中岡黙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中岡 黙(なかおか もく、1847年6月25日弘化4年5月13日) - 1925年大正14年)12月8日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴[編集]

岡山藩士・中岡栄左衛門の四男として生まれる。明治5年(1872年)5月、陸軍教導団に入る。1874年(明治7年)10月、少尉試補に任官し、翌月、東京鎮台付となる。1875年(明治8年)1月、陸軍少尉に昇進し東京鎮台幕僚参謀に就任。1876年(明治9年)7月、熊本鎮台幕僚参謀に転じ、同年10月の神風連の乱で戦傷を受けた。1877年(明治10年)2月、西南戦争に出征。同年12月、陸軍卿官房に配属。

1878年(明治11年)12月、中部監軍部幕僚参謀に就任し、陸軍士官学校生徒隊付、参謀本部第2局員、同第1局員、監軍部参謀、同副官を歴任。1889年(明治22年)11月、陸軍少佐に昇進。

1892年(明治25年)11月、監軍部参謀に就任し、歩兵第10連隊大隊長、対馬警備隊司令官を歴任。1894年(明治27年)11月、陸軍中佐に進級。1896年(明治29年)5月、東京防禦総督部副官に転じ、歩兵第44連隊長に移り、1897年(明治30年)10月、陸軍大佐に昇進した。

1898年(明治31年)2月、陸軍省人事課長に就任し、1900年(明治33年)5月、人事局長に移り、同年7月、陸軍少将に進んだ。1905年(明治38年)9月5日、後備役に編入[1]

1925年12月8日卒去行年77歳。墓所は青山霊園1-ロ8-28。

栄典[編集]

位階
勲章等

親族[編集]

伝記[編集]

  • 長谷井千代松編『中岡少将小伝』非売品、1927年。

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第6659号、明治38年9月8日。
  2. ^ 『官報』第6662号「叙任及辞令」1905年9月12日。
  3. ^ 『官報』第534号「賞勲叙任」1885年4月16日。
  4. ^ 『官報』第1938号「叙任及辞令」1889年12月12日。
  5. ^ 『官報』第2974号「叙任及辞令」1893年5月31日。
  6. ^ 『官報』第5548号「叙任及辞令」1901年12月28日。
  7. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年1月28日。

参考文献[編集]

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。