伊勢神宮

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神宮
Naiku Ise-jingu Grand Shrine 01.JPG
内宮(皇大神宮)(2019年)
所在地 内宮(皇大神宮)
三重県伊勢市宇治館町1番地
外宮(豊受大神宮)
三重県伊勢市豊川町279番地
位置 内宮:北緯34度27分18.00秒
東経136度43分30.63秒
座標: 北緯34度27分18.00秒 東経136度43分30.63秒
外宮:北緯34度29分14.05秒
東経136度42分10.53秒
主祭神 内宮:天照坐皇大御神(天照大御神
外宮:豊受大御神
社格 式内社(大)
二十二社(上七社)
神宮(近代社格超越-対象外)
創建 内宮:垂仁天皇26年
外宮:雄略天皇22年
本殿の様式 唯一神明造
別名 伊勢神宮
札所等 神仏霊場巡拝の道特別参拝
主な神事 伊勢神宮の祭事を参照
地図
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伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。正式名称は地名(伊勢)を冠しない「神宮」(じんぐう)であり[注釈 1]、他の神宮と区別するために伊勢神宮と通称される。

「伊勢の神宮」[1]、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」[2]とも称される。神社本庁の本宗(ほんそう。全ての神社の上に立つ神社)である。

二十二社の中の更に上七社の1社[注釈 2]。また、神階が授与されたことのない神社の一つ[注釈 3]。古代においては宇佐神宮[3]、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟の一つとされた[4]明治時代から太平洋戦争前までの近代社格制度においては、全ての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた。

概要[編集]

伊勢神宮には天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ。天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる[5]。内宮と外宮は離れているため、観光で内宮のみ参拝する人が多いが、外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされている[5]。この参拝順は、2013年の神宮式年遷宮を機に観光客誘致に力を入れるようになった外宮の鳥居前町が広めた[6]

広義には、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた合計125の社宮を「神宮」と総称する[7]。この場合、所在地は三重県内の4市2郡に分布する(後述[8]

他の多くの神社は仏教建築の影響を受け、屋根や塗りの建物に変わっていったが、伊勢神宮は神明造という古代の建築様式を受け継いでいる。これは弥生時代高床式倉庫が起源で、神へのお供え物をする特別な建物だったといわれている。また、式年遷宮が20年に一度行われる(後述)。

伊勢神宮は皇室氏神である天照大御神を祀るため、歴史的に皇室朝廷の権威との結びつきが強く[9]南北朝時代に途絶するまで斎宮が設けられた。現代でも天皇皇后が参拝[10]するほか、内閣総理大臣及び農林水産大臣が年始に参拝することが慣例となっている。

現在の祭主黒田清子(第125代天皇明仁第1皇女子、第126代天皇徳仁妹)、大宮司小松旧侯爵家当主小松揮世久[11]

祭神[編集]

主祭神は以下の2柱。

主祭神以外については、各宮の項目を参照。

神話と創祀[編集]

天孫・邇邇芸命が降臨した(天孫降臨)際、天照大御神は三種の神器を授け、その一つ八咫鏡に「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。」(『日本書紀』)として天照大御神自身の神霊を込めたとされる。この鏡は神武天皇に伝えられ、以後、代々の天皇の側に置かれた。八咫鏡は第10代崇神天皇の治世に大和笠縫邑に移され、皇女豊鍬入姫がこれを祀ることとされた。これは崇神天皇5年、疫病が流行り、多くの人民が死に絶えた。崇神天皇6年、疫病を鎮めるべく、従来宮中に祀られていた天照大御神と倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に移した。天照大神を豊鍬入姫命に託し、笠縫邑に祀らせることにしたのである。

その後は各地を移動し、垂仁天皇25年に現在の伊勢神宮内宮に御鎮座した(「元伊勢」参照)。倭大国魂神を渟名城入媛命に託し、長岡岬[注釈 4]に祀らせたが(現在の大和神社の始まり)、媛は身体が痩せ細って祀ることが出来なかった。

『日本書紀』垂仁天皇25年3月の条に、「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささはた)に祀り、更に還りて近江国に入りて、東の美濃を廻りて、伊勢国に至る。」とあり、皇女倭姫命が天照大御神の神魂(すなわち八咫鏡)を鎮座させる地を求め旅をしたと記されているのが、内宮起源説話である(元伊勢伝承)。この話は崇神天皇6年の条から続き、『古事記』には崇神天皇記と垂仁天皇記の分注に伊勢大神の宮を祀ったとのみ記されている。移動中に一時的に鎮座された場所は元伊勢と呼ばれている。

なお、外宮は平安時代初期の『止由気神宮儀式帳』(とゆけじんぐうぎしきちょう)[注釈 5]によれば、雄略天皇22年7月に丹波国(後に丹後国として分割)の比沼真奈井原(まないはら)から、伊勢山田原へ天照大御神の「御食津神」として遷座したことが起源と伝える。

歴史[編集]

概史[編集]

古代[編集]

皇室の氏神として、天皇以外の奉幣は禁止された(私幣禁断)[7]天武天皇の時代に斎宮が制度化され、『扶桑略記』によれば天武天皇の皇女である大伯皇女が初代とされる。また内宮の式年遷宮も持統天皇の時代の690年に開始され、その2年後に外宮の式年遷宮も開始された[12]。その他、朝廷から例幣使を発遣する神嘗祭月次祭など神宮祭祀の諸制度も整備された。

古代においては、伊勢神宮の経済基盤は律令国家により保証され、神宮の租税を負担する戸である神戸は大和国、伊賀国、伊勢国、志摩国尾張国三河国遠江国の7カ国に1130戸を数え、収穫が伊勢神宮への御饌として献上される神田は361に及んだ[13]。また、伊勢国の度会郡多気郡の二評は神郡とされて伊勢神宮に属し、租庸調などの税は伊勢神宮に収められた[14]。これらの神税を以ってもなお足らぬところがあれば、国庫によりその不足分が補われることとなっていた。

