久里浜駐屯地

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久里浜駐屯地
所在地 神奈川県横須賀市久比里2-1-1
座標 北緯35度13分53.45秒
東経139度42分41.68秒
駐屯地司令 通信学校長兼務
主要部隊 陸上自衛隊通信学校 ほか
開設年 1938年(大日本帝国海軍)
1950年(陸上自衛隊)
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久里浜駐屯地(くりはまちゅうとんち、JGSDF Camp Kurihama)は、神奈川県横須賀市久比里2-1-1に所在し、陸上自衛隊通信学校等が駐屯する陸上自衛隊駐屯地である。

概要[編集]

警察予備隊発足時の2駐屯地の一つであり、自衛隊としては最も古い駐屯地である。駐屯地内には歴史館が併設され、旧海軍時代の装備から陸上自衛隊に至るまでの遍歴、装備が展示されている。

駐屯地司令は、通信学校長が兼務。なお、本駐屯地には会計隊及び駐屯地業務隊が存在しない(通信学校総務部が兼務)。

沿革[編集]

海軍

米軍等

  • 1945年(昭和20年):終戦により、米軍が使用し、また一時復員局として機能。のちに横須賀市が東京水産大学を誘致。

警察予備隊

  • 1950年(昭和25年)9月17日:警察予備隊久里浜部隊が創設[1]。なお、東京の越中島駐屯地(1960年に廃止)と合わせ、戦後初めての駐屯地。
  • 1951年(昭和26年)
    • 4月20日:第1管区総監部分室が設置[2]
    • 4月30日:警察予備隊総隊学校が設置[2]
    • 5月1日:警察予備隊久里浜部隊を母体に第1管区隊第1連隊が編成。
    • 6月3日:第1管区総監部分室が習志野駐屯地に移転[2]
    • 9月25日:第1連隊が練馬駐屯地へ移駐。
    • 10月15日:衛生学校が開校[3]
  • 1952年(昭和27年)8月1日:保安大学校設置。

保安隊

自衛隊

  • 1954年(昭和29年)
  • 1955年(昭和30年)
    • 3月23日:防衛大学校が小原台(横須賀市走水)へ移転(~4月3日)[2]
    • 7月1日:衛生学校が三宿駐屯地へ移駐。
  • 1960年(昭和35年):臨時特別通信隊が編成完結。
  • 1968年(昭和43年)3月1日臨時特別通信隊が通信標定隊に改編。
  • 1981年(昭和56年)9月21日:通信標定隊が東千歳駐屯地に移駐し北部方面隊直轄の第1電子隊に改編。
  • 1983年(昭和58年)3月24日:東部方面通信群隷下部隊として第106通信運用大隊、第304搬送通信中隊が編成完結。
  • 2001年(平成13年)3月27日:第106通信運用大隊、第304搬送通信中隊が朝霞駐屯地へ移駐。
  • 2002年(平成14年)3月27日:東部方面後方支援隊隷下部隊として、通信教育直接支援中隊を新編。久里浜自動車教習所廃止。
  • 2017年(平成29年):女性自衛官教育隊の一部が久里浜駐屯地に分駐し新隊員教育を開始[7]
  • 2018年(平成30年)3月26日:中央野外通信群第301通信運用中隊が朝霞駐屯地へ移駐、翌27日第301指揮所通信中隊に改編。
  • (時期未定):中央野外通信群の残余(群本部・第101搬送通信大隊)が朝霞駐屯地へ移駐し、代わって女性自衛官教育隊が朝霞駐屯地から移駐予定。

駐屯部隊・機関[編集]

陸上総隊直轄部隊[編集]

防衛大臣直轄部隊・機関[編集]

東部方面隊隷下部隊[編集]

最寄の幹線交通[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 頭号連隊のあゆみ : 創立60周年記念誌(第1普通科連隊編集支援 編)2011年
  2. ^ a b c d e f g (1962)、『自衛隊年表』、防衛庁長官官房広報課 doi:10.11501/1708502
  3. ^ 『波乱の半世紀 陸上自衛隊の50年』朝雲新聞社編集局、朝雲新聞社、2000年9月15日、249頁。ISBN 978-4750980157。
  4. ^ 国立公文書館 デジタルアーカイブ”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 2020年2月8日閲覧。:保安庁法施行令及び保安庁職員給与法施行令の一部を改正する政令(昭和27年政令第437号)
  5. ^ a b 『波乱の半世紀 陸上自衛隊の50年』朝雲新聞社編集局、朝雲新聞社、2000年9月15日、251頁。ISBN 978-4750980157。
  6. ^ 自衛隊法施行令(昭和29年政令第179号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 2016年5月20日閲覧。
  7. ^ 通信教導隊内に編合(自衛隊ニュース2017年5月1日”. 防衛ホーム新聞社. 2018年4月14日閲覧。