中根千枝

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中根 千枝
日本学士院会員選出時の中根
人物情報
生誕 (1926-11-30) 1926年11月30日(93歳)
東京府豊多摩郡戸塚村(現・新宿区
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京大学文学部東洋史学科卒業
同大学院修了
学問
研究分野 社会人類学
研究機関 東京大学東洋文化研究所
国立民族学博物館
主要な作品 『タテ社会の人間関係』(1967年)
主な受賞歴 毎日出版文化賞(1959年)
紫綬褒章(1990年)
文化功労者(1993年)
勲二等宝冠章(1998年)
文化勲章(2001年)
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中根 千枝(なかね ちえ、1926年大正15年)11月30日 - )は、日本社会人類学者。専門はインドチベット・日本の社会組織。東京大学名誉教授。イギリス人類学民族学連合名誉会員、国際人類学民族学連合名誉会員など。

女性初の東大教授。女性初の日本学士院会員。また学術系としては女性初の文化勲章受章者となった[注 1]

来歴[編集]

東京府豊多摩郡戸塚村(現・新宿区)生まれ。父親は弁護士であった。愛知県岡崎市に移り、岡崎市立投尋常小学校(現・岡崎市立根石小学校)に入学[1]。6年生の秋まで在学したのち中国に渡り、6年ほど、北京で暮らす[2]。東京都立第八高等女学校(現・東京都立八潮高等学校)、津田塾専門学校外国語科卒業[注 2]東京大学文学部東洋史学科卒、同大学院修了[3]

東北から鹿児島までの農村の調査を経た後、人類学の研究を世界各地で行う[4]。1953年(昭和28年)にインドに3年、1959年(昭和34年)から1962年(昭和37年)にかけてはイギリスイタリア、その他シカゴ大学ロンドン大学で研究を積む[4]。インドの奥地アッサムを探検、調査したものをまとめた『未開の顔・文明の顔』を1959年に刊行し、毎日出版文化賞を受賞[3]

その後日本に戻ると、月刊誌『中央公論』から「どんなテーマでもいいから論文を書いて」といった注文を受け、「日本の集団構造はどこでも同じ」というテーマを思いつく[4]。ホテルにこもり、2週間ほどで「日本的社会構造の発見」(『中央公論』昭和39年5月号)を書き上げたところ、猪木正道がその論文を評価した事も手伝い複数の出版社から書籍化の話を持ちかけられ、論文を加筆・修正した『タテ社会の人間関係』を1967年に(昭和42年)に刊行[2]。2015年(平成27年)現在までに124刷116万部超のロングセラーを記録し、イギリスで出版された英語版は、13カ国で翻訳出版された[2]

女性で初の東京大学助教授、教授、東京大学東洋文化研究所所長(国立大学初の女性研究所長)、女性初の日本学士院会員などを歴任し[5]、1990年(平成2年)に紫綬褒章、1993年(平成5年)に文化功労者、2001年(平成13年)に文化勲章を受章する[3]

略歴[編集]

  • 東京府豊多摩郡戸塚村(現・新宿区)生まれ。
  • 1939年 北京日本小学校卒
  • 1944年 東京都立第八高等女学校(現・東京都立八潮高等学校)卒業
  • 1947年 津田塾専門学校外国語科卒業
  • 1947年 東京大学文学部東洋史学科入学
  • 1950年 同卒業、大学院入学
  • 1952年 同修了、東京大学東洋文化研究所助手
  • 1953年から57年までインド、英国イタリアに留学
  • 1958年 東大東洋文化研究所講師
  • 1959年から60年までシカゴ大学客員助教授
  • 1960年から61年までロンドン大学客員講師
  • 1962年 東大東洋文化研究所助教授
  • 1970年 東京大学東洋文化研究所教授、東大社会学系研究科文化人類学課程主任
  • 1975年 大阪大学人間科学部教授併任(-79)、国立民族学博物館教授併任(-80)、英国王立人類学会名誉会員、コーネル大学特別客員教授(-81)
  • 1980年 東大東洋文化研究所所長(-82)、東大評議員。
  • 1987年 東大を定年退官、民族学振興会理事長(99年解散)、国際交流基金賞受賞
  • 1988年 帝京大学教授、国際人類学・民族学連合ゴールドメダル賞受賞
  • 1990年 紫綬褒章受章
  • 1991年 福岡アジア文化賞学術研究賞受賞
  • 1993年 文化功労者
  • 1998年 勲二等宝冠章受章
  • 2001年 文化勲章受章
  • 2002年 東京女学館大学初代学長(2004年まで)
  • 2014年 津田梅子賞受賞