神職は、内宮・外宮・別宮あわせて86名が奉仕する構成となり、内宮では荒木田氏の一族で従七位の者が、外宮では度会氏の一族で従八位の者が禰宜を務めた[15]。禰宜の下には大内人、小内人、物忌、物忌父などの役職が置かれた[15]。この86名の他に、馬飼丁(うまかいのよぼろ)18名、神服織(かんはとり)50名、神麻績(かんおみ)50名の計118名が祭祀に奉仕した[15]。ここまでの人員は伊勢国の土着の者により担われたが、中央からも伊勢と朝廷のパイプ役として大宮司・小宮司・祭主という役職が派遣され、大宮司は正六位上、小宮司は正七位上の大中臣氏から選任、祭主は五位以上の中臣氏から任じられた[15]。なおこの「祭主」は、皇族女性が担う現在の伊勢神宮の祭主とは関連性はない。

神宮に関する法令などの規定については、桓武天皇延暦23年(804年)に作成させた『皇大神宮儀式帳』『止由気宮儀式帳』や、醍醐天皇が作成させ延長5年(927年)に完成した『延喜式』巻4「伊勢大神宮」などに示された。

また、古代においては伊勢神宮や斎宮では「仏」を「中子」、「僧」を「髪長」と言い換えるなど仏教用語を使わない「忌詞」の制度があるなど仏教を忌避する傾向があったが、平安時代以降はその制度も徐々に崩れ、祭主・大中臣永頼が長徳年間に蓮台寺を建立して以降、神宮神主も積極的に氏寺経塚を形成するようになり[16]、僧侶の伊勢神宮参詣も増加した。背景については「神仏習合」を参照。

中世[編集]

中世に入り律令制度が崩壊すると、それまで神戸や神田など律令制に基づく制度を経済基盤としていた伊勢神宮の経済基盤が揺らぎ始めた。そこで、伊勢神宮では11世紀ごろから役夫工米の制度が開始された[17]。この制度は、権門勢家や有力寺社などを問わず、各国の荘園に神宮の役夫工使が在庁官人とともに入り込み、不輸不入などの特権を無視して課税を行う制度である[17]。この制度により、豪農や武士団などの荘園の開発領主層が伊勢神宮を権門勢を上回る権威として認識するようになり、自らの荘園を伊勢神宮に寄進する者も増え、中世には多くの神宮御厨が形成され、これが伊勢神宮の新たな経済基盤となった[17]。これらの取り立ては、中世に入り新しく生じた神主身分である権禰宜を務めた下級神主により担われ、そのような職務に当たった神主を口入神主と称する。口入神主は税の取り立てに当たって伊勢神宮の神威を説き回ったり、伊勢神宮への祈願を取り次いだりしたため、これが東国を含む武士や土豪などの層へも伊勢神宮の信仰が広がる一つの理由となった[18]。そして、朝廷への、そして皇室とその氏神への崇拝もあり、日本全体の鎮守として全国の武士から崇敬された[19]

南北朝時代に入ると、相次ぐ戦乱により伊勢神宮の祭儀にも途絶えるものが出始めた。斎宮制度は延元元年/建武3年(1336年)に祥子内親王の代で途絶し、以後復活されなかった。

中世に盛んになった神仏習合の教説においては神道側の最高神とされた[20]。また、外宮の度会行忠度会家行は、両部神道を援用しつつ伊勢神宮の外宮と内宮の同格を説く伊勢神道度会神道)を唱えた[20]戦国時代に入ると戦乱により神宮領が侵略され、経済的基盤を失ったため、式年遷宮が行えない時代もあった[19]。資金獲得のため、神宮の信者を増やし、各地の講を組織させる御師が台頭した[19]。戦国時代には、尾張国(現在の愛知県西部)の織田信秀のように寄進を行う武将もいた[21]

『伊勢参宮名所図会』(1797年)による内宮の正宮。当時は内宮・外宮ともに板垣も外玉垣もなく、参拝客は玉串御門(現在の内玉垣南御門)前まで行けた。

近世[編集]

安土桃山時代に入ると、戦国時代の戦乱の中で中絶していた神宮の祭祀も復興し始めた。慶光院守悦上人は浄財を募り、まず宇治橋の架け替えを復興した[22]。この意志を継いだ清順上人は後奈良天皇より院号を賜って勧進に奔走し、永禄6年(1563年)に外宮の遷宮が遂行された[22]。さらに次代の周養上人は織田信長から三千寛文の寄付、豊臣秀吉からは金子500枚と米1000石の寄付を受けて内宮の遷宮を遂行するに至り、ここに式年遷宮が完全に復興された[22]。以来式年遷宮は両宮が同年に行われることとなった。

豊臣秀吉が天下を統一すると太閤検地が実施されたが、伊勢国宮川以東は伊勢神宮の神領として検地が行なわれず、神領として保護された[23]徳川家康により江戸幕府が開かれた後も宮川以東の地域は検地が行なわれず、本州では唯一石高制が適用されない地域となった[23]。神宮の神領は、幕府が両宮領として3500、内宮領として500石の朱印を下附して安堵し、さらに二見郷2000石余りを御塩調進領として寄進した[24]。さらに、幕府は遠国奉行の一つとして山田奉行を設置し、伊勢神宮の警衛、造替や修繕、遷宮、神領自治組織の監視、鳥羽港出入船舶の監視といった業務を行わせた[23]。また、中世に断絶していた神宮神嘗祭の際の朝廷からの例幣使発遣も正保4年(1647年)に後光明天皇の特旨により再興された[25]

民衆においては、お蔭参り(お伊勢参り)が流行した[7]。庶民には親しみを込めて「お伊勢さん」と呼ばれ、弥次さん、喜多さんの『東海道中膝栗毛』で語られるように、多くの民衆が全国から参拝した[19][7]。これには、神宮が中世以降、各地に派遣して寄進を募ったり、参拝を進めたりした御師の役割が大きい。住民が資金を積み立てて代表者が参詣する伊勢講も広まった[6]

寛政2年(1790年)、安房国庄屋が自分の代理として愛犬を伊勢に派遣している。以後、犬の伊勢参宮が流行するようになった[26]

近現代[編集]

本皇族浮世絵は、1869年(明治2年)3月11日に明治天皇(画面中央)が御輿に乗って伊勢神宮を参拝したときの様子を描写した作品。

明治2年1869年)、明治天皇が在位中の天皇としては初めて参拝した。天皇による参拝が長期にわたり空白だった理由については諸説が唱えられているが、決定的なものはない。

