井浦祥二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井浦 祥二郎
Syoujirou Iura.jpg
生誕 1902年3月31日
日本の旗 日本 福岡県
死没 (1965-07-06) 1965年7月6日(63歳没)
所属組織 大日本帝国海軍の旗 大日本帝国海軍
軍歴 1924 - 1945
最終階級 海軍大佐
テンプレートを表示

井浦 祥二郎(いうら しょうじろう、1902年明治35年)3月31日 - 1965年昭和40年)7月6日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍大佐

略歴[編集]

福岡県朝倉市出身。旧制福岡県立朝倉中学校より海軍兵学校第51期入校。席次は入校時293名中70番、卒業時255名中31番。太平洋戦争中、軍令部作戦部や第六艦隊などで参謀として潜水艦作戦の立案に携わる。潜水艦に関する航空本部と同様の中央機関の必要性を訴え、潜水艦部の発足に尽力[1]。戦後B級戦犯に問われ巣鴨刑務所に収監された。

人物像[編集]

井浦の自著によれば、将兵の娯楽ために、各地の基地に慰安所を設置することを、軍中央は公然と指示しており、各地の司令部が慰安所の管理をしたという。ペナン島の潜水艦基地司令部に勤務していた時、基地隊司令(兼任)の井浦自身が、同島の慰安婦に関する問題への対応に悩まされ、「わざわざ女性を戦地にまで連れてきたことをかわいそうだ」と感じ、「そのくらいならば、現地女性を慰安婦として募集した方がよかった」という旨を自著で述べている[2]。同期生の妻は戦中の井浦の心遣いに「拝みたいようなときがあった」と述懐している[3]

年譜[編集]

主要著述物[編集]

  • 『潜水艦隊』学研M文庫、2001年。 ISBN 978-4059010616
    • 『潜水艦隊』朝日ソノラマ、1985年。ISBN 4-257-17025-5

脚注[編集]

  1. ^ 『潜水艦隊』朝日ソノラマ pp.111-116
  2. ^ 『潜水艦隊』朝日ソノラマ pp.279-281
  3. ^ 『潜水艦隊』朝日ソノラマ 稲葉通宗「井浦祥二郎君のこと」

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 戦史叢書・第98巻 潜水艦史 防衛庁防衛研修所戦史部編・朝雲新聞社
  • 戦史叢書・第10巻 ハワイ作戦 (防衛庁防衛研修所戦史部編・朝雲新聞社)
  • 日本陸海軍の制度・組織・人事(日本近代史料研究会編・東京大学出版会
  • 海軍兵学校沿革・第2巻(海軍兵学校刊)
  • 海軍兵学校出身者名簿(小野崎誠編・海軍兵学校出身者名簿作成委員会)