伊藤光

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伊藤 光
横浜DeNAベイスターズ #29
Ito(dena).jpg
2018年7月28日、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県岡崎市
生年月日 (1989-04-23) 1989年4月23日(32歳)
身長
体重
180 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 2007年 高校生ドラフト3巡目
初出場 2008年9月13日
年俸 1億1,000万円(2021年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

伊藤 光(いとう ひかる、1989年4月23日 - )は、愛知県岡崎市出身のプロ野球選手捕手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

岡崎市緑丘のたつみ幼稚園に通っていた5歳のときに野球を始めた[2]岡崎市立藤川小学校時代、「岡崎リトルリーグ」で投手内野手を務める。岡崎市立東海中学校ではボーイズリーグ「東名古屋スターズ」で捕手を務めた[3]

明徳義塾高校に進学後は2年春からベンチ入りし、春季打点王で高知県選抜に選ばれ、日米親善試合、台湾遠征試合を経験した。3年夏は選手権高知大会決勝で高知高校に敗れ準優勝。高校通算13本塁打[注 1]

2007年のNPB高校生ドラフト会議で、オリックス・バファローズから3巡目で指名。契約金5,000万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は61

オリックス時代[編集]

2008年7月2日、舞洲ベースボールスタジアムにて

2008年ウエスタン・リーグ公式戦では43試合に出場し、捕手としてチーム最多の40試合でマスクを被ったが、同じくチーム最多の3捕逸を記録した。ウエスタン・リーグ公式戦では本塁打を放てなかったが、イースタン・リーグとのファーム交流戦では2本塁打を記録。9月13日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)で、捕手として一軍デビューを果たした。

2009年、春季キャンプからオープン戦まで一軍に帯同していたが、4月14日に椎間板ヘルニアの除去手術を受けた。当初は約3か月後の実戦復帰を目指していたが、手術の影響で左足のふくらはぎの筋力が低下。打撃で踏ん張れないなどの事態に至った[4]ことから、一・二軍とも実戦出場の機会はなかった。

2010年、前年の手術に伴うリハビリを経て、6月上旬のウエスタン・リーグ公式戦で実戦に復帰。初安打を打った際には、思わず号泣したという[5]。シーズン終盤には、2年ぶりに一軍へ昇格すると、公式戦2試合でスタメンマスクを任された。シーズン終了後には、ピッツバーグ・パイレーツから入団した朴賛浩が背番号61の着用を希望したため、自身の背番号を54に変更した。

2011年、一軍監督の岡田彰布から「将来の正捕手候補」として期待された[6]ことを背景に、公式戦の開幕を初めて一軍で迎えた。4月12日の福岡ソフトバンクホークスとの開幕戦(京セラドーム大阪)でスタメンマスクを任されると、以降の試合でも、寺原隼人の3年半ぶりの完封勝利や西勇輝のプロ初勝利に貢献した。夏場以降はエースの金子千尋とバッテリーを組むなど、先発捕手としての出場機会を増やした一方で、シーズン中には成績不振などで2度の二軍調整を経験している[7]。9月11日の対埼玉西武ライオンズ戦(ほっともっとフィールド神戸)では、守備中に中村剛也とのクロスプレーで右手人差し指を負傷し、その後の精密検査で骨折が判明した[8]ため、残り試合を棒に振った。一軍公式戦には66試合に出場し、打撃面では打率.156、57三振と課題を見せたが、規定試合数不足ながらチームトップの盗塁阻止率(.318)を記録した。また、シーズン終了後には背番号を22に変更することが発表された。

2012年、前年に続いて開幕戦のスタメンマスクを任されると鈴木郁洋斉藤俊雄らと併用されながら出場機会を増やした。しかし、4月12日の対千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)7回表の守備中にジョシュ・ホワイトセルのスイング後のバットが右側頭部へ直撃し、グラウンド上に倒れ込んだため、病院に運ばれた[9]。病院での診察は打撲と診断され、すぐに実戦へ復帰したが、攻守に精彩を欠いたことから同月末に二軍へ降格した。セ・パ交流戦の期間中に再び一軍へ復帰し、スタメン出場の機会を増やしたが、8月19日の対ソフトバンク戦(京セラドーム大阪)で投手陣が8回表までに5失点を喫すると、リード面の課題を克服すべく9月下旬まで再び二軍へ降格した。一軍でのシーズン最終戦だった10月8日の同カード(福岡Yahoo!JAPANドーム)では、捕手として西のノーヒットノーラン達成に貢献した。前年と同じく66試合に出場し、打率.205、10打点を記録した。シーズン終了後にはオリックス選手会の副会長に就任した。

