伊王野坦

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伊王野 坦(いおの たいら、文化10年(1813年) - 明治16年(1883年11月12日は、幕末から明治時代にかけての蘭学者政治家鳥取藩士、藩医師。資明。本姓田中。通称、平六、次郎左衛門。名は「ひろし」とも。伊王野氏20代当主伊王野資信の末子資壽の子の資年の末裔で代々鳥取藩士。

伯耆国河村郡石脇村(現湯梨浜町石脇)に生まれた。江戸の箕作阮甫ならびに大坂の緒方洪庵に師事した。大坂で結婚し、一時青木浩斎と名乗るが、安政3年に郷里に帰り、鳥取藩の周旋方等を務めた。明治元年(1868年)閏4月28日、久美浜県知事となり(明治3年11月23日まで)、鳥取県権少参事等を歴任した。旧士族の授産事業に尽力した。明治16年70歳で没した。訳書に日本初の内科診察学のフーフェラント著「察病亀鑑」があり、安政4年に刊行された(青木浩斎名義)。没後に従五位を贈られた。墓は郷里にある。

参考文献[編集]