丸山眞男

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丸山眞男
人物情報
生誕 1914年3月22日
日本の旗 日本大阪府
死没 (1996-08-15) 1996年8月15日(82歳没)
日本の旗 日本東京都
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京帝国大学法学部政治学科
学問
研究分野 日本思想史哲学
主な業績 日本政治思想史・近世儒学の研究、超国家主義論、福澤諭吉論ほか
主な受賞歴 第4回大佛次郎賞1977年
脚注
父:丸山幹治
兄:丸山鉄雄
弟:丸山邦男
息子:丸山彰(数学者)
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丸山 眞男(まるやま まさお、1914年(大正3年)3月22日 - 1996年(平成8年)8月15日)は、日本政治学者思想史家東京大学名誉教授日本学士院会員。専攻は日本政治思想史新字体丸山真男とも表記される。

丸山の学問は「丸山政治学」「丸山思想史学」と呼ばれ[1][2]経済史学者大塚久雄の「大塚史学」と並び称された。

経歴[編集]

政治思想史研究へ[編集]

1914年(大正3年)3月22日、ジャーナリスト丸山幹治の次男として、大阪府東成郡天王寺村(現・大阪市阿倍野区)に生まれた。郷里は長野県で旧松代藩士族の家系。兄に芸能プロデューサー・音楽評論家の丸山鉄雄、弟に評論家の丸山邦男がいる。1921年(大正10年)には東京四谷に転居。父の友人・長谷川如是閑らの影響を受け、大正デモクラシーの潮流のなかで思想形成をおこなう。四谷第一尋常小学校、東京府立第一中学校(現・都立日比谷高校)を経て、1931年(昭和6年)4月、旧制第一高等学校に進学。

1933年(昭和8年)4月10日、本郷仏教青年館で開催された唯物論研究会の講演会に参加。同講演会は警察の命令により、長谷川如是閑が挨拶を始めるや否や解散。聴衆の一人であった丸山は本富士警察署に勾留され、特高の取り調べを受ける[3]

1934年(昭和9年)に一高を卒業後、東京帝国大学法学部政治学科に入学。「講座派」の思想に影響を受ける。1936年(昭和11年)、懸賞論文のために執筆した「政治学に於ける国家の概念」[4]が、第2席A(第一席該当なし)に入選。『緑会雑誌』8月号に掲載される。これが認められて助手採用に内定する。

1937年(昭和12年)、大学を卒業し、南原繁の研究室の助手となる[5]。本来はヨーロッパ政治思想史を研究したかったが、日本政治思想史の研究を開始した。1940年(昭和15年)、「近世儒教の発展における徂徠学の特質並びにその国学との関連」を『国家学会雑誌』(54巻2-5号)に発表。6月、東京帝国大学法学部助教授となる。1941年、「近世日本思想史における「自然」と「作為」-制度観の対立としての」を『国家学会雑誌』に発表。

1944年(昭和19年)3月、小山ゆか里と結婚。7月、「国民主義理論の形成」を『国家学会雑誌』に発表(後に「国民主義の「前期的」形成」と改題)。

同年7月、大学助教授でありながら、陸軍二等兵として教育召集を受けた。大卒者は召集後でも幹部候補生に志願すれば将校になる道が開かれていたが、「軍隊に加わったのは自己の意思ではない」と二等兵のまま朝鮮半島平壌へ送られた。9月、脚気のため除隊決定。11月、応召より帰還。

1945年(昭和20年)3月、再び召集される。広島市の船舶通信連隊で暗号教育を受けた後、宇品の陸軍船舶司令部へ二等兵として配属された。4月、参謀部情報班に転属。丸山は連合通信のウィークリーをもとに国際情報を毎週報告。入手した情報を「備忘録」と題するメモに残す[6]。8月6日、司令部から5キロメートルの地点に原子爆弾が投下され、被爆1945年(昭和20年)8月15日に終戦を迎え、9月復員した[7]。「上官の意向をうかがう軍隊生活は(大奥の)『御殿女中』のようだった」と座談会で述べたことがある。この経験が、戦後、「自立した個人」を目指す丸山の思想を生んだという指摘がある[8]

戦後[編集]

