他阿真円
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他阿 真円 | |
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1919年(大正8年)6月10日 - | |
生地 | 愛知県矢作町(現・岡崎市矢作町馬場) |
宗旨 | 浄土教 |
宗派 | 時宗 |
寺院 | 清浄光寺 |
加藤 円住 かとう えんじゅう | |
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生年月日 | 1919年6月10日(100歳) |
出生地 | 愛知県矢作町(現・岡崎市矢作町馬場) |
出身校 |
大正大学専門部 龍谷大学文学部 |
所属政党 | 無所属 |
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当選回数 | 4回 |
在任期間 |
1967年(昭和42年)4月 - 1979年(昭和54年)4月 1980年(昭和55年)10月26日 - 1984年(昭和59年)10月25日 |
他阿 真円(たあ しんえん、本名:加藤 円住(かとう えんじゅう)、1919年〈大正8年〉6月10日 - )は、日本の僧、政治家。時宗の74世法主(遊行上人)、藤沢清浄光寺57世住職(藤沢上人)。岡崎市議会議員を通算4期、市議会議長を1期歴任した。
略歴[編集]
- 1919年(大正8年) : 愛知県矢作町(現・岡崎市矢作町馬場4番地)の誓願寺に生まれる。
- 1932年(昭和7年) : 出家得度。
- 1941年 : 大正大学専門部を卒業し、龍谷大学に編入。軍部に徴集され東南アジアに派遣される。マラリアに感染し入院。
- 1943年 : 誓願寺住職に就任するも、再び軍部に徴集され、東南アジアに派遣される。陸軍少尉として輜重を担う。
- 1945年 : 連合軍の捕虜となり、2年間の強制労働に従事。
- 1947年5月 : 復員[1]。誓願寺住職に戻るも、肺結核となる。
- 1948年11月1日 : 境内に矢作保育園を設立し、園長となる[2]。
- 1967年4月28日 : 岡崎市議会議員選挙に本名で立候補し、初当選。
- 1971年 : 市議選に再選。
- 1975年 : 市議選に3選。
- 1979年 : この年の選挙は不出馬[3]。
- 1980年10月26日 : 解散に伴う市議選に立候補し、通算4期目の当選を果たす。
- 1982年6月 : 議長に就任(1983年11月まで)。
- 1983年 : 岡崎市仏教会会長となる。
- 1984年 : 市議選に落選[3]。
- 1997年(平成9年) : 足下位に就任。
- 2003年3月 : 真光寺住職、法主後継者となる[4]。
- 同年7月23日 : 第74世遊行上人に就任。
受賞歴[編集]
- 1994年、勲五等双光旭日章
エピソード[編集]
2016年11月、97歳で運転免許を返納したことが話題となった[5]。
著作リスト[編集]
論文・記事等[編集]
脚注[編集]
- ^ 『東海新聞』1958年9月22日。
- ^ 矢作保育園の概要 - 矢作保育園のホームページ(愛知県)
- ^ a b 岡崎の選挙記録 - 岡崎市議会議員選挙
- ^ 遊行七十四代 他阿真円上人 - 時宗総本山 遊行寺
- ^ 【TBS】2016年11月15日付「広がる免許の自主返納、免許保有率トップの県でも」
参考文献[編集]
- 『捨ててこそ人生は開ける - 「苦」を「快」に変える力』 東洋経済新報社、2013年6月7日。
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