伊東治明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
伊東治明
時代 安土桃山時代 - 江戸時代
生誕 不明
死没 元和2年12月22日1617年1月29日
別名 伊藤治明
官位 掃部助
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川家康
氏族 金森氏伊東氏
父母 父:金森長近[1]
養父:伊東信直(掃部助、甲斐守)(豊臣氏家臣)
兄弟 金森長則治明金森長光肥田忠政
小出吉政正室

伊東 治明(いとう はるあき)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将旗本。実父は金森長近とされる。

慶長13年(1608年)に徳川家康に仕え、2,500石を賜った。慶長15年(1610年)1月2日、豊臣秀頼の名代として徳川家康に年頭の挨拶をした(徳川実紀)。大坂の陣に従軍する[2]

元和2年(1616年)12月22日、別所孫次郎宅で喧嘩となり、別所の家人によって斬り殺された。この時、仲裁に入った桑山一直が負傷している。

脚注[編集]

  1. ^ 『断家譜』に記述あり
  2. ^ 小出信野守吉親小出大和守吉英伊藤掃部助治明金森出雲可重、岸和田の軍功御感の旨つたふ。」(徳川実紀、慶長20年5月4日条)

参考文献[編集]

  • 日本人名大辞典(講談社)
  • 断家譜(伊東姓で表記され、治明表記はなく掃部某となっている。)