1946年(昭和21年)2月14日、東京帝国大学憲法研究委員会の委員となる。憲法改正の手続きについてまとめた第一次報告書を執筆。なお委員長の宮沢俊義は、委員会で丸山が提示した「八月革命説」を、丸山の承諾を得て「八月革命と国民主権主義」として論文発表している(『世界文化』1946年5月号)[9]。「超国家主義の論理と心理」を『世界』1946年5月号に発表[10]。以後、戦後民主主義思想の展開において、指導的役割を果たす。この頃、三島大社境内に設けられた庶民大学など全国を巡り講義を行う。1950年(昭和25年)6月、東京大学法学部教授に就任。

サンフランシスコ平和条約をめぐる論争では平和問題談話会の中心人物として、1960年(昭和35年)の安保闘争を支持する知識人として、アカデミズムの領域を越えて戦後民主主義のオピニオンリーダーとして発言を行い、大きな影響を与えた。これらの時事論的な論述により、「アカデミズムとジャーナリズムを架橋した」とも評された。後年、本人は現実政治の分析を「夜店」、日本政治思想史の研究を「本店」と称したことがある[11]

後半生[編集]

1960年代後半になると逆に、「欺瞞に満ちた戦後民主主義」の象徴として全共闘の学生などから激しく糾弾された。1969年(昭和44年)3月10日、肝機能障害により入院。同年6月、1970年2月と続けて入院[12]。心労と病気が重なったことで、1971年(昭和46年)3月、東大を早期退職した。1974年(昭和49年)5月に東京大学名誉教授。1978年(昭和53年)11月には日本学士院会員となる。

1993年12月9日、肝臓がんであることを知る[13]。長年版元より依頼されていた『丸山眞男集』(岩波書店)を刊行中の1996年(平成8年)8月15日(終戦の日)に死去。82歳だった。家族のみで密葬を行い、約1週間後に死去が公表された。8月26日に「偲ぶ会」が、新宿区信濃町の千日谷会堂で行われた[14]

業績[編集]

前記の時論的な論述のほか、日本政治思想史における業績も重要である。第二次世界大戦中に執筆した『日本政治思想史研究』は、ヘーゲル[15]フランツ・ボルケナウ[16]らの研究を日本近世に応用し、「自然」-「作為」のカテゴリー[17] を用いて儒教思想(朱子学)から荻生徂徠本居宣長らの「近代的思惟」が育ってきた過程を描いたものである。

また、明治時代の思想はデモクラシー(民権)とナショナリズム(国権)が健全な形でバランスを保っていたと評価し[要出典]、特に日本近代を代表する思想家として福澤諭吉を高く評価し、「福澤惚れ」を自認した。日本学士院ではもっぱら諭吉の研究を行い、日本思想史研究における生涯の大半を福沢の研究に費やした。丸山の福沢諭吉論(『「文明論の概略」を読む』など)はそれ以降の思想史家にとって、現在まで見過ごすことのできない金字塔的な存在となっている。

『日本の思想』(岩波新書、1961)の発行部数は2005年(平成17年)5月現在、累計102万部。大学教員達から“学生必読の書”と評される他[要出典]、この中に収められている『「である」ことと「する」こと』は高校の現代文の教科書にも採用されている[18]1985年(昭和60年)にはフランスにおける最初の日本語のアグレガシオン(教授資格試験)の和仏訳、テキスト分析の試験問題にも選ばれている[19]

早くから海外に翻訳され、現在も再版されていることは特筆に値する。まず、1963年(昭和38年)に『現代政治の思想と行動Thought and Behavior in Modern Japanese Politics が英訳出版された(のちに中国語訳も行われた)。続いて1974年(昭和49年)には『日本政治思想史研究』Studies in the Intellectual History of Tokugawa Japan が英訳され、1996年(平成8年)にその仏訳 Essais sur l'histoire de la pensée politique au Japon が刊行された。1988年(昭和63年)には『近代日本の知識人』Denken in Japan が、2007年(平成19年)には「超国家主義の論理と心理」、「近代的思惟」などを収めた Freiheit und Nation in Japan がそれぞれドイツ語訳されている。

また「丸山論」は、没する前後から年数冊のペースで、刊行され続けている。

影響[編集]