明治元年神仏分離令が発出されると、伊勢神宮もその影響を受けた。宇治山田では109カ寺が廃寺となり、さらに上述の明治天皇の行幸に際しては1ヶ月前に行幸の道筋にある寺を全て撤去せよとの命令が度会府より出て、宇治山田に残った寺の数はわずか15カ寺となった[27]

明治維新に伴い、神宮の組織も近代化が図られ、神職や神宮傘下の諸社を統括する組織として「神宮司庁」が置かれた。神職の職制は明治4年に改められ、禰宜が内宮と外宮で各5名となり、安政5年(1855年)には内宮68名、外宮79名いた権禰宜もそれぞれ5名と大幅に削減された[28]。さらに大内人、内人、大物忌、大物忌父、大物忌母、物忌神戸などの職制も廃止され、変わって主典(さかん)が両宮に各8名、権主典が各15名、宮掌(くじょう)が各10名設置された[28]。祭主、大宮司、小宮司はそのまま置かれたが、江戸時代には360名程度いた神宮の神職が、この改正により89名程度まで減少することとなった[28]。同時に、神職の世襲制廃止に伴い、これまで神宮の神職を世襲していた荒木田氏や度会氏もその職を解任され、以後は国が神職を選任した[29]。また、これまで全国各地の檀家を回って神宮大麻を頒布したり、参拝者の宿泊や案内の役割を担ってきた御師も廃止された[30]

神宮大麻の頒布業務は、神宮司庁から分離して教派神道の一派となった神宮教院が担当することとなり、明治32年1899年には崇敬者の財団法人である「神宮奉斎会」へと改組された。

司庁の調査により、神宮の摂末社のうちで所在が不明になっていたものの同定や再興、それまで集落の鎮守として村人の崇敬を受けてきた経緯および独自の祭礼との調整などが行われたほか、社殿の規模や様式についても、数次の社殿造替を経て、統一が行われた。神道国教化政策により、全国神社の頂点の神社として位置付けられ、近代社格制度において別格とされた。

祭祀については、大正3年(1914年)の勅令第9号「神宮祭祀令」により規定された[31]。神宮祭祀を大祭・中祭・小祭に区分。神嘗祭、月次祭、祈年祭、新嘗祭、神御衣祭、遷宮祭、臨時奉幣祭が大祭とされた。日別朝夕大御饌祭、歳旦祭、元始祭、紀元節祭、風日祈祭、天長節祭などは中祭とされ、これ以外が小祭に振り分けられた[31]。それぞれの祭祀の細かい祭式については明治8年(1875年)に制定された「神宮明治祭式」に従うこととされた[31]

第二次世界大戦以後は政教分離が図られ、宗教法人神社本庁発足に伴い、全国神社の本宗とされた。内宮前に神宮司庁があり、神職約100人、一般職約500人が奉職している。

佐藤栄作首相が昭和42年(1967年)に参拝して以来、現職内閣総理大臣農林水産大臣が、(正月三が日に多い初詣の混雑を防ぐため)主に1月4日の官公庁仕事始めの日[注釈 6]に参拝するのが慣例行事である。

式年遷宮[編集]

1953年(昭和28年)第59回内宮式年遷宮(上が新殿舎、下が旧殿舎)

神宮式年遷宮は、神宮(伊勢神宮)において行われる式年遷宮(定期的に行われる遷宮)である。原則として20年ごとに、内外両宮の正宮の正殿を始めとする別宮以下の諸神社の正殿を造替して神座を遷し、宝殿、外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎といった全社殿を造替する他、714種1576点の御装束神宝(装束と須賀利御太刀等の神宝)[32]宇治橋等も造り替える[注釈 7]

記録によれば神宮式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇4年(690年)に第1回が行われた[7]。その後、戦国時代の120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、平成25年(2013年)の第62回式年遷宮まで、およそ1300年間行われている[7]

年表[編集]

遷宮に関しては「神宮式年遷宮」を参照。西暦の年月日はユリウス暦によるが、「1871年7月1日」はグレゴリオ暦。年と月の西暦との対応はおおよその目安である。

神宮125社[編集]

神宮が管理する宮社は125社あり、俗に「神宮125社」と呼ばれる。内訳は内外両正宮に別宮14、摂社43、末社24、所管社42。伊勢市だけでなく、三重県内の度会郡大紀町玉城町度会町志摩市松阪市鳥羽市多気郡多気町の4市2郡に分布する。