著書[編集]

下記以外に、外国語に翻訳されたものや外国語資料もある。

単著[編集]

  • 『未開の顔・文明の顔』(中央公論社、1959年/普及版・中央公論文庫、1962年/角川文庫、1972年/中公文庫、1990年7月、ISBN 4122017297)
  • 『タテ社会の人間関係:単一社会の理論』(講談社現代新書、1967年7月)、ISBN 4061155059
    • 『タテ社会の人間関係:Japanese Society』(チャールズ・イー・タトル出版、2009年2月)、ISBN 480531026X
  • 『家族の構造:社会人類学的分析』(東京大学出版会、1970年)
  • 『人間と経営:トップビジネスマンとの対話』(文藝春秋、1971年)
  • 『適応の条件:日本的連続の思考』(講談社現代新書、1972年)
  • 『家族を中心とした人間関係』(講談社学術文庫、1977年)
  • 『タテ社会の力学』(講談社現代新書、1978年/講談社学術文庫、2009年7)月、ISBN 4062919567
  • 『日本人の可能性と限界』(講談社、1978年)
  • 『社会構造の比較:アジアを中心として』(旺文社、1981年)
  • 『社会人類学:アジア諸社会の考察』(東京大学出版会、1987年/講談社学術文庫、2002年4月)、ISBN 4061595407
  • 『中国とインド:社会人類学の観点から』(国際高等研究所、1999年)
  • 『タテ社会と現代日本』(講談社現代新書、2019年11月)同編集部 構成、ISBN 4062884305

共著[編集]

編著[編集]

  • 『韓国農村の家族と祭儀』 東京大学出版会 1973

共編[編集]

  • 桑原武夫加藤秀俊)『歴史と文明の探求』 文明問題懇談会全記録 上下 中央公論社 1976

翻訳[編集]

雑誌発表論文[編集]

  • 中央公論 64年5月号 「日本的社会構造の発見」 - 「タテ社会の人間関係」のもとになった論文[注 3]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 女性の文化勲章受章者としては11人目だが、それまでの女性の文化勲章受章者はすべて小説や絵画など芸術系での受章だった。
  2. ^ 津田塾から東大に入った同期に森山真弓元法務大臣がいる。
  3. ^ この中で中根はタテ社会を本の名前としたのは講談社の編集者で、タテを上意下達や権力構造と考えるのは誤解だと述べている[6]

出典[編集]

  1. ^ 東海新聞』1975年6月24日、1面、「中根千枝東大教授招き あす岡信本店ホールで教育講演会」。
  2. ^ a b c 「タテ社会の人間関係」 ソトから見えた日本の構造とは 中根千枝さん”. 産経ニュース【自作再訪】. 株式会社産経デジタル. p. 2 (2014年11月24日). 2015年10月29日閲覧。
  3. ^ a b c 「タテ社会の人間関係」 ソトから見えた日本の構造とは 中根千枝さん”. 産経ニュース【自作再訪】. 株式会社産経デジタル. p. 4 (2014年11月24日). 2015年10月29日閲覧。
  4. ^ a b c 「タテ社会の人間関係」 ソトから見えた日本の構造とは 中根千枝さん”. 産経ニュース【自作再訪】. 株式会社産経デジタル. p. 1 (2014年11月24日). 2015年10月29日閲覧。
  5. ^ 「タテ社会の人間関係」 ソトから見えた日本の構造とは 中根千枝さん”. 産経ニュース【自作再訪】. 株式会社産経デジタル. p. 3 (2014年11月24日). 2015年10月29日閲覧。
  6. ^ 朝日新聞2012年7月14日熊本版朝刊27頁