中村武志

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中村 武志
中日ドラゴンズ 一軍バッテリーコーチ #80
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府京都市右京区
生年月日 (1967-03-17) 1967年3月17日(53歳)
身長
体重
179 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1984年 ドラフト1位
初出場 1987年4月14日
最終出場 2005年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

中村 武志(なかむら たけし、1967年3月17日 - )は、京都府京都市右京区出身の元プロ野球選手捕手)・コーチ2019年からは中日ドラゴンズ一軍バッテリーコーチ。

愛称は「たけし[1]

経歴[編集]

現役時代[編集]

花園高校での3年間は新聞配達をしながら過ごし、その時の給料からバットやミットを購入した[2]1984年のドラフト中日ドラゴンズから竹田光訓の外れ1位として入団。正捕手・中尾孝義の肩に不安があったことで、遠投120メートルとも言われた強肩を買われての指名であった[2]。すでにミットはボロボロで、見かねたコーチが新品を2つも買ってくれたという[2]。2年目の1986年オフにはフロントの整理対象選手に挙げられていたが[3]星野仙一が監督に就任した3年目の1987年に初出場を果たした。星野は猛練習を課し、時には殴りまくって、コーチが「これ以上やったら死にます!」と止めに入ったこともあったという[2]。これが後に「なんかあったら、俺が星野監督に殴られてやるから大丈夫!」という投手への殺し文句となり、決して言い訳せず、常に責任をかぶる男気で投手陣から信頼され、その強肩は遊撃手宇野勝が「あんな送球、見たことない。手が腫れる」と言ったほどであった[2]1988年には正捕手として前年に盗塁阻止率.396でリーグトップの中尾を怪我が多すぎることを理由に外野手にコンバート[4]したため、大宮龍男大石友好らのサポートを受けながらではあったが[2]6月頃からはレギュラーに定着。広島の機動力を封じるなどしてリーグトップとなる盗塁阻止率.448を記録し、6年ぶりのリーグ優勝に貢献[2]。日本一はならなかったが、優勝旅行では星野から「一緒に写真を撮ろう」と言われた。すると星野はカメラマンに「コイツのおかげで優勝できたんや」と言った[2]。同年から10年以上も正捕手となり、星野監督2期目の1999年には11年ぶりのリーグ優勝に貢献。2001年オフに山田久志が新監督に就任した中日はドラフト1・2位に捕手を指名。さらに横浜ベイスターズの正捕手・谷繁元信FAで獲得したことから、中村は出場機会を求めてトレードを志願し、金銭トレードで横浜へ移籍[5][6]2002年は開幕から相川亮二との併用を前提とし、中村本人の肩の調子が思わしくなかった為に球団は急遽光山英和を獲得したが、相川が怪我で長期離脱している間に当時2年目の吉見祐治とのバッテリーで、石川雅規ヤクルト)と吉見との新人王争いをサポート。新人王こそ逃したものの、吉見はこの年11勝をマークした。2003年西武から中嶋聡の加入もあり開幕スタメンこそは逃したものの、5月23日巨人戦(横浜)ではゲーリー・ラス河本育之岡島秀樹から1試合3本塁打を放つなど、打率.268・11本塁打という成績を収めた。しかしチーム防御率は4.80と最下位になり、守備の衰えは隠しきれなくなった。2004年はシーズン前に愛車のメルセデス・ベンツが盗難に遭い、車は戻ったもののミットなどの道具一式は帰らなかった。シーズン前期は相川を中心に併用されていたが、相川がオリンピックにより離脱した際は正捕手となる。しかしチームは失速、更に自身が故障した間に鶴岡一成が台頭した事により、最終的に47試合の出場に留まった。2004年11月25日無償トレードによって新規参入の東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。2005年藤井彰人に次ぐ2番手捕手として64試合に出場し、7月31日の西武戦(インボイス)には有銘兼久とのバッテリーで楽天球団創立初の完封・完投勝利を果たした。シーズン終了後に戦力外通告を受け、現役を引退。通算2000試合出場まであと45試合を残しての引退であったが、21年間の現役は同期入団の中では最長であった。

引退後[編集]

