久太郎町

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久太郎町
坐摩神社
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 大阪府
市町村 大阪市
中央区
人口
2015年(平成27年)10月1日現在)
 • 合計 746人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
541-0056

久太郎町(きゅうたろうまち)は、大阪府大阪市中央区町名。現行行政地名は久太郎町一丁目から四丁目まで。2015年10月1日現在の人口は746人、世帯数は588世帯[1]郵便番号は〒541-0056。

地理[編集]

北は船場中央、南は北久宝寺町、東は東横堀川農人橋を挟んで農人橋(町名)・材木町、西は西横堀川跡の阪神高速1号環状線北行きを挟んで西区阿波座とそれぞれ接する。

河川[編集]

歴史[編集]

もとは農人橋通(中央大通西行き)沿いが北久太郎町、ひとつ南の通り沿いが南久太郎町、渡辺筋沿いが南渡辺町、西横堀川沿いが椹木町(さわらぎちょう)・西笹町という町名だった。1872年明治5年)に西横堀川沿いは横堀5丁目に改編された。

1962年昭和37年)に埋め立てられた西横堀川には篠橋・新渡辺橋が架橋されていた。

渡辺の地名[編集]

北御堂から南御堂にかけての渡辺筋沿いに位置した北渡辺町・南渡辺町は、1930年(昭和5年)に大半が本町南本町・唐物町・北久太郎町へ編入され、南渡辺町の南端部がわずかに残るだけとなり、同時に渡辺町に改称された。

辛うじて残った渡辺町の町名も、1989年平成元年)に北久太郎町・南久太郎町・横堀5丁目の一部と統合されて現行の久太郎町となり消滅した。しかし、坐摩神社渡辺津から船場への遷座と共に移住し、以後町名として続いてきた「渡辺」の名が消えることに反対する運動が渡辺姓の末裔の間で起こり、久太郎町四丁目には全国的にも珍しい番地の代わりに「渡辺」という漢字のつく地名が用いられることになり、大阪府大阪市中央区久太郎町四丁目1番、2番、3番、渡辺の順で街区符号が設定されている[2]

町名の由来[編集]

百済町の転訛説と、織田信長豊臣秀吉に仕えた「堀久太郎秀政」がかつてこの地に屋敷を構えてたことによる説がある。

施設[編集]

難波別院

交通[編集]

鉄道[編集]

道路[編集]

高速
国道
主要地方道

出身者[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 中央区 人口
  2. ^ 住所の番地 なぜ「渡辺」?”. 日本経済新聞 (2016年3月5日). 2018年9月29日閲覧。