仲本工事

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仲本なかもと 工事こうじ
本名 仲本 興喜
生年月日 (1941-07-05) 1941年7月5日(79歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都渋谷区
血液型 A型
身長 160cm
言語 日本語
方言 東京方言
最終学歴 学習院大学政治経済学部
グループ名 ザ・ドリフターズ
事務所 渡辺プロダクション

イザワオフィス
他の活動 歌手
作曲家
タレント
配偶者 三代純歌(2012年7月 - )(離婚歴あり)
公式サイト イザワオフィス 仲本工事プロフィール
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仲本 工事(なかもと こうじ、1941年昭和16年〉7月5日 - )は、日本コメディアンミュージシャンギタリスト)。ザ・ドリフターズ(ドリフ)メンバー。ドリフから派生したこぶ茶バンドメンバーとしても活動した。本名は仲本 興喜(なかもと こうき)。

俳優としても活動するほか、2020年からはYouTuberとしての活動も開始している。

東京府東京市渋谷区(現在の東京都渋谷区)出身[1]イザワオフィス所属。バンドでの担当はボーカルギター。血液型はA型。身長160cm、体重66.5kg[2]。両親は共に沖縄県出身(両親は既に他界)。ドリフ映画での呼び名は「メガネ」。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

1941年7月5日、東京市渋谷区で靴職人の父(1901年〜1972年)と母・静江(1921年〜2011年)の元に生まれる。東京都立青山高等学校在学中は300人中7番の秀才で、東京都で2位の成績を残した体操選手という文武両道であり、将来は弁護士になることを志望していた。

同級生に俳優の橋爪功(ただし橋爪は転入生)、二期上には落語家10代目柳家小三治がいた。

大学時代[編集]

学習院大学政治経済学部卒業と同時に教員免許状を取得。大学時代、ジェリー藤尾の営業用[3]ジャズ・バンド「パップ・コーンズ」にセカンドシンガーとして本名で参加(後に仲本コージに改名[4])。この時のバンジョー奏者に高木智之(後の高木ブー)がいた。

ドリフ加入前には加藤英文(後の加藤茶)とともに、クレイジーウエストに参加していたこともある。1963年2月、パップ・コーンズのボーカルとして参加したプロ・ロック・コンテストでバンド賞を受賞する[4]

ドリフターズ加入[編集]

高木の誘いにより1965年1月1日付でドリフターズに加入。高木はいかりやに紹介するギタリストを仲本にするか、同じバンド仲間の青木健にするか少し悩んだが、いかりやがあまりに急いでいたため、すぐ連絡が取れた仲本に声をかけたと述べている[5]。また、当初両親が芸能界入りに反対したため、いかりやが連日仲本の自宅に通って説得したという。

1966年日本武道館で開催されたビートルズ日本公演の前座としてドリフがステージに上がり、『ロング・トール・サリー』(邦題:『のっぽのサリー』)を仲本のリードボーカルで演奏した。

1969年10月、ドリフをメインに据えた国民的バラエティ番組『8時だョ!全員集合』がスタート。仲本もメンバーとしてグループの中枢を支える。

1981年、競馬のノミ行為が発覚し、志村けんとともに書類送検された。志村に比べて賭け金が大きかった事から、『全員集合』のプロデューサーだった居作昌果共々競馬法違反で略式起訴され、罰金刑を受けた。この事件は当時の新聞の社会面やトップを飾り(朝日新聞の見出しは『ノミ馬券だョ!全員集合』)、仲本と志村は以降しばらく『全員集合』をはじめとするテレビ出演を見合わせ、ドリフ全員で出演していた永谷園のテレビCMも、仲本と志村を除く3人のみのバージョンに差し替えられるなど、芸能活動を1か月半自粛した。7月25日放送の『全員集合』での学校コントでは、仲本自身がこの件に関連したネタを披露する場面があった。なお、いかりやも一緒に関わっていたにもかかわらず、実際に摘発されたのは仲本、志村の2人だったという[6]

1982年、妻(紀子夫人)が心不全で亡くなる[7]1985年『全員集合』が終了した。

全員集合終了後[編集]