2006年、横浜二軍・湘南シーレックスバッテリーコーチに就任し、2008年には一軍バッテリーコーチに昇格。正捕手である相川の怪我の影響もあり、シーレックス時代の教え子である若手の斉藤俊雄武山真吾に一軍の経験を積ませ指導したが、成績低迷により退団。2009年には古巣・中日の二軍捕手コーチに就任し、谷繁とはコーチと選手との立場の違いがあるが、トレード劇から8年越しで同じチームに所属になった。2010年からは一軍バッテリーコーチとなり、2年連続リーグ優勝に貢献して2012年退団。2013年には千葉ロッテマリーンズ一軍バッテリーコーチに就任[7]し、江村直也田村龍弘吉田裕太ら若手捕手の育成に尽力した。2014年10月5日に球団から来季の契約を結ばないことが発表された[8][9]、同年11月には韓国プロ野球起亜タイガース一軍バッテリーコーチに就任し、2017年に8年ぶりのレギュラーシーズン優勝・韓国シリーズ制覇に貢献。2018年より二軍バッテリーコーチに配置転換され、同年退任。2019年から古巣・中日に一軍バッテリーコーチとして復帰することが発表された[10]

選手としての特徴[編集]

捕手として規定出場し盗塁阻止率5割以上を記録した捕手は中村と大矢明彦田淵幸一有田修三福島知春福嶋久晃梨田昌孝古田敦也谷繁元信城島健司の10人しかいない。そのうち2度以上記録したのは中村、大矢、田淵、古田と4人だけである。

98年の守備率.999と03年の守備率.998は中日、横浜の両球団の球団記録であったが中日は2009年に谷繁が、横浜は2011年細山田武史が1.000で更新した。

打撃は打率三割はないが、1991年には20本塁打など、通算で137本塁打。1988年と1999年の日本シリーズで通算26打数7安打1本塁打。

人物[編集]

  • 若手時代の応援歌は『コンバット!』のオープニングテーマで、主力になった後の応援歌は楽天移籍後にも使用された。横浜移籍後は若菜嘉晴の応援歌を引き継いだ[11]
  • 真面目で温厚な性格であり、制球が乱れがちな野口茂樹や吉見などが投げる時は、ど真ん中にミットを構えたり、際どくストライクゾーンから外れても「うんうん」と頷くなど、投手に対する配慮は現役時代を通じてあった。特に野口はヒーローインタビューでたびたび「中村さんのミットめがけて投げました」「中村さんのおかげです」とコメントし、横浜と楽天の投手陣もヒーローインタビューなどでバッテリーを組んだ中村の名を挙げる事が多々あるなど、所属した全球団でヒーローインタビューにおいて投手から名前を挙げられている。中でも山本昌とは非常に深く通じ合っており、山本が中村からの返球を受けてサインを覗くときにはすでに予想した球種で、握りやすい向きでボールをセットしていた。技術的には変化球で追い込んでストレートで勝負するタイプであった[12]。また投手陣からの信頼も厚く餞別ビデオを贈った際にはポーカーフェイスで知られた今中慎二が泣き出す1面を見られた。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1987 中日 43 119 113 12 24 3 0 3 36 11 2 0 1 0 3 0 2 19 5 .212 .246 .319 .565
1988 98 306 267 30 63 18 0 5 96 21 2 0 8 1 29 7 1 63 2 .236 .312 .360 .672
1989 125 420 352 23 95 12 0 7 128 41 2 2 9 2 55 19 2 94 7 .270 .370 .364 .734
1990 97 282 256 22 64 9 0 7 94 21 1 1 6 1 18 6 1 43 4 .250 .301 .367 .668
1991 104 370 333 42 90 13 0 20 163 62 5 4 9 4 24 1 0 74 5 .270 .316 .489 .805
1992 113 391 351 25 86 16 4 6 128 31 1 1 3 1 34 5 2 57 7 .245 .314 .365 .679
1993 127 461 404 38 88 11 0 18 153 46 0 0 8 1 48 8 0 116 8 .218 .300 .379 .679
1994 125 456 398 37 102 16 0 9 145 50 1 0 8 0 46 8 4 48 14 .256 .339 .364 .703
1995 94 335 301 26 77 10 0 8 111 32 2 3 2 0 31 1 1 57 11 .256 .327 .369 .696
1996 115 422 376 45 102 11 1 12 151 37 2 0 2 2 40 9 2 51 17 .271 .343 .402 .745
1997 102 314 280 27 65 15 0 8 104 36 0 0 2 3 26 5 3 42 11 .232 .301 .371 .672
1998 128 468 407 27 96 18 4 5 137 42 2 0 7 2 49 12 3 65 10 .236 .321 .337 .658
1999 127 439 395 31 79 12 0 6 109 42 3 1 13 3 28 6 0 65 9 .200 .275 .276 .551
2000 126 417 356 26 87 10 0 4 109 34 2 2 16 1 43 9 1 68 12 .244 .302 .306 .608
2001 134 455 412 29 109 16 0 2 131 27 1 0 10 1 31 5 1 59 17 .265 .317 .318 .635
2002 横浜 107 302 283 22 57 8 0 5 80 19 0 0 1 2 15 4 1 72 5 .201 .243 .283 .526
2003 79 230 209 23 56 8 0 11 97 37 3 0 8 1 12 5 0 35 6 .268 .306 .464 .770
2004 47 111 101 6 20 4 0 1 27 8 0 0 5 0 5 2 0 19 5 .198 .236 .267 .503
2005 楽天 64 121 111 8 20 4 0 0 24 7 0 0 3 0 7 0 0 25 3 .180 .229 .216 .445
通算:19年 1955 6419 5705 499 1380 214 9 137 2023 604 29 14 121 25 544 112 24 1072 158 .242 .309 .355 .664
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]


