中川宋淵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中川 宋淵(なかがわ そうえん、1907年3月19日 - 1984年3月11日)は昭和臨済宗禅僧俳人としても知られた。本名は中川基(なかがわ もとし)。号は密多窟。

山口県玖珂郡岩国町(現・岩国市)出身。東京帝国大学文学部卒業。大学在学中の昭和6年(1931年)、山梨県向嶽寺勝部敬学につき得度。向嶽寺そして大菩薩山中にて修行。その後、東京の白山道場で山本玄峰に師事し、昭和10年(1935年)に龍澤寺に転錫。そして師の山本玄峰が妙心寺別院赴任に際し、随時して中国に渡る。龍澤寺帰錫後は、山本玄峰の僧堂開単を助けけ、遂にその法嗣となる。昭和26年(1951年)4月、その跡を継いで静岡県三島市龍沢寺住職並びに僧堂師家となる。その後、多くの弟子を育成した。釈宗演の弟子であって、またアメリカで禅の指導を行った先駆者である千崎如幻と、中川宋淵とで始まっていた二人の文通がきっかけで、昭和24年(1949年)からたびたびアメリカ合衆国に渡り、禅道場を開くなど、アメリカ布教に努めた。

高見順とは第一高等学校時代の同級生でその後も交流があり、高見が臨終間際となった際には、高見のもとを訪ねて読経をして死を見届けた[1]

俳人としては飯田蛇笏に師事し、句詩文集として「詩龕」を刊行した。

中川宋淵の法嗣[編集]

  • 鈴木宗忠(生没 1921-1990)臨済宗龍澤僧堂師家
  • 中川球童(生没 1927-2007)臨済宗龍澤僧堂師家
  • 藤森弘禅(生没 1925-1984)臨済宗方広僧堂師家
  • 伊万里梅城(生没 1929-1998)臨済宗向嶽寺派管長

脚注[編集]

  1. ^ 山田風太郎『人間臨終図巻』上巻(徳間書店、1986年)

参考文献[編集]