中川和之

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中川和之
Kazuyuki Nakagawa
Nakagawa kazuyuki 20140104.jpg
引退
ポジション(現役時) ポイントガード
身長(現役時) 181cm (5 ft 11 in)
体重(現役時) 81kg (179 lb)
血液型 A型
足のサイズ 28cm
基本情報
本名 中川和之
愛称 "KAZ"
ラテン文字 Kazuyuki Nakagawa
日本語 中川和之
誕生日 (1982-06-06) 1982年6月6日(38歳)
日本の旗 日本
出身地 山口県下関市
ドラフト 2007年 2位 
選手経歴
2004-2005
2005-2006
2006
2007
2007
2008
2009
2009-2013
2013-2016
2016-
ロングビーチ・ジャム
ハーレム・ストロングドッグス
ブルックリン・キングス
高松ファイブアローズ
ブルックリン・キングス
ライジング福岡
高松ファイブアローズ
三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ
つくばロボッツ
アースフレンズ東京Z

中川和之なかがわ かずゆき1982年6月6日 - )は、山口県下関市出身のプロバスケットボール選手。ポジションはポイントガード。身長181cm、体重81kg。バスケットボール選手中川直之の双子の弟である。現在、学校法人創志学園で岡山県岡山市にあるIPU・環太平洋大学女子バスケットボール部監督を務める。

来歴[編集]

生誕 - 中学校[編集]

山口県下関市に3人兄弟の末っ子として生まれる。小学校3年生9歳の時に長男の友人の誘いから双子の兄、中川直之と共にバスケットを始める。小学校時代は、直之と共にバスケットに明け暮れた毎日を送る。中学校は、双子の兄、直之と共に下関市立東部中学校に入学。中学2年生時に都道府県対抗バスケットボール大会に出場しベスト8。翌年の中学校3年生時にも同大会に出場しベスト8まで勝ち上がり、優秀選手賞を受賞。この年全国中学校バスケットボール大会にも出場して準優勝し、優秀選手賞に選出。全国に「中川兄弟」の名前を知らしめる。

高校[編集]

豊浦高校に兄と共に入学。1年生時から兄と共に試合に出場し、その群を抜いたドリブルとボールハンドリング、1対1やパスで、周りの人々の目を奪った。1年生時のインターハイでベスト16に入ると、その後の国体メンバーにも選出され、ウィンターカップにも出場。2年生時にはNIKE BASKETBALL CAMPにおいて日本人で唯一ベスト5に選出された。3年生時の同CAMPでは兄弟揃ってベスト5に選出されている。高校時代は全国大会ベスト8の壁を破れず。

大学[編集]

大学も兄と共に専修大学に進学。ここで才能が開花し、2年生時に関東大学新人戦で初優勝し最優秀選手賞を受賞。この年のインターカレッジでは青木康平らと共に初優勝を果たし優秀選手賞を受賞。専修大学男子バスケットボール部を創部57年目にして悲願の大学チャンピオンへ導いた。3年生時には関東大学リーグ戦で初優勝。4年生時は学生日本代表のキャプテンを務めた。この年のインターカレッジでは決勝で慶應義塾大学に敗れたものの敢闘賞を受賞。その翌日に渡米する。

渡米[編集]

インカレ決勝翌日に渡米した2004年は、独立リーグABAのロングビーチ・ジャムに入団。日本バスケ史上初の在学中のプロ選手となった。このシーズン途中にNBAフェニックス・サンズに所属していた田臥勇太も加わりチームメイトになった。2005年、日本代表メンバーに選出されジョーンズカップに出場。同年、トルコで開催されたユニバーシアード競技大会に出場し16位に終わった。その後、ニューヨークに本拠地を置くABAハーレム・ストロングドッグスに所属し、日本人史上初となるABAオールスター選手に選出されるなど活躍した。シーズン終了後、トライアウトから春季リーグUSBLのブルックリン・キングスと契約。ブルックリンでのホーム初戦で20得点をあげる活躍をして会場を沸かせた。2006年10月、NBADLアイダホ・スタンピードのトライアウトを受けた当時は英語が話せず、語学力を理由に不合格にされる。

bjリーグ[編集]

2007年bjリーグ高松ファイブアローズアーリーチャレンジ制度で入団。ファイナルに進出し準優勝する。シーズン後のドラフトでは福岡から参入するライジング福岡よりドラフト1巡目指名を受ける。高松ファイブアローズでのシーズン終了後に再渡米し迎えたブルックリン・キングスでの2シーズン目はスターティングポイントガードとして活躍。チームをファイナル進出に導き準優勝する。リーグ終了後、ライジング福岡と選手契約。契約満了後も優先交渉権は残っていたが、2008年いっぱいで放棄。それに伴い高松ファイブアローズに復帰。

JBL[編集]

2008-09シーズン終了後に高松ファイブアローズを退団し[1]JBL三菱電機ダイヤモンドドルフィンズに移籍。2011-2012シーズンにJBLオールスター選出。

NBL[編集]

2013年、新規参入チームのつくばロボッツに移籍。2013-2014シーズン、2014-2015シーズンにNBLオールスター選出。

Bリーグ[編集]

2016年、アースフレンズ東京Zに移籍。2017-2018年シーズン途中の2月7日に現役を引退し、13年のプロキャリアに幕を降ろした。

指導者として[編集]

2018年3月、岡山県岡山市にあるIPU・環太平洋大学女子バスケットボール部監督に就任。

記録[編集]

略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック   TO  平均ターンオーバー  PPG  平均得点
 太字  キャリアハイ    リーグリーダー    優勝シーズン
シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
2006-07 高松 11 25.2 .527 .491 .583 2.1 2.2 1.9 0 1.0 11.9
2007-08 福岡 9 24.1 .475 .412 .714 2.3 2.0 1.1 0 1.0 9.1
2008-09 高松 28 31.3 .422 .402 .908 3.7 3.5 2.1 0 1.5 12.6
2009-10 三菱電機 42 24.6 .383 .373 .800 2.0 2.7 1.1 0 2.4 6.5
2010-11 三菱電機 36 19.5 .427 .392 .790 1.7 1.7 0.6 0.1 1.3 5.5
2011-12 三菱電機 36 24.7 .342 .306 .724 2.6 2.6 0.6 0.2 2.1 6.0
2012-13 三菱電機 42 19.5 .344 .314 .667 2.1 2.1 0.5 0 1.1 4.2
2013-14 つくば 43 26.3 .297 .271 .771 2.6 3.2 0.8 0.0 1.5 7.1

人物[編集]

近しい関係者が言うには非常に努力の人であり、センスよりも反復練習によって実力を発揮するタイプであると言われている。

どれだけ出世しても自分がお世話になった人への深い尊敬の念を忘れない、「礼に始まり、礼に終わる」というスポーツマンとして基本的かつ模範的な姿勢を貫いている。高松ファイブアローズを退団するにあたっても非常に丁寧なコメントを残している[1]

三菱電機ダイヤモンドドルフィンズに移籍が決まった同時期にNBADLのトライアウト合格を知らされるが「3度も声をかけてくれたチームを断れない」という理由でアメリカ挑戦を断念した。

脚注[編集]

  1. ^ a b 【ニュースリリース】 選手契約 満了のお知らせ(高松ファイブアローズ公式サイト 2009年6月29日)

関連項目[編集]