丸山のゼミナールからは多くの政治学者・社会思想史家を輩出した。彼らは総じて「丸山学派」と言われ、日本の政治学を飛躍させた[20]。日本政治思想史専攻以外にも、篠原一福田歓一坂本義和京極純一三谷太一郎といった東大系の政治学者は、多かれ少なかれ影響を受けており、かつそれをさまざまな形で公言している。

狭義の政治学界の外でも、社会科学者小室直樹などは丸山眞男から政治学を学び、作家庄司薫[21]、異色官僚の天谷直弘[22]社会民主連合創設者で、参議院議長となった江田五月教育学者堀尾輝久なども丸山ゼミ出身。亡き後の政治学界や言論界にはなお崇拝者[要出典]、信奉者[要出典]が多く、戦後日本を象徴する進歩的知識人の一人であった。

エピソード[編集]

投獄経験に関して[編集]

  • 逮捕されて拘置所に送られたとき、「不覚にも一睡もできない拘置所で涙を流した。そのことが日ごろの『知性』などというものの頼りなさを思い切り私に自覚させた」といい、「軍隊経験に勝るとも劣らない深い人生についての経験」だったと述べた[23]
  • 丸山は元々は、父と同じジャーナリスト志望で、東京帝国大学に残る気はなかったが、たまたま助手公募の掲示をみて応募したという。自身逮捕歴があり、マルクス主義に影響を受けた論文を書いて特高憲兵の監視を受けていた人間を助手として雇うだけの度量が東大法学部にあるのなら、研究室に残ってもいい、と考えたらしい。当時の丸山の指導教授だった南原繁は、丸山の論文のそういう性格を見抜いたうえで、さらには丸山が自分の逮捕歴などを告白したのを聞いたうえで、丸山を助手に採用したのは、南原の本心が、丸山とは“思想の同志”的な位置にいたからである[24]

思想形成[編集]

  • 平壌で最初の兵役に就いた際、丸山は中学にも進んでいないであろう一等兵に執拗にイジメ抜かれたという[25]。丸山は戦後、「実際、兵隊に入ると『地方』の社会的地位や家柄なんかはちっとも物をいわず、華族のお坊ちゃんが、土方の上等兵にビンタを食らっている。なんか、そういう擬似デモクラティック的なものが相当社会的な階級差からくる不満の麻酔剤になっていたと思われるのです[26]」と語ったが、影響の大きさに「日本の軍隊の持っていた、そういうパラドキシカルな民主的性格というものを、もっと言っておかないといけないんじゃないか、と[27]」とも述べた。

「運動」に関して[編集]

  • 1968年(昭和43年)の東大紛争の際、大学の研究室を占拠して貴重な資料・フィルムを壊した全共闘の学生らに1969年1月19日、東大の安田講堂の封鎖が機動隊によって解除され、直後に法学部の研究室に入った姿を、同日の毎日新聞
    床にばらまかれ、泥に汚れた書籍や文献を一つ一つ拾いあげ、わが子をいつくしむように丹念に確かめながら『建物ならば再建できるが、研究成果は……。これを文化の破壊といわずして、何を文化の破壊というのだろうか』とつぶやいていた。押(おさ)えようとしても押えきれない怒りのため、くちびるはふるえていた[28]
    と報道された。後にこの事を「ファシストでもやらなかったことを、やるのか」と発言した[29]。これについて吉本隆明は、たかが大学生に研究室に踏み込まれたくらいで大袈裟な言い草である、自分などは資料収集のために図書館の列にいつも延々並んでいる、生活費を稼ぐ仕事の合間に研究しているんだ、と非難している[30][31]
  • 安保闘争後、市民運動が活発になった際に、弟子の松下圭一らは「市民が成熟して「市民感覚」が養われるようになった」と主張していたが、丸山は、そのような政治参加は「パートタイム」的なものにとどめるべきものだと述べた。日記にも「全共闘の“いい気になっている”指導者たち」と批判していた[29]

交友関係について[編集]

