亀井茲延

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亀井茲延
時代 江戸時代中期
生誕 享保7年(1722年
死没 宝暦6年4月4日1756年5月2日
改名 八十郎(幼名)、茲延
別名 真昌・満高(別名)
戒名 寛量院殿仁嶽道智大居士
墓所 島根県鹿足郡津和野町の亀井家墓所
官位 従五位下、豊前
幕府 江戸幕府
石見国津和野藩
氏族 亀井氏
父母 父:亀井茲長、母:水野忠周の娘
養父:亀井矩致のち亀井茲満
正室:有馬則維の娘・成仙院
養子:茲胤、養女:(亀井茲胤室)

亀井 茲延(かめい これのぶ)は、石見津和野藩の第5代藩主。津和野藩亀井家6代。

生涯[編集]

享保7年(1722年)、第3代藩主亀井茲親の長男亀井茲長の長男として江戸で生まれる。茲長は世子であったが、享保11年(1726年)に家督を継ぐことなく早世したため、家督は叔父の茲満が相続し、茲延は分家の亀井矩致の跡を継ぐこととなった。

しかし享保21年(1736年)に茲満が早世し、子がなかったため、その養子として家督を相続した。7月1日には第8代将軍徳川吉宗御目見し、12月には従五位下・豊前守に叙位・任官する。しかし元文3年(1738年)に帰国途上の遠江白須賀において発病し、以後は政務を執ることも困難となったため、寛保3年(1743年)閏4月3日に家督を養子の茲胤に譲って隠居した。

宝暦6年(1756年)4月4日に津和野で死去した。享年35。

文学・経済学に優れた一面があり、著書に「斉家知要」がある。