2013年、鈴木の引退・コーチ就任や、日高剛FA権行使による阪神タイガースへの移籍を背景に、開幕から正捕手へ定着。オールスターゲームにもパシフィック・リーグ捕手部門のファン投票1位で初出場を果たした。打撃面では、開幕から6月まで3割近い打率を残すなど好調を維持した。8月には25打席無安打へ陥ったものの、9・10月に月間打率.330と復調し、10月5日・10月6日の対ロッテ戦(いずれもQVCマリンフィールド)で2試合連続本塁打を打つなど、本塁打も自己最多の3本塁打を記録。初の規定打席到達を果たし、シーズン通算では自己最高の打率.285を記録した[10]。最終的には137試合に出場し、シーズン前に掲げた「100試合出場」と、オリックスの捕手としては、2008年の日高以来となる100試合以上の一軍公式戦出場を果たした[11]。シーズン終了後の11月に台湾で開かれた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」に、日本代表の一員として出場した[12]

2014年、前年と同じく137試合に出場したが、FA権行使によりソフトバンクから移籍した山崎勝己と併用された影響で、規定打席に到達できなかった。それでも、投手陣によるリーグトップの防御率達成に守備面で貢献し、ベストナインゴールデングラブ賞最優秀バッテリー賞を受賞。打撃面では、打率が前年を下回った一方で前年を上回る48打点を挙げた。シーズン終了後の11月に開かれた日米野球2014には、日本代表の一員として出場[13]。また、選手会の会長職を坂口智隆から引き継ぐことも発表された[14]

2015年、「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表[15]として、3月11日の第2戦(東京ドーム)に出場[16]。開幕後も、当初はスタメンマスクを任されていたが、リード面の不振より4月下旬から山崎にスタメンマスクを明け渡す試合が続き、5月8日から再調整のため二軍降格となった[17]。8月5日の対ロッテ戦(QVCマリンフィールド)では、0-0で迎えた9回裏無死三塁から、自身の捕逸でチームがサヨナラ負けを喫した。パ・リーグではロッテの定詰雅彦1994年6月12日の対オリックス戦で記録して以来史上4人目(当時)の事例で、オリックスでは1988年4月19日の対南海戦(大阪スタヂアム)で記録した内田強以来2人目。NPBの一軍公式戦で捕逸によって0-1でチームがサヨナラ負けを喫した事例は、大洋ホエールズ土井淳1956年6月14日の対広島東洋カープ戦で記録して以来2例目で、パ・リーグ史上初だった[18]。出場試合数は104試合と、過去2年から減少となった。規定打席に到達できなかったものの、打率.271を記録したほか捕手として2年連続でリーグトップの守備率を記録した。シーズン終了後の11月に開かれた第1回WBSCプレミア12には、9月の時点で日本代表の最終候補に選出された[19]が、最終ロースターに残らず、同大会への出場はなかった。

2016年5月17日 こまちスタジアムにて

2016年、開幕からスタメンマスクを任されたが、リード面での課題を理由に4月15日付で出場選手登録を抹消された[20]。その後も、若月健矢の台頭により出場機会が減少し[21]、一軍と二軍の往復が続いた。二軍調整中の7月27日には神戸総合運動公園サブ球場で開かれたソフトバンクとのウエスタン・リーグ公式戦に「5番・一塁手」としてスタメンで出場[22]し、一軍でも、8月6日の対ロッテ戦(京セラドーム大阪)8回裏に代打で出場すると、9回表から初めて一塁の守備へ就くなど[21]指名打者や一塁手としての出場も増えた[23]シーズンとなった。

2017年、若月を上回る打力を生かしながら、金子登板時以外の出場機会を増やす目的で、捕手登録のまま春季キャンプから三塁手の守備練習に着手した[24]2017 ワールド・ベースボール・クラシック開幕直前の3月5日に京セラドーム大阪で催されたオリックスと日本代表の強化試合には、「7番・三塁手」としてスタメン出場した。レギュラーシーズンの開幕カード対東北楽天3連戦(京セラドーム大阪)では、3月31日の開幕戦に金子が先発したものの、自身は金子降板後の6回表から捕手として出場した。翌4月1日の第2戦では、一軍では初の三塁手としてスタメン出場し、その後も若月を捕手、伊藤を三塁手としてスタメンで同時に起用する試合が続いた。シーズン中盤からは正三塁手である小谷野栄一の復調や、一塁を守れるクリス・マレーロの獲得などで内野手としての出場機会の減少に加え、若月の打撃不振もあり、8月以降は西や山岡泰輔の先発する試合でもスタメンマスクを任された。シーズンを通して103試合に出場し、捕手として若月(99試合)に次ぐ93試合に起用された一方で、10試合で三塁、2試合で一塁の守備に就いた。打撃では自己最多のシーズン5本塁打を記録したものの、打率は2011年以来の1割台で、9月9日の対楽天戦(Koboパーク宮城)第1打席で安打を打って以降、27打席(25打数)連続無安打でシーズンを終えた。