  • 『世界』初代編集長の吉野源三郎とは、終生深い親交があった[要出典]
  • 作家の武田泰淳埴谷雄高[32]、中国文学者の竹内好とは家族ぐるみの付き合いがあった。また竹内については、「『ふつう好さんのことをナショナリストと言うでしょう。ぼくはそれだけをいうと、ちょっと抵抗を感じるな。20年以上のつきあいを通して、好さんにはコスモポリタニズムが感覚としてある、と肌で感じます』と述べている」[33]
  • 鶴見俊輔とは、(戦後初期の)雑誌『思想の科学』創刊以来の付き合いがあり、丸山は終生、思想の科学研究会の会員であったが、同研究会はなんでもありの「イラハイイラハイ主義」と揶揄している[34][35]。また、鶴見の哲学は信用するが、「日常感覚は信用しないんだな」「育った生活環境からいってもわたしのほうがはるかにドロドロした『前近代的』なものなんですよ」と述べている[35]
  • 1980年11月早稲田大学大隈講堂で催された大山郁夫生誕百年記念講演会の講演会であいさつ[36]

趣味[編集]

批判[編集]

丸山は戦後日本に大きな影響を与えた人物ということもあり、賛辞の一方で様々な立場から批判がなされている。しかし、自ら批判に応えて論争になるといったことはあまり多くなく、竹内洋は評伝で、丸山が批判に余り取り合わず「黙殺」したことで、結果的に丸山の権威が認められたと述べる[39]

マルクス主義者による批判[編集]

  • プロレタリア革命を主張するマルクス主義者からは、西洋近代のブルジョワ市民社会を理想とする「近代主義者」「市民派」であると長年批判された[要出典]
  • 吉本隆明は丸山をはじめとする進歩的文化人は大学から自立せず、大衆から解脱(往相)してしまっており、丸山を「上空飛行的思考」として批判した[40]。吉本の丸山批判は新左翼・全共闘の学生などに受容された[41]東大紛争では、全共闘の学生から、東大教授という立場に寄りかかった権威主義者、大衆から遊離した貴族主義者であるとして批判された[要出典]
  • 日本共産党は丸山が「共産党は反戦運動をしたというが、実際には第二次世界大戦が起きた。だから戦争責任は共産党にある」と主張していたことに激怒・反発し、「傍観者の思想」と厳しく糾弾した。

保守派による批判[編集]

  • 丸山の議論は西欧にあって日本にないものを指摘する「欠如理論」である[42]という批判もある。
  • 丸山の日本ファシズム論には、ウルトラ・ナショナリズムとナショナリズムを区別できないという欠点があると言われる(松本健一『日本のナショナリズム』など)。谷沢永一は以下のような批判を行った。日本ファシズムの概念規定が『増補版 現代政治の思想と行動』のどこにもでてこないこと。同書において、日本国民を二分し、第一類型には工場主や自作農、学校教員など、第二類型には都市における文化人やジャーナリスト、学生層などと規定したこと。日本社会の中堅層である前者に対し、日本にファシズム運動があったか否かの検証もないままファシズムの社会的基盤であると断定し、かつ疑似インテリゲンチャもしくは亜インテリゲンチャと呼んで軽蔑していること。そして以上の理由から丸山眞男を差別意識の権化とした[43]
  • 梅原猛は、思想的伝統が日本には形成されなかったと定義する丸山に対し、『法華経』などの古典を読まず、また、日本の美術、文学、風俗を調査せずにその様な断定を行うのは許しがたいと批判した[44]

思想史家による批判[編集]

  • ゼミ生ではないが、親炙に浴していた 橋川文三は、丸山に影響を受けながら、論文「昭和超国家主義の諸相」にて、丸山超国家主義論に批判を加えた[45]
  • 藤田省三は当初から丸山に批判的だった弟子の一人で、『天皇制国家の支配原理』などを著した。
  • 弟子の渡辺浩(政治学者)は東アジア王権論という視点から日本政治思想史を書き換えることを試みている。
  • 苅部直は『「維新革命」への道』で「古層」論を批判した。
  • 子安宣邦は『事件としての「徂徠学」』で丸山徂徠論を言説論の視点から批判、また、『日本近代思想批判』で古層論(「歴史意識の『古層』」「開国」)が江戸時代暗黒観・明治維新礼賛になってしまい、近代批判を失ったと批判した。末木文美士も『日本宗教史』などで古層論批判を行った。
  • 1990年代後半以降には、姜尚中米谷匡史あるいは酒井直樹等のようなポストコロニアリズムの立場から、「国民主義」や、ナショナリストとしての一面を批判されている[46]。しかし、このような見方に対しては、斎藤純一、葛西弘隆等のような思想史研究の立場から、確かに丸山は1950年代頃までの論考で明治期の日本国のナショナリズムを肯定的に評価する面があったにせよ、それ以降においては多元主義あるいは市民社会をより重視するようになっていたとする指摘がある[47]
  • 日本政治思想史研究に対しては、近世思想史の解釈が恣意的[48]との批判がある。また、経書学・日本思想史の立場から、漢籍読解の稚拙さを指摘する論考もある。[要出典]

