予備予選 (F1)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

予備予選よびよせん、Pre-Qualify)とは、F1において、主に1988年から1992年までと2004年シーズンに行われた予選形式のこと。

なお1987年以前も、1981年1982年モナコグランプリ1982年ベルギーグランプリなど一部のグランプリでは予備予選が実施されている。モナコグランプリの場合は、コースの狭さやピットの作業スペースなどの関係から1986年以前は決勝出走台数が20台に制限されていたため、通常以上に狭き門となっていた。

1988年~1992年[編集]

当時のレギュレーションでは予選への出走台数の上限が30台とされ、予備予選はこれを上回る台数のエントリーがあった際に予選への出走台数を制限するために実施された。1988年は初日午前中のフリー走行が予備予選を兼ね、あらかじめ決められた予備予選対象者の中で上位4台が以降の予選に出走した。エントリー数が増加した1989年以降は、フリー走行前のタイムスケジュールに予備予選の時間が1時間確保されるようになった(通常は初日の朝8時から9時に行われた)。

方式[編集]

直近の成績上位の13チーム26台は予備予選を免除され予選に出走できる。それ以外の成績下位チーム及び新規参戦チームが予備予選の対象とされ、予備予選の上位4台が以降の予選に出走できる。予備予選の対象となるチームを決めるのはシーズン開幕時と後半戦開始時に行われ、開幕時は前年の、後半戦開始時は前年の後半戦とその年の前半戦との合算の、それぞれコンストラクターズ順位により決められる。シーズン前半戦で好成績を残したチームは後半戦の予備予選を免除され、逆に前半戦予備予選を免除されながら振るわなかったチームは、後半戦は予備予選から戦うこととなる。

また、1991年までは1台のみのエントリーも認められていたことから、コンストラクターズ順位によっては、2台エントリーのチームのいずれか一方のみに予備予選出走が義務付けられるケースがあった。1992年前半戦のケースでは、前年の成績からフォンドメタルが予備予選免除となったが、フォンドメタルは前年1台のみのエントリーだったため、この年から2台エントリーしたものの予備予選免除が1台しか認められず、次点のフットワークとともに2台エントリーのうち1台のみが予備予選免除となった[1]

1989年にはイベントにより最大13台のマシンが参加していた予備予選だが、参加台数は徐々に減少していった。1990年終盤にエントリーが30台となったため一度行われなくなったほか、1992年後半に対象チームが相次いで撤退するとエントリーが30台以内に収まり、第11戦ハンガリーグランプリを最後に消滅することとなった。

予備予選の壁[編集]

1989年にターボエンジンが禁止され、全車自然吸気 (NA) エンジンを搭載するレギュレーションが施行された。自動車メーカーが開発していたターボエンジンに比べると、NAエンジンはフォード・コスワース・DFRジャッドなどのカスタマーエンジンを入手することが比較的容易であり、また、NA化を機に新規参入するエンジンサプライヤーもあった。F1への参入障壁が低くなったため、国際F3000選手権からステップアップしたり、新チームを立ち上げる動きが活発化した。

これらの新チームにとって、予備予選は「最高峰カテゴリのハードル」となった。フリー走行よりも前に行われたため、特にセッティングのデータがない新規参入チームは厳しい戦いを強いられた。また、パドックも予備予選で使用されるものには非常に粗末なものしか宛がわれないなど、予備予選対象チームにはかなりぞんざいな扱いがなされていた。予備予選で敗退すると、グランプリの賑わいを見ることなくサーキットを去らねばならなかった。

コローニAGSユーロブルンといった弱小チームは資金難と予備予選の壁に苦しみ、成績が低迷したまま撤退することになった。また、ライフにいたっては一度も予備予選を突破できずに撤退した。

反対に、スクーデリア・イタリアオニクスラルースジョーダンなどは予備予選を危なげなく通過し、決勝でも予備予選免除チームと互角以上に戦い、たびたび入賞を果たし、時には表彰台に昇ることもあった。

