仁位村

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にいむら
仁位村
廃止日 1955年3月20日
廃止理由 新設合併
仁位村奴加岳村豊玉村
現在の自治体 対馬市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
下県郡
総人口 4,035
国勢調査、1950年)
隣接自治体 下県郡美津島町奴加岳村、上県郡峰村
仁位村役場
所在地 長崎県下県郡仁位村大字仁位380番地
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仁位村(にいむら)は、長崎県下県郡にあった村。1955年(昭和30年)に西隣[1]奴加岳村と合併し、豊玉村となった。

現在の対馬市豊玉町の東部にあたる。

地理[編集]

対馬島の中部に位置する。村内の大字佐志賀・嵯峨・貝鮒は仁位浅茅湾を挟んで東西に二分される。また上記3大字の西側部分の地域については、地続きでありながら同じ仁位村内の他の各大字と接していない、いわゆる飛地である[2]。このため移動の際は船舶を利用するか、陸路の場合は奴加岳村を経由しなければならない。[3]

  • 山:合戸山、雎鳩岳(ひさごたけ)、烏帽子岳、舟沢山、天神山、高瘤山、樫郷山、阿乃瀬山、遠見山、金蔵山
  • 島嶼:横島、黒島、塔ヶ崎島、多田島、オテンガ島、鬼島、ツヤ島、千切島、前島、タテバ島、松島、チ鳥島、白銀島、二子島
  • 河川:仁位川、曽川
  • 港湾:浅茅湾(濃部浅茅湾、仁位浅茅湾)、大漁湾(おろしかわん)、仁位港、水崎漁港

沿革[編集]

当村域の一帯について、中世は「仁位郡」及び「与良郡」の各一部、近世は「仁位郷」及び「与良郷」の各一部に属した[4][5][6][7][8]。また『津島記事』によれば、仁位郷内には枝村4村を含む21村[9]、与良郷内には1府30村[10]が属していたとされる[7][8]。仁位郷と与良郷は対馬島内の他の各郷とともに明治5年に廃止された[7][8]

  • 1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制施行により、和板村・糸瀬村・横浦村・鑓川村・千尋藻村・曽村・仁位村・佐志賀村・嵯峨村・貝鮒村が合併し下県郡仁位村が発足[11]
  • 1955年(昭和30年)3月20日 - 奴加岳村と合併して豊玉村が発足し、仁位村は自治体として消滅。

地名[編集]

大字を行政区域とする。

  • 糸瀬(いとせ)
  • 貝鮒(かいふな)
  • 嵯峨(さが)
  • 佐志賀(さしか)
  • 曽(そ)
  • 千尋藻(ちろも)
  • 仁位(にい)
  • 鑓川(やりかわ)
  • 横浦(よこうら)
  • 和板(わいた)

名所・旧跡[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1955年3月1日
  2. ^ 長崎県下県郡仁位村(42B0030005)|歴史的行政区域データセットβ版 Geoshapeリポジトリ
    ※上記リンク先地図の着色箇所に加え、佐保浦と貝口浦の間の陸地部分(県道232号線の東側)も仁位村域となる。
  3. ^ この飛地状態は1955年に奴加岳村と合併した事により解消された。但し大字佐志賀・嵯峨・貝鮒が湾や他の大字を挟み分断された「飛び字(あざ)」の状態である事は、合併後も変わらない。
  4. ^ 対馬6町合併のあゆみ 対馬6町合併協議会(総務省 合併デジタルアーカイブ)
  5. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「仁位郡」
  6. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「与良郡」
  7. ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「仁位郷」
  8. ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「与良郷」
  9. ^ 仁位・田(た)・銘(めい )・小綱・大綱・志多浦・卯麦(うむぎ)・佐保・貝口・唐洲・廻・佐志賀・嵯峨・貝鮒・糸瀬・曽(そ)・鎗川(やりかわ)・大千尋藻(おおちろも)・小千尋藻(こちろも)・和板・荷船の各村からなる。上記のうち大千尋藻村と小千尋藻村は江戸時代後期までに千尋藻村と総称されるようになり、荷船村は明治初期までに大綱村の一部に含まれたものとみられる。
  10. ^ 府中である厳原城下のほか、横浦・鷄知(けち)・洲藻・箕形・吹崎・賀志・尾崎・昼浦・島山・大山・犬吠・小船越・鴨居瀬・芦浦・賀谷・濃部・大船越・久須保・緒方・竹敷・黒瀬・根緒・小浦・南室・久田・尾浦・安神・久和・内院・内山の各村からなる。上記のうち内院村は江戸時代初期に与良郷と豆酘郷の境界として分割され、与良郷側の内院村は「与良内院村」とも称する。
  11. ^ 長崎縣令第二十號『対馬の各町村合併及びその名称に関する件[1][2]』長崎県公報 明治41年3月25日付号外

関連項目[編集]