スキャンダル[編集]

  • 水谷三公は、学者としての丸山を尊敬しつつも、その政治的言説がアメリカを批判して北朝鮮ソ連に傾くものだったとし、「外交オンチ」「政治的蓄膿症」と言われても仕方がないと評した[49]
  • 大塚久雄が、梶山力と共訳だったマックス・ヴェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を、のちに大塚の単独訳にしたことを、ヴェーバー研究者の安藤英治が批判し、梶山の単独訳版を改訂刊行しようとした。その際に丸山が圧力をかけてきたと、同じ研究者の羽入辰郎は批判している[50]
  • 志村五郎は、丸山の漢学や音楽に関する会話や著作を「一知半解」であることを記述をあげて指摘するほか、特に朝鮮戦争に関して丸山にとって都合が悪い史実(北朝鮮側から開戦)を40年以上にわたり「不可知論」で誤魔化し続けた事実を指摘し、そこに丸山のジャーナリスト的な資質の根本的な限界を見出した[51]
  • 赤木智弘は『「丸山眞男」をひっぱたきたい ―31歳フリーター。希望は、戦争。』を『論座』に寄せ、これが注目されたことが世に出るきっかけとなる。

著書[編集]

単著[編集]

  • 英訳:Studies in the Intellectual History of Tokugawa Japan, trans. by Mikiso Hane, (University of Tokyo Press, 1989)

集成[編集]

  • 丸山眞男集』(全16巻別巻1、岩波書店、1995~1997年)、度々再刊。※別巻(増訂新版)、2015年
  • 『丸山眞男講義録』(全7巻、東京大学出版会、1998~2000年)
  • 『丸山眞男書簡集』(全5巻、みすず書房、2003~2004年)
  • 『丸山眞男話文集』(全4巻、みすず書房、2008~2009年)、「丸山眞男手帖の会」編
  • 『丸山眞男話文集 続』(全4巻、みすず書房、2014~2015年)、「丸山眞男手帖の会」編
  • 『丸山眞男集 別集』(全5巻、岩波書店、2014年12月~[52]
    東京女子大学「丸山眞男文庫」編、近年新たに発見された論考・随想などを集成
  • 『丸山眞男講義録 別冊(一・二)』(東京大学出版会、2017年)

共著[編集]

  • 『日本のナショナリズム』(河出書房、1953年)
  • 加藤周一ほか)『反動の思想』(岩波書店、1957年)
  • (加藤周一)『翻訳と日本の近代』(岩波新書、1998年)
  • 『丸山眞男座談』(全9巻、岩波書店、1998年)
  • 古在由重)『暗き時代の抵抗者たち-対談古在由重・丸山眞男』(太田哲男編、同時代社、2001年)
  • (古在由重)『一哲学徒の苦難の道-丸山眞男対話篇 1』(岩波現代文庫、2002年)
  • 梅本克己・佐藤昇)『現代日本の革新思想-丸山眞男対話篇 2・3』〈上・下〉(岩波現代文庫、2002年) 
  • 鶴見俊輔・北沢恒彦・塩沢由典)『自由について 七つの問答』(編集グループSURE、2006年)
  • 『丸山眞男回顧談』〈上・下〉(松沢弘陽・植手通有・平石直昭編、岩波書店、2006年/岩波現代文庫、2016年7・8月)
  • 『丸山眞男座談セレクション』〈上・下〉(平岩直昭編、岩波現代文庫、2014年11・12月)

