井口村 (富山県)
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いのくちむら 井口村 | |
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廃止日 | 2004年(平成16年)11月1日[1] |
廃止理由 |
新設合併 福野町、城端町、平村、上平村、利賀村、井波町、井口村、福光町 → 南砺市[1] |
現在の自治体 | 南砺市[1] |
廃止時点のデータ | |
国 |
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地方 | 中部地方、北陸地方 |
都道府県 | 富山県 |
郡 | 東礪波郡 |
団体コード | 16407-1 |
面積 | 11.50km2 |
総人口 |
1,376人 (2004年7月31日) |
隣接自治体 | 井波町、城端町、福野町、福光町、利賀村 |
村の木 | ブナ |
村の花 | 福寿草 |
村の花木 | ユキツバキ |
井口村役場 | |
所在地 |
〒939-1898 富山県東礪波郡井口村蛇喰26番地 |
座標 |
東経136度50分00秒 北緯36度32分20秒 |
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ウィキプロジェクト |
井口村(いのくちむら)は、かつて富山県東礪波郡におかれていた村である。2004年(平成16年)11月1日に合併して南砺市となった[1]。
国内有数のユキバタツバキの自生地があり、日本一の椿村を目指した。
目次
地理[編集]
- 山: 赤祖父山、扇山、大寺山、丸山
- 河川: 山田川、赤祖父川、千谷川
- 湖沼: 赤祖父池
隣接していた自治体[編集]
歴史[編集]
村名は、かつてこの一帯に井口郷があったことに由来する。
江戸時代初期には、井口村の中心集落は「町村(まちむら)」と呼ばれていた。これは中世にこの地点に井口地域の「市」があったことを示している。その後、戦国時代の城端町成立の際に「井口の市」は吸収され、「城端の六斎市(後に九斎市)」の一部となった。
1647年(正保4年)の資料には、福光から井波へ出る道筋として、「福光村 - 一日市(していち)村 - 宗守村 - 町村(後の井口村) - 井波村」とある。
宗守から東へ進まずにあえて南方の「町村」へ向かっているのは「井口の市」が無くなってから70年以上経過し、中世から近世への時代の変化の中にありながら、市場として栄えていた頃の名残が、この時点で薄れていないからとも考えられる。
現在の村は町村制施行時に成立した。 以降、南砺市になるまで一度も合併は行っていない。
沿革[編集]
明治以前[編集]
これ以降、井口氏は石黒荘大光寺郷の『井口』を本拠にして在地化したといわれる。
- 14世紀 - この頃には井口に市があったとされる。
- 1646年(正保3年) - 資料に「町村」の村名が初見。
- 1647年(正保4年) - 福光から井波へ出る道筋の中に町村が出てくる。
明治以降[編集]
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、礪波郡のうち 池尻村、久保村、池田村、蛇喰村、川上中村、井口村、宮後村、広安村の一部、利波河村の一部が合併し、村制施行して井口村が成立。
- 2004年(平成16年)11月1日 - 東礪波郡福野町・城端町・平村・上平村・利賀村・井波町・井口村・西礪波郡福光町が合併し、南砺市となる[1]。
行政[編集]
- 村長: 伊東浩(2004年まで)
地域[編集]
教育[編集]
- 井口村立井口小学校
- 井口村立井口中学校
交通[編集]
道路[編集]
- 都道府県道
- 主要地方道
- 一般県道
バス[編集]
- 福野町営バス
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]
- 椿まつり(3月)
- ふれあいヘラブナ釣り大会(5月)
- ふる里ふれあい夏まつり(8月)
- 椿公園
- 椿ガーデン
- ゆ~ゆうランド・花椿
- トナミロイヤルゴルフ倶楽部
- 井口遺跡
- 井口城趾
脚注[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 井口行政センター - 南砺市
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