人間 (雑誌)

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人間
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ジャンル 文芸雑誌
読者対象 文学愛好者
刊行頻度 月刊
発売国 日本の旗 日本
言語 日本語
出版社 鎌倉文庫
目黒書店
発行人 川端康成久米正雄
編集長 木村徳三
雑誌名コード NCID AN0034365X
刊行期間 1945年12月(第1巻1号) - 1951年8月(6巻8号)
姉妹誌 婦人文庫、人間小説集

人間』(にんげん)は、敗戦後の日本文学界の一時期を風靡した文藝誌。発行元は鎌倉文庫、のち目黒書店。

概要[編集]

1945年12月20日川端康成久米正雄により創刊された。川端の意向で、編集長には木村徳三(もともと改造社時代の『文藝』の編集長だった)が就任。

経営側に鎌倉文士の多くが揃っていた上、敗戦直後の混乱により資料が散逸し、大御所の連絡先しか判明しない状態だったため、創刊号の執筆陣は小宮豊隆吉川幸次郎中村光夫宇野浩二辰野隆高見順今日出海菊池寛谷川徹三坪田譲治永井荷風呉茂一宮城道雄久米正雄大佛次郎北原武夫正宗白鳥川端康成島木健作林芙美子里見弴吉井勇室生犀星高浜虚子といった豪華な顔ぶれとなった。活字でさえあれば飛ぶように売れたとすら言われる世相を背景に売上は好調で、印刷した2万5000部はただちに売り切れた。第2号は5万部、第3号は7万部と部数は着実に伸びて行った。

1946年6月、川端の後押しにより、当時無名だった三島由紀夫の短篇「煙草」を掲載し、反響を呼ぶ。しかし1947年4月、紙の統制で64ページにまでページ数を削減されたため、部数が5万に下落。木村編集長は苦肉の策として、『人間』別冊と銘打ち『人間小説集』を創刊した。

1949年、鎌倉文庫倒産に際して250万円で目黒書店に売却される。目黒書店は教科書専門の出版社だったが、文藝書の分野に進出することを望んでいた。文藝誌編集のノウハウを持たない目黒書店のため、木村と3人の編集部員が引き続き『人間』の編集にあたることとなった。

衰退から休刊へ[編集]

1950年、目黒書店から新年号を発行。8~12月号に、木村の改造社時代の上司小川五郎(筆名高杉一郎)のシベリア抑留記「極光(オーロラ)のかげに」を連載し、大きな反響を呼ぶ。

しかし、1950年の末から部数が再び落ち始めた。木村はその原因を、朝鮮戦争勃発を受けての好況によって日本の社会風潮が現実主義的になり、『人間』の理想主義的編集方針が合わなくなったためではないかと分析した。

さらに、大掛かりな受験参考書シリーズの失敗により目黒書店の経営状態が悪化、1950年4月には自転車操業が始まっていた。『人間』の部数は3万に低下し、社員の月給の支払いが遅延し始め、執筆者への原稿料の支払いも渋滞がちになった。三島の恩人ともいうべき木村編集長が光クラブ事件の小説化を三島に依頼して謝絶され、歴史的名作『青の時代』を新潮社に攫われる結果となったのも1950年のことだった。

やがて目黒書店が不渡り手形を出したため、1951年8月号を最終号として『人間』は廃刊になった。

脚注[編集]

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出典[編集]

参考文献[編集]