編著・訳書[編集]

  • 『日本のナショナリズム』(河出書房、1953年)
  • 『人間と政治』(有斐閣、1961年)
  • G・H・セイバイン『西洋政治思想史 〈1〉』(岩波書店、1953年)

共編著[編集]

  • 中村哲辻清明)『政治学事典』(平凡社、1960年)
  • 福田歓一)『南原繁著作集』(全10巻、岩波書店、1972~73年)
  • (福田歓一)『回想の南原繁』(岩波書店、1975年)
  • (福田歓一)『聞き書 南原繁回顧録』(東京大学出版会、1989年)

その他[編集]

  • 脇圭平芦津丈夫フルトヴェングラー』(岩波新書、1984年)
    末尾に著者と丸山の鼎談「フルトヴェングラーをめぐって――音楽・人間・精神の位相」を収録。
  • 埴谷雄高 『幻視者宣言』(三一書房、1994年) 
    長年にわたり埴谷との交友があり、多くの映画・音楽・文学論を語り合った対話も収録。

門下生[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『丸山眞男』 - コトバンク
  2. ^ 大隅和雄シンポジウム「丸山思想史学の地平」について」『日本思想史学』第32巻、日本思想史学会、2000年9月、 1-2頁。
  3. ^ 『丸山眞男集 別巻』岩波書店、1997年3月13日、35頁。
  4. ^ 『戦中と戦後の間』所収、みすず書房
  5. ^ 「知の巨人たち」 第3回 民主主義を求めて~政治学者 丸山眞男~(2014年7月19日放送)”. NHK. 2019年7月8日閲覧。
  6. ^ 『丸山眞男集 別巻』前掲書、45頁。
  7. ^ 苅部直『丸山眞男――リベラリストの肖像』岩波新書、107-108頁、111-112頁。
  8. ^ 小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉 戦後日本のナショナリズムと公共性』新曜社、P.55
  9. ^ 『丸山眞男集 別巻』前掲書、47頁。
  10. ^ 『現代政治の思想と行動』上巻(未來社、1956年12月15日)に収録された。
  11. ^ 松本三之介「先生の学問的姿勢について憶う」(「未来」1996年10月号)
  12. ^ 『丸山眞男集 別巻』前掲書、70頁。
  13. ^ 『丸山眞男集 別巻』前掲書、85頁。
  14. ^ 弔辞は木下順二が読んだ(文藝春秋編『弔辞 劇的な人生を送る言葉』文春新書2011年pp.97-102所収)。
  15. ^ ヘーゲル『歴史哲学』など
  16. ^ フランツ・ボルケナウ『封建的世界像から近代的世界像へ』みすず書房
  17. ^ または、「成る」 - 「為す」。これらは、丸山が、テンニースゲマインシャフトとゲゼルシャフトの対概念にヒントを得たもの。
  18. ^ 元は1958年10月「岩波文化講演会」で、改稿し『毎日新聞』1959年1月9日-12日に掲載。これは『日本政治思想史研究』で論述した「自然」-「作為」の概念を平易に記述したものともいえる。「権利の上に眠る者」というキーワードを理解し、「である」ことと「する」ことといった、近代社会における「権利」や「自由」について考え、二項対立の思考形式による論理展開[要出典]を学びとることが求められている。平成20年度改訂版 東京書籍「現代文1」(現文031) 高校1年2学期(12月)
  19. ^ J.J.オリガス「発見、再発見」、「みすず」編集部編、『丸山眞男の世界』、p. 58
  20. ^ 世界大百科事典 第2版 コトバンク (2018年7月4日閲覧)
  21. ^ 小説『赤頭巾ちゃん気をつけて』で主人公が憧れる思想家は丸山をモデルにしていると言われる。
