于皇后

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于皇后(うこうごう、488年 - 507年)は、北魏宣武帝皇后本貫河南郡洛陽県

経歴[編集]

于勁の娘として生まれた。伯父の于烈は領軍の位にあり、北魏の政権の中枢にあったが、帝室との姻戚関係がなく、周囲に勧められて于氏を後宮に入れさせた。于氏は宣武帝の貴人となった。501年景明2年)9月、皇后に立てられた。皇子の元昌を生んだが、3歳で夭逝した。507年正始4年)10月、突然に死去し、その死は宮中の秘事とされた。当時の世間は高夫人(のち皇后)の仕業ではないかと噂した。永泰陵に葬られ、順皇后された。

伝記資料[編集]