  • 正宮(しょうぐう) - 皇大神宮 (内宮)豊受大神宮 (外宮)の2宮。
  • 別宮(べつぐう) - 「正宮のわけみや」の意味で、神宮の社宮のうち正宮に次いで尊いとされる[33]
  • 摂社(せっしゃ) - 『延喜式神名帳』に記載されている神社(正宮、別宮を除く)。定義では摂社は全て式内社となるが、戦国時代にほぼ全てが廃絶となり、江戸時代の寛永年間(1630年代)から明治初頭(1870年代)にかけて復興されたため、式内社の比定地とされる場合がある[34]
  • 末社(まっしゃ) - 『延暦儀式帳』に記載されている神社(正宮、別宮、摂社を除く)。
  • 所管社(しょかんしゃ) - 正宮・別宮・摂社・末社以外の神社。
正宮 内宮 皇大神宮 三重県伊勢市宇治館町 位置
外宮 豊受大神宮 三重県伊勢市豊川町 位置
別宮 内宮 荒祭宮 (内宮境内) 位置
月讀宮 三重県伊勢市中村町 位置
月讀荒御魂宮 (月讀宮境内
伊佐奈岐宮 (月讀宮境内)
伊佐奈弥宮 (月讀宮境内)
瀧原宮 三重県度会郡大紀町滝原 位置
瀧原竝宮 (瀧原宮境内)
伊雑宮 三重県志摩市磯部町上之郷 位置
風日祈宮 (内宮境内) 位置
倭姫宮 三重県伊勢市楠部町 位置
外宮 多賀宮 (外宮境内) 位置
土宮 (外宮境内) 位置
月夜見宮 三重県伊勢市宮後 位置
風宮 (外宮境内) 位置
摂社 内宮 朝熊神社 | 朝熊御前神社 | 園相神社 | 鴨神社 | 田乃家神社 | 田乃家御前神社 | 蚊野神社 | 蚊野御前神社 | 湯田神社 | 大土御祖神社 | 国津御祖神社 | 朽羅神社 | 宇治山田神社 | 津長神社 | 堅田神社 | 大水神社 | 江神社 | 神前神社 | 粟皇子神社 | 川原神社 | 久具都比賣神社 | 奈良波良神社 | 棒原神社 | 御船神社 | 坂手国生神社 | 狭田国生神社 | 多岐原神社
外宮 草奈伎神社 | 大間国生神社 | 度会国御神社 | 度会大国玉比賣神社 | 田上大水神社 | 田上大水御前神社 | 志等美神社 | 大河内神社 | 清野井庭神社 | 高河原神社 | 河原神社 | 河原淵神社 | 山末神社 | 宇須乃野神社 | 御食神社 | 小俣神社
末社 内宮 鴨下神社 | 津布良神社 | 葭原神社 | 小社神社 | 許母利神社 | 新川神社 | 石井神社 | 宇治乃奴鬼神社 | 加努弥神社 | 川相神社 | 熊淵神社 | 荒前神社 | 那自賣神社 | 葦立弖神社 | 牟弥乃神社 | 鏡宮神社
外宮 伊我理神社 | 県神社 | 井中神社 | 打懸神社 | 赤崎神社 | 毛理神社 | 大津神社 | 志宝屋神社
所管社 内宮 滝祭神 | 興玉神 | 宮比神 | 屋乃波比伎神 | 御酒殿神 | 御稲御倉 | 由貴御倉 | 四至神 | 神服織機殿神社 | 神服織機殿神社末社八所 | 神麻続機殿神社 | 神麻続機殿神社末社八所 | 御塩殿神社 | 饗土橋姫神社 | 大山祇神社 | 子安神社
外宮 御酒殿神 | 四至神 | 上御井神社 | 下御井神社
瀧原宮 若宮神社 | 長由介神社 | 川島神社
伊雑宮 佐美長神社 | 佐美長御前神社

参道[編集]

伊勢街道、伊勢本街道、参宮街道を初めとして、多方面から、参拝道を兼ねる街道が整備された(「伊勢参宮街道」参照)。

東海道大坂から)の伊勢別街道では、分岐点の関宿に一の鳥居が立つ(位置)。元は内宮前の宇治橋両端に立つ鳥居のうち内側の鳥居で、式年遷宮の時に建て替えられる。

東海道(江戸から)の伊勢国入り口の七里の渡しにも一の鳥居が立っており(位置)、元は宇治橋の外側の鳥居で、こちらも式年遷宮の時に建て替えられる。さらに伊勢街道分岐点の日永の追分には、二の鳥居が立つ(位置)。

御料地[編集]

神宮神田[編集]

神饌用のは、全て神宮神田で栽培されている。品種は、粳米ではチヨニシキ、イセヒカリ、みえのみえ、キヌヒカリあきたこまち、ナギホ、ニシホマレ等、餅米では神楽糯、あゆみもち等である。天候不順や災害等の被害を最小限に留める為、多くの品種を育て、田植えは時期をずらして行われる。4月には神田下種祭、5月には神田御田植初、9月には抜穂祭がそれぞれ斎行され、豊作が祈願が行われる。所在地は三重県伊勢市楠部町。

神宮御園[編集]

神饌用の野菜・果物は、全て神宮御園で栽培されている。品目は50種類程である。供進される野菜や果物は、祭祀によってその品目と数量が定められている他、盛りつける土器の大きさも決められている為、それにあった大きさに育てる様細心の注意を払う必要がある。毎年春分の日には御園祭が斎行され、豊作と作業関係者の安全が祈願される。所在地は三重県伊勢市二見町溝口。

御塩浜[編集]

神饌用の御は、荒塩を焼き固めた堅塩が用いられる。荒塩の原料となる鹹水は全て御塩浜で採取され、御塩汲入所に運ばれる。採鹹作業は毎年7月下旬から8月上旬の土用頃の時期、約1週間程かけて行われる。所在地は三重県伊勢市二見町西。

御塩汲入所[編集]

前述の通り、御塩浜で採取された鹹水は、全て御塩汲入所に運ばれる。運ばれた鹹水は、隣接する御塩焼所にて鉄の平釜で炊き上げられ、荒塩にされる。炊き上げ作業は交代で火を焚き続けながら、一昼夜かけて行われる。所在地は三重県伊勢市二見町荘。

神宮鰒調製所[編集]

神饌用の鰒(アワビ)は、全て神宮鰒調製所で乾燥させられたものが用いられる。その由来は、倭姫命が志摩国を巡行した際、国崎の海女おべんが鰒を差し出したことから、御贄処として定められたとされる。毎年6月から8月にかけ、古式ゆかしく身取鰒・玉貫鰒と呼ばれる熨斗鰒に調製されており、その技法は県の無形民俗文化財に指定されている。所在地は三重県鳥羽市国崎町。

神宮干鯛調製所[編集]

神饌用の干鯛は、全て神宮干鯛調製所で乾燥させられたものが用いられる。干鯛は、島周辺で水揚げされた内臓を取り除き、塩水につけた後、晴天の日に2日間ほど乾燥させて調製されたもので、御幣鯛とも呼ばれる[35]。所在地は愛知県知多郡南知多町大字篠島

神宮土器調製所[編集]

神宮で用いる土器は全て神宮土器調製所で焼かれた土師器が用いられる。神宮では、一度使用した土器は細かく粉砕し土中に埋めることになっている為、年間約6万個の土器が調製される。所在地付近は、高天原から埴土を移したという伝承があり、良質な粘土に恵まれていることから、皇大神宮鎮座当時から土器を調製してきたとされている。所在地は三重県多気郡明和町蓑村。

神服織機殿神社八尋殿[編集]