  22. ^ 通産審議官を務め、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』をもじった「坂の下の沼」の「町人国家論」などの言説で知られる。
  23. ^ 死後公表された『自己内対語』(みすず書房)による。
  24. ^ 参考文献;丸山真男/福田歓一編『聞き書 南原繁回想録』、東京大学出版会、272頁、269頁。南原繁「日中国交回復の道」『世界』1958年10月号。南原繁/郭沫若「十八年ぶりの日本」『中央公論』1956年2月号。
  25. ^ 高田里恵子 『学歴・階級・軍隊』 中央公論新社 2008年
  26. ^ 『思想の科学』1949年10月号 高田里恵子 『学歴・階級・軍隊』中央公論新社 2008年
  27. ^ 『マックス・ウェーバーの例会にて』高田里恵子 『学歴・階級・軍隊』 中央公論新社 2008年
  28. ^ 2016年2月15日朝日新聞夕刊・連載記事「新聞と9条」特集
  29. ^ a b 山本義隆 私の1960年代
  30. ^ 「収拾の論理」『吉本隆明全著作集 続 10 思想論Ⅱ』
  31. ^ 竹内 2012, p. 326.
  32. ^ 埴谷雄高「時は武蔵野の上をも」(『現代思想 特集丸山真男』1994年1月号、青土社)所収。互いの晩年に出版された、映画・音楽論集『幻視者宣言』(三一書房)に詳しい。
  33. ^ 小熊英二 『〈民主〉と〈愛国〉 戦後日本のナショナリズムと公共性』 (新曜社、2002年)
  34. ^ 「普遍的原理の立場」『丸山眞男座談』7
  35. ^ a b 竹内 2012, p. 330.
  36. ^ 丸山真男集別巻 年譜・著作目録(岩波書店)
  37. ^ 英,伊:dilettante、好事家。学者や専門家よりも気楽に素人として興味を持つ者
  38. ^ 単なる趣味という次元を超えたのめりこみ振りは、大学で丸山に師事してケンウッド役員も務めた音楽仲間の中野雄『丸山眞男 音楽の対話』(文春新書)に詳述されている。
  39. ^ 竹内洋『丸山眞男の時代』中公新書、213-215頁
  40. ^ 吉本隆明『柳田国男論・丸山真男論』、新版 ちくま学芸文庫。吉本ほか『批評とは何か/丸山真男について』吉本隆明研究会編集/吉本隆明が語る戦後55年.12、三交社
  41. ^ 竹内洋『丸山眞男の時代』『革新幻想の戦後史』、すが秀実『革命的な、あまりに革命的な』など
  42. ^ 日本には「西洋における〇〇(民主主義や個人主義の伝統など)がない」という形式。(神島二郎『近代日本の精神構造』P326)
  43. ^ 谷沢永一『悪魔の思想―「進歩的文化人」という名の国賊12人』クレスト社 1996年2月
  44. ^ 梅原猛『美と宗教の発見』(筑摩書房、1969年、新版 ちくま学芸文庫)
  45. ^ 『橋川文三著作集 5』(筑摩書房新版全10巻)より
  46. ^ 情況出版編集部編『丸山真男を読む』(情況出版、1997年)
  47. ^ 斎藤純一「丸山眞男における多元化のエートス」(『思想』第883号、1998年1月)、葛西弘隆「ナショナル・デモクラシーと主体性」(『思想』第896 号、1999年2月)
  48. ^ 「自然」と「作為」という概念を無理にあてはめている等
  49. ^ 水谷三公 『丸山真男』 ちくま新書
  50. ^ 羽入辰郎『学問とは何か』、ミネルヴァ書房
  51. ^ 志村五郎「丸山眞男という人」、鳥のように』筑摩書房、2010年。ISBN 978-4-480-86071-2。
  52. ^ 2018年6月に4巻目を刊行

参考文献[編集]

関連文献[編集]