日本関連では、1991年にポルシェV12エンジンが不発に終わったフットワーク、1990年にコローニに搭載されたスバルF12エンジン、1989年にザクスピードに搭載されたヤマハV8エンジンが予備予選の厳しさを味わった。鈴木亜久里はザクスピードに所属した1989年に「シーズン16戦全て予備予選落ち」という不名誉な記録を残している。片山右京ヴェンチュリ時代の1992年モナコグランプリで一度予備予選落ちを経験している。1991年日本グランプリとオーストラリアグランプリではコローニから服部尚貴がエントリーしたが、2戦とも予備予選落ちを喫した。

出走チーム[編集]

  • ☆は1カーエントリーチーム、★はチーム2台中1台が予備予選より出走
  • △は新規参入、▲は撤退
  • 斜体は前半期より予備予選に降格、太字は次半期より本予選に昇格
1988年
第1〜8戦(第2〜4戦は予備予選なし) - 5台中4台が予選進出
第9〜16戦 - 5台中4台が予選進出
  • オゼッラニコラ・ラリーニ)☆
  • ユーロブルン(ステファノ・モデナ / オスカー・ララウリ)
  • コローニ(ガブリエル・タルキーニ)☆
  • スクーデリア・イタリア(アレックス・カフィ)☆
1989年
第1〜8戦 - 13台中4台が予選進出
第9〜16戦 - 13中4台が予選進出
1990年
第1〜8戦 - 9台中4台が予選進出
第9~16戦(第15・16戦は予備予選なし) - 9台中4台が予選進出、第11戦以降は7台中4台
  • リジェフィリップ・アリオー / ニコラ・ラリーニ) - 第11戦より本予選に昇格
  • AGS(ヤニック・ダルマス / ガブリエル・タルキーニ)
  • ユーロブルン(ロベルト・モレノ / クラウディオ・ランジェス)▲
  • コローニ(ベルトラン・ガショー)☆
  • オゼッラ(オリビエ・グルイヤール)☆▲
  • ライフ(ブルーノ・ジャコメリ)☆▲
1991年
第1~8戦 - 8台中4台が予選進出
第9~16戦 - 8台中4台が予選進出、第14戦は7台中4台、第15・16戦は6台中4台
1992年
第1~8戦(第1・2・8戦は予備予選なし) - 6台中4台が予選進出
第9~11戦 - 5台中4台が予選進出
  • ヴェンチュリ(片山右京)
  • フォンドメタル(ガブリエル・タルキーニ / アンドレア・キエーザ)
  • アンドレア・モーダ(ロベルト・モレノ / ペリー・マッカーシー)

2004年[編集]

2004年に行われた予備予選は、土曜日に2回行われていた予選セッションのうち最初のセッションのことを指す。

2004年の予選システムでは、まず予選1回目(通常土曜日の午後1時から実施)で前戦のレース結果が下位のものから順番にタイムアタックを行い、それに引き続き(通常土曜日の午後2時から実施)予選1回目で下位のものから順番に予選2回目のタイムアタックを行って、決勝レースのグリッド順位を決定することとなっていた。これにより予選1回目の順位は予選2回目の出走順位を決めるための予備的な意味合いしか持たなくなったために「予備予選」と呼ばれるようになった。

予備予選と予選2回目(本予選)の間の燃料補給は自由に行うことができたため、一般的には予備予選ではほとんど燃料タンクが空に近い状態での走行でタイムを稼ぎ、本予選での出走順位を後に持っていくことが基本セオリーとされていた。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 両チームとも、ドライバー2名のうち、前年のドライバーズランキング下位の者が予備予選に出走した。フォンドメタルはガブリエル・タルキーニが予選から出走しアンドレア・キエーザが予備予選に出走した。フットワークは前年に1ポイントを取っている鈴木亜久里が予選から出走し、ノーポイントだったミケーレ・アルボレートが予備予選に出走した。
  2. ^ チームとしては前年のラルースの継続であり、前年の成績は予備予選免除相当であったが、シャシー製作者が代わったため、規定により新規参戦扱いとなった。

関連項目[編集]