神宮で供進される和妙は、全て神服織機殿神社八尋殿で奉織される。和妙とは、神御衣祭の際、皇大神宮及び荒祭宮に奉献される反物のことを指す。皇大神宮鎮座当初には、五十鈴川のほとりに宇治の機殿を建て、天上の儀式に則りの和妙を奉織していたと伝えられるが、天武天皇の御代に紡績業の盛んな現在地に移されたとされる。現在は、神御衣祭を控えた5月と10月に神職が参向し、奉織が行われる。奉織前の5月1日・10日1日には神御衣奉織始祭が、奉織後の5月13日・10月13日には神御衣奉織鎮謝祭が、それぞれ斎行される。所在地は三重県松阪市大垣内町。

神麻続機殿神社八尋殿[編集]

神宮で供進される荒妙は、全て神麻続機殿神社八尋殿で奉織される。荒妙とは、神御衣祭の際、皇大神宮及び荒祭宮に奉献される反物のことを指す。現在は、和妙と同様に、神御衣祭を控えた5月と10月に神職が参向し、奉織が行われる。奉織前の5月1日・10日1日には神御衣奉織始祭が、奉織後の5月13日・10月13日には神御衣奉織鎮謝祭が、それぞれ斎行される。所在地は三重県松阪市井口中町。

文化施設・教育施設[編集]

神宮徴古館[編集]

神宮農業館[編集]

式年遷宮記念神宮美術館[編集]

式年遷宮記念せんぐう館[編集]

第62回神宮式年遷宮を記念して、外宮宮域内に開館した博物館施設。20年に1度行われる神宮式年遷宮の祭典をはじめ、装束神宝奉製や社殿造営の技術を未来へ継承する為、その製作工程や豊受大神宮正殿の原寸模型などを展示している。

神宮文庫[編集]

神宮研修所[編集]

神宮研修所は、神社本庁指定の神職養成機関である。高等学校卒業以上25歳未満の男子のみ入学可能であり、全寮制(寮費・食費無料)、入学金・授業料無料、奨学金支給、制服白衣白袴貸与が特徴である。2年間の課程を修了した者には、神社本庁より正階の神職階位が授与される。所在地は三重県伊勢市中村町桜が丘。

神宮五十鈴川幼稚園[編集]

神宮五十鈴川幼稚園は大正4年5月1日、宇治山田市(現伊勢市)の青年会第1支会の事業として創立37年を閲した昭和27年7月15日、園主徳井利左衛門を始め市民らの要望により経営を神宮司庁に移管、園名を「神宮五十鈴川幼稚園」に改めた。当園は神宮の公営事業の一環として神宮司庁が運営し、設置者は神宮大宮司、神宮司庁文教部に所属し同部長または次長が園長に就任、平成4年以降は園務長と改称、その指揮下に主任教諭の園長を置いている。毎朝、全員で園内の神殿にて朝拝が行われる他、随時神宮参拝の行われることが特色である。所在地は三重県伊勢市宇治中之切町。

神宮高倉山幼稚園[編集]

前身は、昭和24年、私立厚生小学校内に開設された厚生幼稚園である。当初、小学校の教室・講堂等の一部を借用し保育が行われ、同28年には園舎建設のため同小学校PTAと地域住民により厚生幼稚園育成会が結成され、園舎竣工に先立つ昭和29年、育成会に運営が移管された。昭和44年、折からの児童数の激増により運営基盤の確立と施設拡充を図るべく、育成会は、同園を神宮司庁に移管することを決定、同年12月に神宮高倉山幼稚園と改称し設立認可を受け、翌年3月31日を以って厚生幼稚園が廃園、4月1日神宮高倉山幼稚園が開園した。同年4月13日に第1回入園式を挙行。厚生幼稚園からの編入児と新入児合せて192名が入園した。神宮司庁では、既に姉妹園である神宮五十鈴川幼稚園の保育と運営の実績があり、園の運営は開園当初より順調に行われた。当園は神宮司庁の公益事業の一環として運営され、設置者は神宮大宮司、文教部に属し同部長または 次長が園務長に就任し、その指揮下に主任教諭の園長を置いている。現園舎は、厚生中学校の跡地を購入し建設。昭和44年竣工。尚、教育方針の詳細及び行事等に就いては神宮五十鈴川幼稚園と同様である。所在地は三重県伊勢市八日市場町。

関係地[編集]

神宮宮域林[編集]

神宮が所有している森林を「神宮宮域林」と言い、「伊勢神宮の森」とも呼ばれる。面積は約5450ヘクタールと広大で、伊勢市全体の森林の約半分を占める。聖域として、大滝祭(7月)以外は立入禁止区域となっている[36]。宮域林は三重県伊勢市の南部に位置し、五十鈴川の水源である神路山島路山高倉山の3山からなる。第一回遷宮以来御杣山として遷宮に用いられるヒノキ御用材を産出していたが、鎌倉時代中期以降、樹木不足が原因で御杣山は宮域林を離れた。現在では木曽国有林から産出される材で御用材を賄っている。宮域林では、再び御用材を自給することを目標に大正12年に「神宮森林経営計画」を策定し、それに従って造林・育成がなされている。生態的機能・水源涵養を主眼とした針広混交林施業を行っている[37]。毎年約2万本のヒノキを植樹している。

佐八苗圃[編集]

神宮の祭事に使用する(さかき)などを育てる「佐八苗圃(そうちびょうほ)」がある。伊勢市内の1.7ヘクタールに約2万の榊が栽培されている[要出典]

金剛證寺[編集]

金剛證寺は神仏習合時代、伊勢神宮の丑寅(北東)に位置するため「伊勢神宮の鬼門を守る寺」として伊勢信仰と結びつき、「伊勢へ参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」[38]といわれ、伊勢志摩最大の寺となった。虚空蔵菩薩眷属である雨宝童子が祀られており、当時は天照大御神の化現と考えられたため、伊勢神宮の奥の院とされた。[39]それらから、仏事に用いられる(しきみ)ではなく、神事に使われる榊が供えられる、全国でも珍しい寺である[40]

祭事[編集]

年間祭事[編集]