丸山論は没後に、約100冊近く出版されている。
水林彪末木文美士・澤井啓一・安丸良夫川崎修松沢弘陽、※計8名の思想史論考集
  • 植手通有集3 丸山真男研究 その学問と時代』あっぷる出版社、2015年
  • 福田歓一 『丸山真男とその時代』 岩波書店〈岩波ブックレット522〉。小冊子
  • 宮村治雄 『丸山真男「日本の思想」精読』 岩波現代文庫
  • 宮村治雄 『戦後精神の政治学 丸山真男・藤田省三萩原延壽』 岩波書店
  • 笹倉秀夫 『丸山真男の思想世界』 みすず書房
  • 飯田泰三 『戦後精神の光芒 丸山真男と藤田省三を読むために』 みすず書房
  • 石田雄 『丸山真男との対話』 みすず書房
  • 石田雄・姜尚中 『丸山真男と市民社会』〈転換期の焦点5〉世織書房 
  • 加藤周一日高六郎 『同時代人丸山真男を語る』〈転換期の焦点6〉世織書房、※2冊とも対談のブックレット
  • 都築勉 『戦後日本の知識人 丸山真男とその時代』 世織書房
  • 都築勉 『丸山真男への道案内』 吉田書店
  • 都築勉 『丸山真男、その人 歴史認識と政治思想』 世織書房
  • 山崎正純 『丸山真男と文学の光景』 洋々社
  • 入谷敏男 『丸山真男の世界』 近代文芸社
  • 仲正昌樹 『丸山真男と吉本隆明 〈戦後思想〉入門講義』作品社、2017年
  • 佐藤瑠威 『丸山真男とカール・レーヴィット 近代精神と批判精神をめぐって』日本経済評論社
  • 植村和秀 『丸山真男と平泉澄 昭和期日本の政治主義』〈パルマケイア叢書19〉柏書房
  • 田中浩 『日本リベラリズムの系譜 福沢諭吉・長谷川如是閑・丸山真男』 朝日新聞出版朝日選書
  • 中野敏男 『大塚久雄と丸山真男 動員、主体、戦争責任』 青土社、新装版刊
  • 渡部純 『現代日本政治研究と丸山真男 制度化する政治学の未来のために』 勁草書房
  • 情況出版編集部編 『丸山真男を読む』 情況出版
  • 小林正弥編『丸山真男論 主体的作為、ファシズム、市民社会』〈公共哲学叢書2〉東京大学出版会
  • 今井弘道 『三木清と丸山真男の間』風行社
  • 今井弘道 『丸山真男研究序説 「弁証法的な全体主義」から「八・一五革命説」へ』風行社
  • 富田宏治 『丸山真男 「近代主義」の射程』関西学院大学出版会
  • 田口富久治 『丸山真男とマルクスのはざまで』日本経済評論社  
  • 安川寿之輔 『福沢諭吉と丸山真男 「丸山諭吉」神話を解体する』 高文研
  • 小幡清剛 『丸山真男と清水幾太郎 自然・作為・逆説の政治哲学』 萌書房
  • 中島誠 『司馬遼太郎と丸山真男』 現代書館
  • 北沢方邦 『感性としての日本思想 ひとつの丸山真男批判』藤原書店
  • 今井伸英 『丸山真男と戸坂潤 護憲の論理と丸山政治学の陥穽』 論創社
  • アンドリュー・E・バーシェイ 『近代日本の社会科学 丸山真男と宇野弘蔵の射程』 山田鋭夫訳、NTT出版  
  • 小田村寅二郎『昭和史に刻むわれらが道統』日本教文社 
  • 小田村寅二郎「丸山真男氏の思想と学男の系譜」(『学問・人生・祖国―小田村寅二郎選集』(国民文化研究会))

映像[編集]

  • NHKエンタープライズ編 『ビデオ 丸山眞男と戦後日本』(2巻組:みすず書房、1997年)
1996年にNHKETV特集」で2日間に渡り、「第1巻:民主主義の発見」、「第2巻:永久革命としての民主主義」が放映。
  • 『学問と情熱 丸山眞男――響き続ける民主化への執拗低音』、ナレータ加藤剛
    紀伊國屋書店 ビデオ評伝シリーズ第30巻」 1997年/DVD再版、2004年。
  • NHK Eテレ 『戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第3回 丸山眞男と政治学者たち』
    2014年7月14日放映。90分。丸山の講演テープ、三谷太一郎折原浩らのインタビューなどが含まれている。
東京女子大学図書館
丸山の自宅に近くに在り、東京女子大学の教員とも親交があったことから、丸山が遺した図書資料類や各種草稿資料類が寄贈され、「丸山眞男記念文庫」として収蔵されている。同校は「丸山眞男記念比較思想研究センター」を設置し、丸山の弟子筋にあたる日本政治思想史研究者による公開講座や読書会を毎年開設している。
丸山眞男没後資料目録
詳細な資料書誌だが、2000年までの4年間である。