • 1949年 新制法学部(一部・二部)開設。
  • 1953年 旧制最後・新制最初の卒業式を挙行。
  • 1978年 中央大学多摩キャンパスに移転[4]
  • 1980年 駿河台キャンパス閉鎖。
  • 2004年 中央大学市ヶ谷キャンパスに中央大学大学院法務研究科を開設[4]
  • 2007年 法学部二部廃止。
  • 2018年 2023年から2024年にかけて全学年の都心キャンパス(後楽園キャンパス及び茗荷谷新校地)への移転を決定。

学科[編集]

  • 法律学科[7]
    1年次から少数制のゼミが設けられており、2年次からは法曹、公共法務、企業の3コースのいずれかに所属する
    • 入学定員882名[8]
  • 国際企業関係法学科[7]
    企業活動の国際化に伴う問題を解決するため国内外の法律や経済などを学ぶ
    • 入学定員168名[8]
  • 政治学科[7]
    政治学、法学、経済学をバランス良く学び、2年次からは公共政策、地域創造、国際政治、メディア政治の4コースに分かれて専門的に学ぶ
    • 入学定員389名[8]

著名な出身者[編集]

大学概要2018-2019<第1版>”. 2018年7月12日閲覧。の情報に基づく。

法曹[編集]

司法

検察

弁護士

法学者

政界[編集]

官界[編集]

財界[編集]

学術界(法学者を除く)[編集]

スポーツ[編集]

文化(作家、タレント、マスメディア)・その他[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

出典[編集]

  1. ^ 酒井正三郎総長 「中央大学の「看板」 法学部が移転する3つの理由」 2017.11.24 07:00AERA#教育
  2. ^ 法務省広報
  3. ^ 法務省:旧司法試験の結果について
  4. ^ a b c d e f g h i 「中央大学のあゆみ」 中央大学
  5. ^ 同討論会は1890年7月まで13回開催された(専修大学出版局 『専修大学百年史』 上巻、1981年、607-621頁)。
  6. ^ 同科は7人の卒業生を出しただけで間もなく閉鎖された(『タイムトラベル中大125:1885→2010』 56-57頁)。
  7. ^ a b c 学科紹介 中央大学
  8. ^ a b c 学部在籍学生数 中央大学