  • 月次祭(つきなみさい)
    • 内宮6月16日22時、6月17日2時
    • 外宮6月15日22時、6月16日2時
    • 内宮12月16日22時、12月17日2時
    • 外宮12月15日22時、12月16日2時
    • 神嘗祭と共に三節祭と呼ばれ、最も重要な祭事の1つとされ、外宮内宮両正宮に続き、別宮、摂社、末社、所管社で25日まで行われる。
  • 神嘗祭(かんなめさい)
    • 内宮・由貴夕大御饌10月16日22時
    • 外宮・由貴夕大御饌10月15日22時
    • 内宮・由貴朝大御饌10月17日2時
    • 外宮・由貴朝大御饌10月16日2時
    • 月次祭と共に三節祭と呼ばれ、最も重要な祭事の1つとされ、外宮内宮両正宮に続き、別宮、摂社、末社、所管社で25日まで行われる。天照大御神に新穀を奉ることを主とした祭祀で、飯・と白酒・黒酒が奉られる。17日正午には勅使も参向し、天皇は皇居において神宮を遥拝する。祭典に先立っては興玉神祭や御卜が行なわれ、大御饌に際しては瑞垣の四方に神饌を祀る瑞垣神饌という神事も行われる[41]
  • 風日祈祭(かざひのみさい)
    • 5月14日内宮9時、外宮5時
    • 8月4日内宮9時、外宮5時
  • 御酒殿祭
    • 6月1日内宮御酒殿10時
    • 10月1日内宮御酒殿10時
    • 12月1日内宮御酒殿10時
  • 神御衣奉織始祭(かんみそほうしょくはじめさい)
    • 5月1日神服織機殿神社、神麻続機殿神社、各9時
    • 10月1日神服織機殿神社、神麻続機殿神社、各8時
  • 神御衣奉織鎮謝祭(かんみそほうしょくちんしゃさい)
    • 5月13日神服織機殿神社、神麻続機殿神社、各8時
    • 10月13日神服織機殿神社、神麻続機殿神社、各8時
  • 神御衣祭(かんみそさい)
    • 5月14日内宮12時、荒祭宮(正宮の後)
    • 10月14日内宮12時、荒祭宮(正宮の後)
    • 和妙(にぎたえ)と荒妙(あらたえ)の神御衣を奉る。
  • 大祓(おおはらえ)
    • 6月30日:夏越(なごし)大祓
    • 12月31日:年越(としこし)大祓
    • その他大祭の前月末日

毎日の祭事[編集]

  • 日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)

文化財[編集]

神宮祭主職舎本館(重要文化財、左奥の建物)
神宮徴古館(登録有形文化財)
神宮農業館(登録有形文化財)

国宝[編集]

重要文化財(国指定)[編集]

  • 紙本著色伊勢新名所絵歌合
  • 神宮古神宝類(明細は後出)
  • 太刀 銘吉信(附 糸巻太刀拵)
  • 太刀 銘次家
  • 太刀 銘俊忠(附 糸巻太刀拵)
  • 刀 折返銘有国
  • 毛抜形太刀
  • 古事記上巻 1冊 応永三十三年春瑜書写奥書
  • 古事記裏書 1冊 応永三十一年道祥書写奥書
  • 古文尚書 13巻 自正和元年至正和三年清原長隆伝授奥書
  • 神宮法楽和歌 16巻 霊元天皇以下歴代天皇宸翰
  • 日本書紀私記 応永三十五年髪長吉叟書写奥書
  • 日本書紀私見聞(道祥自筆本、応永三十三年抄出奥書)1冊・日本書紀私見聞(春瑜自筆本)2冊
  • 皇太神宮儀式帳残巻・等由気太神宮儀式帳
  • 度会氏系図(元徳元年十一月注進本)
  • 天養記[42]
  • 神鳳鈔(附:神鳳鈔御巫本)[43]
  • 氏経卿神事記[44]
  • 氏経卿引付 7冊[45]
  • 金銅透彫金具 - 静岡県浜松市浜北区根堅出土
  • 据台付子持はそう(「はそう」の漢字は左が「瓦」、右が「泉」)福岡市西区羽根戸出土
  • 角屋家貿易関係資料(明細は後出)
  • 渋川春海天文関係資料(明細は後出)
  • 神宮祭主職舎本館(旧慶光院客殿)[46] - 所在:伊勢市宇治浦田

出典:2000年までの国宝・重要文化財指定物件については『国宝・重要文化財大全 別巻』(毎日新聞社、2000年)の「所有者別総合目録」「名称総索引」「統計資料」による。

国の登録有形文化財[編集]

国の選択無形民俗文化財[編集]

国の史跡[編集]

  • 旧林崎文庫(伊勢市宇治今在家町所在)[51]

鳥居前町[編集]

門前町に相当する鳥居前町としては、内宮は宇治、外宮は山田がある。中世はそれぞれ自治都市であり、戦国時代には合戦に及んだこともある(「山田三方」参照)。また両地区の間にある古市は江戸時代、参拝後に精進落としとして立ち寄る人が増えて遊廓などが立地する歓楽街を形成した。3地区とも、太平洋戦争末期の宇治山田空襲で古い建物の多くが焼失した[6]

戦後、観光バスが鳥居近くに直行するようになり、宇治も山田も普通の市街地や住宅地と化した。宇治では1993年の式年遷宮を機に、おかげ横丁など観光地らしい商店街としておはらい町を整備。伊勢市駅前など外宮周辺でも2013年の式年遷宮を機に観光客向けの店舗開業などが進んだ[6]

おみくじ[編集]

伊勢神宮にはおみくじがない[52]。神宮側の見解としては、おみくじは日頃から参拝できる身近な神社で引くものであることと、「一生に一度」とされたお伊勢参りをした日が大吉でないわけがないことを理由として挙げている[53]。「伊勢神宮では個人的な吉凶を占うことがはばかられるから」という別の説もある[54]

おかげ横丁では、犬の置物とセットになった「おかげ犬」のおみくじ[52]や「おかげ干支みくじ」[55]が売られているほか、第三銀行おかげ横丁出張所では利用明細票に運勢を表示するおみくじ機能付き現金自動預払機(ATM)を設置している[56]

その他[編集]