俳優としての活動を展開し、1990年水戸黄門第19部左甚五郎役を演じる。1991年、美恵夫人と再婚[7]

1997年4月から6月にかけてフジテレビ系で放送されたドラマ『総理と呼ばないで』で官房事務副長官役を演じる。2002年にはSMAP稲垣吾郎ANAのテレビCM「超割(神様編)」で共演し、2003年6月には明治乳業「VAAM」のテレビCMで高橋尚子高木ブーと共演する。2004年にはサザンハリケーン(学習院大学の後輩)のCDジャケットに、2006年にはRAG FAIRのアルバム『オクリモノ』のテレビCMにも登場した。

2006年6月、所属事務所を通じて、美恵夫人と2004年に離婚していたことを発表した。美恵夫人との間には1男2女を儲けていた[7]

2012年7月、27歳下の歌手・三代純歌と3度目の結婚を発表。7月14日に新高輪プリンスホテル「飛天」で披露宴を行った。仲本が三代の楽曲『恋待ちつぼみ』のプロデュースをしたことがきっかけとなり、2006年頃から交際を開始。2008年にはデュエット曲『この街で』を発表している。

2020年9月21日YouTubeを始めること、twitterを始めることを発表。9月21日は母の誕生日で、その日に合わせての発表になる[8]

人物・エピソード[編集]

  • 中学校時代、担任が体操の先生であったことがきっかけで体操をはじめる。渋谷区の大会で団体優勝。高校1年の時には東京都の新人戦で個人総合4位。その後も体操選手として活躍し、ドリフターズのメンバーとなった後も『8時だョ!全員集合』の体操コーナー等で披露していた。また中学生時代の同級生兼バンド仲間に、後にスリーファンキーズのリーダーとして有名になった長沢純がいた[9]
  • 「仲本は確かに若くしてジェリーさんのセカンドを務めるだけあって、歌は巧かった」と高木は述べている(高木ブー『第5の男』p.85)。
  • 芸名の由来は以下に記す二説があり、どちらが正しいかは不明。
    • ドリフ加入後、渡辺プロダクションの先輩にあたるハナ肇に「それにしても、お前はいつも体が工事中だな(怪我が多かったため)。よし、お前は芸名を『仲本工事』にしなさい。」と言われて(高木ブーの証言)。当時は水にちなんだ芸名は縁起が良いとされ、「工事は水たくさん使うだろ」というこじつけも含まれている[10]
    • 仲本自身が本名の「こうき」をあまり好きではなかったため「こうじ(コージ)」と名乗っていたところ、ハナに「こうじはそのままでよい、その代わり道路工事の工事としなさい」と言われる(いかりや長介の著書より)。
  • 仲本といかりやのコンビによる『ばか兄弟』のコントや、サイレントムービーの単独コントのパロディは、仲本のみならずドリフターズの全コントの中でも評価が高く、発売されているDVDにも収録されている。また、体を張ったズッコケなどのリアクション芸も見せる。
  • ドリフのステージで着用している黒ぶちの眼鏡は伊達眼鏡である(コンタクトを装用した上でかけている)。若いころは両眼とも視力2.0を誇っていたという。なお、伊達眼鏡はドリフターズ5人揃った仕事の時のみと限定している。
  • コントでは「要領のいい、リーダーに媚を売る役」、「内心、何を考えているのか分からない役」を演じることが多い。また、得意の床運動(マット体操)を用いた軽快な身のこなしで、いかりやのツッコミを華麗に受け流すコント芸も有名。
  • ドリフ大爆笑』のコントで、棺に入った遺体を演じた際にそのまま眠ってしまい、それがNGにならず実際の放送で使われた。
  • いかりやの著書によれば、実はネタ作りやギャグの才能もあったが、どうすればもっと面白くなるかということに全く興味を示さず、やる気のなさから埋もれていたという。加藤が交通事故を起こして『全員集合』を謹慎した時、見事にその代役を務めた。
  • 渋谷・センター街で「仲本工事の店 居酒屋 名なし」を経営していた(仲本の母が店を切り盛りしていた)が、2005年に閉店した。2017年現在は東京都目黒区で居酒屋「仲本家JUNKAの台所」を経営している[11]
  • 2006年7月13日、高知県内のパチンコ店で財布を落としたが、盗まれたと思い被害届を提出。その後、財布を拾った男性が高知南警察署に届け、同日手元に戻った。
  • 近年は役者としての活動が多い。またライブハウスでソロライブを行うなど、音楽活動も精力的に行っている。
  • 菓子メーカー「ロッテ」の企業コピーである「お口の恋人」は、仲本の母が考案、応募し採用されたもの[12]である。
  • 沖縄で活動するミュージシャン仲本興次は従兄弟で、マーニンネーラン・バンドのドラマーである。日本芸術専門学校特別講師。

