井上一雄
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井上 一雄(いのうえ かずお、1914年8月1日 - 1949年5月3日)は、日本の漫画家。東京出身。
長野県伊那中学校(現・長野県伊那北高等学校)在学中、肋膜炎を患ったため学校を中退。以後、十数年に渡って闘病生活を送ることになる[1]。左足が不自由ながらも病床で原稿を描き、少年雑誌へ投稿を続けた井上は、1934年に雑誌『少年倶楽部』への投稿が認められて漫画家としてデビューする[1]。戦前は『少年倶楽部』で連載作品を持つ。戦後には関節炎も発症するが、その中で雑誌『漫画少年』に活動の中心を移して執筆活動を続ける。その中でも野球漫画『バット君』が代表作として知られたが、未完のまま34歳で急逝した。
終了を惜しまれた『バット君』は、読者からの応募原稿により作品を継続することを企画[2]。その入選作の修正や補筆を行う新たな作者に福井英一が選ばれることになる[3]。その福井も井上の死から5年後に急逝している。
主な作品[編集]
- 愉快小僧(1938年 - 1941年、少年倶楽部で連載)
- 健ちゃんの鍛錬(1942年、少年倶楽部で連載)
- バット君(1947年 - 1949年、漫画少年で連載)
- 投手の正ちゃん(1948年 - 1949年、野球少年で連載)
出典[編集]
参考文献[編集]
- 『現代日本朝日人物事典』