全日本大学駅伝の光景
  • 毎年11月に開かれる全日本大学駅伝対校選手権大会熱田神宮西門 - 伊勢神宮間)では、内宮で五十鈴川にかかる宇治橋前のロータリーが106.8kmのゴール地点となる[57]
  • 歌手の倉木麻衣が第62回伊勢神宮式年遷宮奉祝「TOKYO FM奉納歌謡公演」にて歌の奉納を行う。場所は伊勢神宮内宮にある参集殿奉納舞台で行われ、女性ポップス歌手として神宮公式奉納は初となる。
  • 三重県最大の観光スポットであり、式年遷宮が行われた2013年には内宮・外宮合わせて14,204,816人(前年比176.9%)が来訪した[58]
  • 伊勢神宮周辺では昭和30年代、民間団体が寄付を募り石灯籠を建てた[59]。その後、民間団体は解散して保守点検もされず、2018年3月時点で、石灯籠は国道に99基、県道に329基、市道沿いに8基、市営駐車場周辺に84基の合計520基が残存していた[59]。2018年4月の石灯籠落下による歩行者死亡事故を受け[60][59]2018年4月、国、県、市で早急に全520基を、撤去すると発表された[61]。同年11月29日には撤去が完了した[60][59]
  • 毎年4月になると、大相撲春巡業の一環として伊勢神宮奉納相撲が行われる[62]

所在地[編集]

交通[編集]

内宮まで[編集]

鉄道[編集]

自家用車[編集]

外宮まで[編集]

鉄道[編集]

バス[編集]

  • 三重交通「外宮前」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)
  • 三重交通「伊勢市駅前」バス停下車 (下車後徒歩5分)

自家用車[編集]

補足事項[編集]

  • 外宮から内宮へは、徒歩で約50分(バス運行あり)。
  • 大鳥居より内にはを連れて入れない[64]。内宮の参拝時には、大鳥居の横に位置する警備室の裏にある中型犬の犬舎で、参拝の間犬を預かってもらえる[64]。小型犬の場合はバスケットやケージを持参すれば、その中に入れて預かってくれる[64]

脚注[編集]

注釈[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 法人としての名称も「神宮」であり、事務をつかさどる機関として「神宮司庁」がある。主たる事務所の所在地は伊勢市宇治館町1番地(神宮司庁の所在地)。
  2. ^ 残りの6社は石清水八幡宮賀茂別雷神社賀茂御祖神社松尾大社平野神社春日大社
  3. ^ 神宮で、神階が無いのは伊勢神宮と日前神宮、國懸神宮の3宮だけである[要出典]
  4. ^ 垂仁紀に「穴磯邑の大市長岡岬に祀った」とある。
  5. ^ 延暦23年(804)に度会宮(外宮)禰宜・内人が神祇官に提出した外宮の伝承・祭祀などについて記した書。
  6. ^ カレンダーの日割りによっては1月5日又は6日になる場合もある。
  7. ^ 明治時代以降、式年遷宮の時に宇治橋が架け替えられるようになり、昭和24年(1949年)以降は式年遷宮の4年前に、架け替えられるようになった[要出典]

出典[編集]