ギャグ[編集]

  • 「コ・マ・オ・ク・リ・モ・デ・キ・マ・ス・ヨ」(松下電器のビデオデッキ「マックロード」のCM)
  • じゃんけん決闘(志村とのペア) ※これにより、「最初はグー」が生まれ、全国的に広まったが、仲本ではなく志村の考案によるものである。
  • ばか兄弟(いかりやとのペア)
  • 「加藤(仲本)さん、○○されましたなぁ」「いや〜、参った参った!」(加藤とのペア。後ろを向きながら自分の後頭部を軽く叩く。初期はこの後に荒井注が「私も○○されましたなぁ、いや〜、参った参った」と言おうとしていかりやに「おまえはいい!」と突っ込まれるパターンがウケた)
  • 「二度としません。三度します。」
  • 「おおブレネリ、わたしのおうちはどこ」

出演[編集]

ドリフターズとしての出演は、「ザ・ドリフターズ」を参照のこと。
こぶ茶バンドとしての出演は、「こぶ茶バンド」を参照のこと。

テレビドラマ[編集]

舞台[編集]

映画[編集]

テレビCM[編集]

楽曲[編集]

ザ・ドリフターズこぶ茶バンドとしての活動は各項目を参照。

その他、『うる星やつら』など、80年代アニメに多くの劇中曲を提供している。

OVA[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 山下武『大正テレビ寄席の芸人たち』p.243(東京堂出版、2001年)には「東京・日本橋の靴屋の倅」とある。
  2. ^ クイズ☆タレント名鑑』より
  3. ^ 仲本工事 77歳 今だから語る「いかりやさんとの“バカ兄弟”が一番難しかった」文春オンライン 2018年9月2日
  4. ^ a b ビートルズ来日公演前座もうれつ先生のもうれつ道場 2009年8月30日
  5. ^ 高木ブー 『第5の男』 p.100-101
  6. ^ ドリフターズが「結成50周年」でも再起動しない理由- アサ芸プラス
  7. ^ a b c 64歳仲本工事、離婚していた…ドリフ全員独身に”. ZAKZAK (2006年6月16日). 2018年2月10日閲覧。[リンク切れ]
  8. ^ 仲本工事 [@nakamoto_koji1] (21 September 2020). "こんばんは仲本工事です。みなさん、私のこと覚えてますか?" (ツイート). Twitterより2020年9月21日閲覧
  9. ^ http://ameblo.jp/nagasawa-jun/entry-11102444717.html
  10. ^ 高木ブー 85歳 今だから語る「長さんは僕にだけ、愚痴をこぼした」 文春オンライン, 2018年7月29日
  11. ^ ザ・ドリフターズの仲本工事 現在は居酒屋を経営していると判明”. ライブドアニュース. 2017年8月19日閲覧。
  12. ^ ロッテの広告記事「忙中ガムあり(279)」(日本経済新聞2008年2月14日、42面)における仲本本人のミニエッセイより。
  13. ^ 1994年版は斉藤由貴、2003年版は高野志穂が主役(大石先生)を務めた。
  14. ^ “いつまでバカやれんのかなあ…加藤茶、高木ブー、仲本工事が伊右衛門CMでしみじみ”. お笑いナタリー. (2018年4月20日). https://natalie.mu/owarai/news/278825 2018年4月30日閲覧。 

関連項目[編集]