亘利城 (尾張国)

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亘利城(わたりじょう)は、戦国時代、現在の岐阜県各務原市川島渡町にあった日本の城である。城というより、広大な城屋敷だったと推測される。

歴史・概況[編集]

戦国時代1533年美濃国戦国大名土岐頼芸の家臣である、松原源吾とその弟である松原内匠によって、尾張国葉栗郡松原島村に築かれる。松原氏は、葉栗郡松原島村(現各務原市)、野中村(現岐南町)を治める、有力な土豪であった。

松原氏は蜂須賀正勝ら他の木曽川流域の土豪と同様、土岐氏斎藤氏織田氏等に仕えている。 松原氏は陰で活躍することが多く、松原源吾は斎藤道三の密命を受け、1544年織田信秀無動寺城を攻めた混乱を利用して、城主の土岐八郎頼香を攻め、自害に追い込んでいる。また、松原内匠は、1566年墨俣城築城の際、松倉城に入り、大工棟梁として指揮をとっている。

1585年、洪水により木曽川の流れは一変し、新たな川筋が尾張国美濃国の境となる。このため、亘利城は、尾張国葉栗郡松原島村から、美濃国羽栗郡松原島村に変更される。

松原島村は木曽川の中洲となったため、水害がひどくなり、亘利城は1586年廃城される。

松原氏一族は、野中村、若宮寺村、平島村(現岐南町)、及び米野村、無動寺村、円城寺村(現笠松町)に移住した。現在もこの地域には松原姓が多く見かけられる。

亘利城の跡地には川瀬氏と野田氏が移住し、現在に至る。今も城屋敷、茶屋敷といった地名(字名)が残っている。また、この地域の地名が渡(わたり)というのは、亘利(わたり)から変化したと考えられている。

関連項目[編集]