  1. ^ 伊勢の神宮”. 神社本庁. 2012年2月21日閲覧。
  2. ^ 神宮について”. 伊勢神宮. 2012年2月19日閲覧。
  3. ^ 宇佐市について”. 宇佐市観光協会. 2012年1月1日閲覧。 “古代より栄え-、神仏習合の八幡神が誕生し-、内なる伊勢、外なる八幡の二所宗廟として発展-”
  4. ^ 当宮について 歴史と信仰”. 石清水八幡宮. 2012年1月1日閲覧。
  5. ^ a b 神道の本[要ページ番号]
  6. ^ a b c d 【はじまりを歩く】お伊勢参り(三重県)『朝日新聞』土曜朝刊別刷り「be」2021年5月15日6-7面(同日閲覧)
  7. ^ a b c d e f 日本の神々の事典[要ページ番号]
  8. ^ 幻想地名事典』55頁
  9. ^ 井上順孝『神道』[要ページ番号]
  10. ^ 天皇陛下「親謁の儀」で伊勢神宮外宮ご参拝 産経新聞ニュース(2019年11月22日)2021年5月15日閲覧
  11. ^ 「伊勢神宮大宮司に小松氏 祖父が元皇族」日本経済新聞ニュースサイト(2017年7月3日配信の共同通信記事)2021年5月15日閲覧
  12. ^ 伊勢文化舎・伊勢商工会議所編『検定お伊勢さん公式テキストブック』伊勢文化舎・伊勢商工会議所発行(2006年)62頁
  13. ^ 西垣晴次『お伊勢参り』岩波新書(1983年)42頁
  14. ^ 伊勢文化舎・伊勢商工会議所編『検定お伊勢さん公式テキストブック』伊勢文化舎・伊勢商工会議所発行(2006年)80頁
  15. ^ a b c d 西垣晴次『お伊勢参り』岩波新書(1983年)41頁
  16. ^ 伊勢文化舎・伊勢商工会議所編『検定お伊勢さん公式テキストブック』伊勢文化舎・伊勢商工会議所発行(2006年)81頁
  17. ^ a b c 西垣晴次『お伊勢参り』岩波新書(1983年)44頁
  18. ^ 西垣晴次『お伊勢参り』岩波新書(1983年)46-48頁
  19. ^ a b c d 知識ゼロからの伊勢神宮入門[要ページ番号]
  20. ^ a b 神仏習合の本[要ページ番号]
  21. ^ 谷口克広信長と家康:清須同盟の実体』(学研新書)。[要ページ番号]
  22. ^ a b c 伊勢文化舎・伊勢商工会議所編『検定お伊勢さん公式テキストブック』伊勢文化舎・伊勢商工会議所発行(2006年)64頁
  23. ^ a b c 伊勢文化舎・伊勢商工会議所編『検定お伊勢さん公式テキストブック』伊勢文化舎・伊勢商工会議所発行(2006年)95-97頁
  24. ^ 岡田莊司編『日本神道史』吉川弘文館(2010年)197-198頁
  25. ^ 岡田莊司編『日本神道史』吉川弘文館(2010年)197頁
  26. ^ 谷口研語『犬の日本史―人間とともに歩んだ一万年の物語―』吉川弘文館、147頁。
  27. ^ 西垣晴次『お伊勢参り』岩波新書(1983年)15頁
  28. ^ a b c 西垣晴次『お伊勢参り』岩波新書(1983年)18頁
  29. ^ 西垣晴次『お伊勢参り』岩波新書(1983年)17頁
  30. ^ 西垣晴次『お伊勢参り』岩波新書(1983年)19頁
  31. ^ a b c 沼部春友・茂木貞純『神道祭祀の伝統と祭式』戎光祥出版(2018年)68-69頁
  32. ^ 御装束神宝について 伊勢神宮公式サイト
  33. ^ 別宮”. 伊勢市観光協会. 2012年1月8日閲覧。
  34. ^ 櫻井勝之進 『伊勢神宮』 [要ページ番号]
  35. ^ 伊勢神宮に奉納される「御幣鯛(おんべだい)」 (PDF)”. 島の宝100景. 国土交通省 都市・地域整備局. 2018年11月21日閲覧。
  36. ^ 【日本再発見 たびを楽しむ】伊勢神宮の森(三重県伊勢市)神秘的な自然に思いをはせて『産経新聞』朝刊2018年11月25日(地方面)2018年11月27日閲覧
  37. ^ 「遷宮を支える神宮宮域林の森づくり」『土地改良』[要文献特定詳細情報]270号、2-8頁。
  38. ^ 小池康寿『日本人なら知っておきたい正しい家相の本』(プレジデント社、2015年)99頁
  39. ^ 小池康寿『日本人なら知っておきたい正しい家相の本』(プレジデント社、2015年)100頁
  40. ^ 小池康寿『日本人なら知っておきたい正しい家相の本』(プレジデント社、2015年)100頁
  41. ^ 伊勢文化舎・伊勢商工会議所編『検定お伊勢さん公式テキストブック』伊勢文化舎・伊勢商工会議所発行(2006年)57頁
  42. ^ 平成18年6月9日文部科学省告示第79号
  43. ^ 平成19年6月8日文部科学省告示第96号
  44. ^ 平成22年6月29日文部科学省告示第101号
  45. ^ 平成22年6月29日文部科学省告示第101号
  46. ^ 平成14年12月26日文部科学省告示第212号
  47. ^ 平成10年10月26日文部省告示第150号(登録は10月9日付)
  48. ^ 平成10年10月26日文部省告示第150号(登録は10月9日付)
  49. ^ 三重県文化財データベース
  50. ^ 三重県文化財データベース
  51. ^ 三重県文化財データベース
  52. ^ a b 三重・伊勢神宮 せんぐうって…何?” (日本語). NHK名古屋放送局 (2012年6月20日). 2013年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月5日閲覧。
  53. ^ なぜ「おみくじ」はないのですか? 伊勢神宮(2018年3月11日閲覧)
  54. ^ 式年遷宮で注目の伊勢神宮 さい銭箱やおみくじがない理由” (日本語). ハピプラ. エキサイトニュース (2013年9月9日). 2013年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月5日閲覧。
  55. ^ -おかげ横丁- 神路屋” (日本語). 有限会社伊勢福. 2013年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月5日閲覧。
  56. ^ 中平雄大「おみくじ付きATMを新設 第三銀 おかげ横丁出張所に」『中日新聞』朝刊2012年8月18日付(三重総合三紀広域面)19頁
  57. ^ 秩父宮賜杯 第43回全日本大学駅伝対校選手権大会開催要項” (日本語). 日本学生陸上競技連合. 2012年3月23日閲覧。
  58. ^ 観光地点等分類ごとの入込客数”. 三重県雇用経済部 観光・国際局 観光政策課. 2015年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月25日閲覧。
  59. ^ a b c d “伊勢 石灯籠撤去あす完了 死亡事故受け作業”. 伊勢新聞. https://www.isenp.co.jp/2018/11/28/25683/ 2020年9月27日閲覧。 
  60. ^ a b “伊勢神宮周辺の石灯籠、全撤去が完了へ 直撃死亡事故を受け”. 朝日新聞. https://www.asahi.com/articles/ASLCW4QK1LCWONFB005.html 2020年9月27日閲覧。 
  61. ^ 2018年4月27日『中日新聞』朝刊34面
  62. ^ 田中亮『全部わかる大相撲』(2019年11月20日発行、成美堂出版)p.8
  63. ^ 三重バリアフリーレジャーガイド【伊勢志摩】おかげ横丁”. 三重県観光連盟. 2009年4月28日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年11月2日閲覧。
  64. ^ a b c 鳥羽わんわんパラダイスホテル” (日本語). 株式会社セラヴィリゾート泉郷. 2012年3月23日閲覧。

参考文献[編集]

  • 櫻井勝之進『伊勢神宮』学生社、1998年4月、新版。ISBN 978-4-311-40714-7。
  • 「伊勢神宮」『幻想地名事典』山北篤監修、桂令夫ほか著、新紀元社Truth In Fantasy事典シリーズ 9〉、2006年9月、55頁。ISBN 978-4-7753-0451-8。
  • 井上順孝『神道』ナツメ社図解雑学〉(原著2006年12月4日)、初版。ISBN 978-4-8163-4062-8。2009年5月3日閲覧。
  • 『神道の本 - 八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界』学研編集部編、学研マーケティング〈NEW SIGHT MOOK ブックス・エソテリカ2〉、1992年2月。ISBN 978-4-05-106024-4。
  • 『神仏習合の本 本地垂迹の謎と中世の秘教世界』学研マーケティング〈NEW SIGHT MOOK Books Esoterica 45〉、2008年5月。ISBN 978-4-05-605154-4。
  • 茂木貞純『知識ゼロからの伊勢神宮入門』幻冬舎、2012年1月。ISBN 978-4-344-90240-4。
  • 『日本の神々の事典 - 神道祭祀と八百万の神々』学研編集部編、薗田稔、茂木栄監修、学研マーケティング、1997年7月。ISBN 978-4-05-601629-1。
  • 谷口研語『犬の日本史―人間とともに歩んだ一万年の物語―』吉川弘文館、2012年
  • 小池康寿『日本人なら知っておきたい正しい家相の本』プレジデント社、2015年11月。ISBN 9784833421492。

関連文献[編集]

関連項目[編集]