京都ホテル
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種類 | 株式会社 |
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市場情報 |
京証 9723
1969年10月1日 - 2001年3月1日 大証2部(廃止) 9723
2001年3月1日 - 2013年7月16日 |
本社所在地 |
![]() 〒604-8558 京都府京都市中京区河原町通二条南入一之船入町537番地の4 |
設立 | 1927年(昭和2年)6月7日 |
業種 | サービス業 |
法人番号 |
6130001023386 ![]() |
事業内容 | 宿泊、宴会、レストラン他 |
代表者 | 福永 法弘(代表取締役社長) |
資本金 | 12.7億円(2016年12月期) |
発行済株式総数 | 1109万1400株(2016年12月期) |
売上高 |
107.1億円 (2016年12月期) |
営業利益 |
6.1億円 (2016年12月期) |
純利益 |
3.4億円 (2016年12月期) |
純資産 |
20.4億円 (2016年12月31日現在) |
総資産 |
187.9億円 (2016年12月31日現在) |
従業員数 |
449人 (2016年12月31日現在) |
決算期 | 12月31日 |
主要株主 |
(株)ホテルオークラ 31.66% (株)ニチレイ 19.33% 中央建物(株) 4.97% (2014年12月31日現在) |
外部リンク | www.kyotohotel.co.jp |
特記事項:各種経営指標は2016年12月期[1] |
株式会社京都ホテル(きょうとホテル、英: The Kyoto Hotel, Ltd.)は、京都府京都市中京区に本社を置くホテル運営会社。主要施設の京都ホテルオークラは京都の老舗ホテルの一つである。
京都ホテルオークラ[編集]
京都ホテルオークラ Kyoto Hotel Okura | |
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ホテル概要 | |
正式名称 | 京都ホテルオークラ |
ホテルチェーン | オークラホテルズアンドリゾーツ |
運営 | 株式会社京都ホテル |
前身 | 京都ホテル |
階数 | 地下4 - 地上17階 |
レストラン数 | 11軒 |
部屋数 | 322室 |
開業 | 1895年3月6日 |
最寄駅 | 京都市営地下鉄京都市役所前駅 |
最寄IC | 名神高速 京都東IC、京都南IC |
所在地 |
〒604-8558 京都府京都市中京区河原町御池 |
位置 | 北緯35度0分41.3秒 東経135度46分10秒 / 北緯35.011472度 東経135.76944度座標: 北緯35度0分41.3秒 東経135度46分10秒 / 北緯35.011472度 東経135.76944度 |
公式サイト | 公式サイト |
京都ホテルオークラの起源は神戸の実業家、前田又吉が1888年に川端二条で創業した旅館「京都常盤」である。前田は旧勧業場跡地(現所在地である河原町御池、幕末期は長州藩邸の所在した場所)の払い下げを受け、1890年に洋風木造建築の「常盤ホテル」を日本土木会社(現・大成建設)の施工で竣工、開業させた。
敷地内にある桂小五郎像
常盤ホテルは1894年に井上喜太郎(也阿弥ホテルの経営者井上萬吉の弟)によって買収され、平安遷都1100年記念式典の行われる1895年に「京都ホテル」として営業を再開。1928年には鉄筋コンクリート構造・7階建ての新館が清水組の設計・施工で完成した。
1991年12月、総合設計制度の適用を受け、高さ60mの高層ビル「京都ホテルおいけ本館」の建設に着手、1994年に竣工した。このホテル改築をめぐっては京都の景観を破壊するとの反対意見も根強く、激しい論争が繰り広げられた。高さ60mは、京都市中心部のビルでは京都駅ビルと並んで最も高い。現在では総合設計制度の活用が廃止されたため、中心市街地にこのような高層ビルを建てることは困難となっている。
2001年に京都ホテルは経営再建策の一環としてホテルオークラとの業務提携を決定、2002年にオークラホテルズ&リゾーツに加盟して本館の名称を「京都ホテルオークラ」に改めた。
会社経営[編集]
株式会社京都ホテルは1927年に設立。1969年10月1日に京都証券取引所に上場、2001年3月1日に大阪証券取引所市場第二部に上場した(大証・京証合併のため)。さらに、2013年7月に大阪証券取引所が東京証券取引所との現物株統合により、東京証券取引所市場第二部に上場した。
1977年以降はニチレイ(旧・日本冷蔵)が筆頭株主となり経営支援を続けていたが、2005年1月にホテルオークラが株式譲渡を受け筆頭株主になった。
系列ホテル・旅館[編集]
閉鎖した系列ホテル[編集]
- 志賀高原ホテル
- 1937年1月 開業。長野県から「志賀高原温泉ホテル」の経営を受託。1960年6月30日分離独立。「株式会社志賀高原ホテル」と改称。1999年閉鎖。2000年12月21日会社清算。建物は地元の財団法人和合会に譲渡され、2002年12月に「志賀高原ホテル歴史記念館」としてオープンした(現在は非公開の模様)。
かつて系列だったホテル[編集]
- いばらき京都ホテル
- 1992年開業。2004年3月に投資会社アセット・マネージャーズに売却。同年6月、アセット・マネージャーズが設立したアセットオペレーターズが経営会社となり、運営をJALホテルズに委託、ホテル日航茨木 大阪と改名したが、2011年3月13日をもって閉館となった。建物は解体され、跡地はマンションとなった。
- たかつき京都ホテル
- 開業当初は京都ホテルが1988年に設立した「高槻ホテル実業株式会社」が経営。1990年12月23日開業。2000年6月30日に会社清算。その後京都ホテルとは資本関係のない高槻地元資本の「高槻ホテル開発株式会社」が経営し、京都ホテルの系列フランチャイズホテルとして運営。経営主体は実質的に開業時のたかつき京都ホテルの不動産所有企業に当たる。2015年1月12日をもって閉館となった。
脚注[編集]
参考文献[編集]
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- 京都ホテルグループ. “京都ホテル 100年ものがたり”. 2012年9月3日閲覧。