捕手
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1987 42 17 13 4 .235
1988 98 513 54 8 12 5 .986 58 32 26 .448
1989 121 624 76 4 12 8 .994 64 31 33 .516
1990 95 440 56 3 6 5 .994 53 34 19 .358
1991 101 596 62 3 10 6 .995 75 53 22 .295
1992 112 635 55 3 7 6 .997 68 47 21 .309
1993 127 884 82 3 16 9 .997 52 27 25 .481
1994 125 803 55 3 15 6 .997 51 36 15 .294
1995 94 573 56 3 8 4 .995 54 26 28 .519
1996 114 784 72 8 11 7 .991 82 50 32 .390
1997 96 560 45 5 11 11 .992 77 62 15 .195
1998 128 868 74 1 10 3 .999 81 43 38 .407
1999 127 769 73 3 11 7 .996 78 50 28 .359
2000 125 810 73 3 13 4 .997 104 69 35 .337
2001 134 964 77 5 12 5 .995 101 79 22 .218
2002 107 82 61 21 .256
2003 79 .998 56 42 14 .250
2004 43 30 21 9 .300
2005 64 233 20 0 3 2 1.000 41 31 10 .244
通算 1868 11340 1031 64 180 94 .995 1224 807 417 .341
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
  • 初出場:1987年4月14日、対広島東洋カープ1回戦(ナゴヤ球場)、6回裏に石井昭男の代走として出場
  • 初先発出場:1987年5月29日、対広島東洋カープ7回戦(ナゴヤ球場)、8番・捕手として先発出場
  • 初三振:1987年5月30日、対広島東洋カープ8回戦(ナゴヤ球場)、3回裏に北別府学から
  • 初安打:同上、7回裏に北別府学から二塁打
  • 初本塁打・初打点:1987年5月31日、対広島東洋カープ9回戦(ナゴヤ球場)、5回裏に白武佳久から
  • 初盗塁:1987年7月7日、対阪神タイガース13回戦(石川県立野球場)、8回裏に二盗(投手:浜田知明、捕手:木戸克彦
節目の記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 39 (1985年 - 2005年)
  • 86 (2006年 - 2008年)
  • 83 (2009年 - 2011年)
  • 80 (2012年、2019年 - )
  • 82 (2013年 - 2018年)

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 中日時代に当時の星野仙一監督が「たけし」と呼んでいたことから馴染みのある解説者や応援などで使用されることが多い。
  2. ^ a b c d e f g h 中村武志 星野監督の下で戦力外の候補から司令塔へと飛躍/プロ野球1980年代の名選手
  3. ^ 晩年の星野は、「自由契約にするかどうかは、秋のキャンプを見てから判断させてくれ」と説得したことを明かしている。
  4. ^ 星野は現役時に中尾ともバッテリーを組んでいたが、その経緯から中尾の選手としての寿命と不節制を熟知していた根拠もあった。ただし、中尾が外野手にコンバートしたのはケガが多すぎることが直接の理由ではなく、コーチとの確執がきっかけで「こんな状況では捕手をやれない」と中尾自身が星野に直談判したことからであった。
  5. ^ 【12月28日】2001年(平13) 年内に自由の身にしてくれ!中村武志、怒りの退団
  6. ^ 山田久志が語る谷繁元信獲得秘話。「名古屋って、難しいところだよ」
  7. ^ 中村武志氏 一軍バッテリーコーチ就任のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2012年10月31日
  8. ^ コーチとの来季契約についてロッテ球団公式サイト2014年10月5日配信
  9. ^ ロッテ 中村1軍バッテリーコーチ退団へ 伊東監督は来季続投
  10. ^ 中日復帰の中村武志コーチ 韓国での苦難と栄光 恩師星野さんの墓前でV報告を
  11. ^ 後に中村を慕う武山真吾が自ら希望して引き継ぎ、武山はその後、西武を経て中日に移籍し2018年からは自身がかつて着けていた39番を着用。
  12. ^ ベースボール・マガジン社『133キロ怪速球』(山本昌、2009年) ISBN 978-4583101699 p40-41

関連項目[編集]