九州電気軌道100形電車

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西鉄100形148号 北九州市立交通科学館跡で撮影
門司港に移動し、塗装も復元された148号(2010年4月撮影)

九州電気軌道100形電車(きゅうしゅうでんききどう100がたでんしゃ)は、西日本鉄道(西鉄)北九州線の前身である九州電気軌道が製造した路面電車の一形式である。

概要[編集]

1936年(昭和11年)から1940年(昭和15年)にかけて輸送力増強を目的として57両製造されたボギー車である。

九州電気軌道では枝光線が部分開業した1924年(大正13年)に神戸市電から木造2軸単車を7両譲り受け、初代100形(101 - 107)として使用していたが、1935年(昭和10年)に2両が廃車、5両が熊本市電に譲渡され消滅し、その後に製造された本形式が2代目となる100形の形式称号を付与された。そのため、本形式の導入に先立って1934年(昭和9年)から製造された200形よりも若い番号の形式称号を付与される結果となった。

200形と同様、メーカーは日本車輌製造(日車)と汽車製造東京支店(汽車支店)の2社である。台車は日車製が製造時期によりC-10(ブリル76E2系に類似)またはK-10、汽車製がLH(ボールドウィン54-18L台車に類似)である。

製造時期による相違[編集]

本形式は概ね以下の3グループに分類される。いずれも全長12mで、性能面では同一であるが、車体構造は製造時期により大きく異なっている。

101 - 117[編集]

1936年(昭和11年)に製造された車両。外観は北九州線66形(車体更新前)に準じるが、66形の製造時期に比べ溶接技術が向上したため車体外板の一部が溶接となりリベットの数が少なくなっているのと、側窓の左右寸法が拡大され扉間の窓の数が66形より1枚少ない11枚となっているのが外観上目立つ相違点である。

101 - 111は日車で、112 - 117は汽車支店で製造された。

118 - 137[編集]

1939年(昭和14年)から翌1940年(昭和15年)にかけて製造された車両。この形式より外観が大きく変わり、当時の流行であった流線形を取り入れ正面が若干傾斜している。窓が大型の上段固定下段上昇窓に変更され、扉は両端配置から引き戸の前中配置となり、中扉幅は前扉幅より広い。車両屋根上に固定式の前照灯が設置される。これらは当時の大阪市電の影響を受けたといわれている。

汽車支店製造の118 - 124は屋根が従来と同様の丸屋根であるが、日車製造の125 - 137は屋根が張り上げ屋根に変更された。これ以降、北九州線の新車両は、運輸省規格型の500形10両を除き全て張り上げ屋根となった。福岡市内線や他社の路面電車と比べても張り上げ屋根の導入が早かったと言える。

日車製造の車両は台車がK-10に変更されている。

138 - 157[編集]

1940年(昭和15年)から翌1941年(昭和16年)にかけて製造された車両。138 - 147は日車で、148 - 157は汽車支店で製造された。118 - 137と同様の半流線形車体であるが、汽車支店製造の車両も張り上げ屋根となり、車体の外観が統一されている。

101 - 117と同様、扉が両端配置に戻った。しかし後に118 - 137も扉を両端配置に改められたため、125 - 137との外観上の相違点はなくなった。

運用[編集]

最終的に57両が製造され九州電気軌道の主力となり、西日本鉄道となった後も番号もそのままであった。1945年(昭和20年)8月8日の八幡市への空襲により一部の車両が被災したが、すべて復旧されている。

戦後の一時期に151・152が進駐軍専用車両となり、白一色の塗装に変更され使用されたことがある(のちに解除)。一方、福岡市内線の輸送力不足を補うため、1947年(昭和22年)に120 - 122が福岡市内線に転属し、300形301 - 303となった(1964年に福岡市内線用として製造された300形とは無関係)。

戦後に製造された500形や600形と仕様を合わせるため、1952年(昭和27年)から翌年にかけ改造工事が実施された。主な改造内容は以下のとおりである。

  • 前中扉の118 - 137は扉を前後扉に変更
  • 全車両とも扉を引き戸から折り戸に変更
  • 前照灯の位置を前面窓下設置の固定式に統一(101 - 117は新設、118 - 157は屋根上から移設)
  • 集電装置をトロリーポールからパンタグラフに変更

なお福岡市内線に転属していた301 - 303は福岡市内線の他車と性能が異なり使いにくいこともあり、同線のボギー車の増備が進んだ1952年に北九州線に戻り番号も120 - 122に戻った。この3両も北九州線に戻った際に他車と同様の改造工事が実施されたが、122(福岡市内線303)は福岡所属時に扉配置を前後扉に変更されていた。

昭和30年代には窓枠の交換、車内の蛍光灯化など細かな更新改造が実施されている。

1971年(昭和46年)から内部改装を実施済みの138 - 140・142 - 145・147・148・150の10両にワンマン化改造を実施した。改造内容は600形に類似しているが、本形式では前面方向幕が前面上部右側から上部中央に移設されている。

1972年(昭和47年)から翌年にかけてダイヤ合理化により余剰となった106・107・110・112 - 117が廃車となり、続いて1977年(昭和52年)に福岡市内線の大幅廃止に伴って余剰となったワンマン化改造済の66形300形561形が計46両転入してきたため100形はワンマン化された上記の10両を除いてすべて廃車となった。ワンマン化を受けて残った10両は1978年(昭和53年)から1980年(昭和55年)にかけて更新改造を実施し、138・142・147を除き側面上部固定窓をHゴム支持(いわゆる「バス窓」)にする改造が実施されたが、これらも1985年(昭和60年)の北九州線一部廃止によりすべて廃車となっている。

保存車両[編集]

148は北九州市小倉南区の北九州市交通科学館に保存された。しかし館は2004年(平成16年)4月に閉館し、館の敷地に置かれたままとなっていたが、2010年3月末に、門司港レトロ地区駐車場横に移設された。

参考文献[編集]