2018年、春季キャンプから捕手に専念。開幕当初は若月と併用されたが、スタメンマスクを任された4月17日の対ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)終了後に出場選手登録を抹消された。同点で迎えた5回裏一死二・三塁から自身の捕逸で勝ち越し点を許したり、前年終盤からの連続無安打記録がこの試合で45打席(41打数)に達するなど、開幕から攻守にわたって精彩を欠いていた[25]

DeNA時代[編集]

バッティングフォーム(2019年4月7日、横浜スタジアムにて)

2018年7月9日に、髙城俊人白崎浩之との交換トレードで、赤間謙と共に横浜DeNAベイスターズへの移籍が発表された[26]。背番号は29で、チームの後半戦初戦に当たる7月16日の対東京ヤクルトスワローズ戦(横浜スタジアム)に、「7番・捕手」としてスタメンでセントラル・リーグの公式戦に初出場。オールスターゲーム直前の緊急トレードだったため、レガースやプロテクターの調達が間に合わず、同じ青系の色を使用するオリックス時代の用具を付けて捕手の守備に就いた[27]。2回表に雄平が試みた二塁への盗塁を阻止する[28]と、その裏の移籍後初打席で、小川泰弘から中前安打を記録。オリックス時代の2017年から続いていた一軍公式戦での連続打席無安打記録を49打席で止めた。以降の試合にも嶺井博希らと併用されたが、球団から期待されていた正捕手への定着[27]までには至らず、通算47試合の出場で1本塁打、11打点、打率.195という成績にとどまった。

2019年、同姓の伊藤裕季也が入団したため、スコアボード上の表記が「伊藤光」、ユニフォームの背ネームが「H.ITOH」にそれぞれ変更された。レギュラーシーズンの前半戦は、事実上正捕手に定着。移籍1年目は低調だった打撃面でも、下位打線でしばしば快打を打つなど好調だった。7月27日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)では、1回表の第1打席で松坂大輔、2回表の第2打席で三ツ間卓也から死球を受けたにもかかわらず、3回表の第3打席で三ツ間から安打を打っている[29]。しかし、次のカードである7月30日の対ヤクルト戦(横浜)9回表の守備中に、相手の打者が打ったファールの打球が左手に当たったことで薬指を剥離骨折。翌31日に出場選手登録を抹消された[30]。9月上旬から戦線に復帰すると、チームのレギュラーシーズン2位に貢献。一軍公式戦84試合の出場で自己最多の8本塁打、打率.254、27打点を記録したほか、オリックス時代の2014年以来5年ぶりのクライマックスシリーズ(CS)出場も果たした。なお、レギュラーシーズン中に国内FA権の取得条件を満たしたが、チームがCSファーストステージで敗れた直後の10月23日には、この権利を行使せずにチームへ残留することを表明。表明の前に臨んだ球団との契約交渉で、DeNAの選手としては歴代最長の4年契約を締結した。契約期間中の年俸総額は推定4億5,000万円で、成績に応じた出来高の付帯条項も契約に盛り込まれた[31]

2020年広島東洋カープとのレギュラーシーズン開幕戦と第2戦(いずれもマツダスタジアム)でアレックス・ラミレス監督からスタメンマスクを任されたが、投手陣が2試合合計で15失点を喫した末にチームは連敗[32]。7月18日の対巨人戦(横浜)では、今永昇太とのバッテリーでスタメンに起用されながら、3回表の守備から交代した。「2人のコンビネーションが(首脳陣の練った戦略と同じ方向に)機能していない」というラミレスの判断による交代で、翌19日に出場選手登録を抹消されたこと[33]から、一部では「伊藤のリードに不満を持ったラミレスによる二軍への懲罰降格」と報じられた。さらに、降格後の7月28日に出場したイースタン・リーグの対楽天戦で、走塁中に右足を痛めて途中交代[34]。後に肉離れが判明したため、一軍への復帰はシーズン後半の9月下旬まで持ち越された[35]。ラミレスはこの年限りで監督を退任したものの、伊藤自身も一軍公式戦30試合の出場で打率.216、ノーアーチ、6打点と移籍後最低の成績で4年契約の1年目を終了。12月8日の契約交渉では現状維持(推定年俸1億1,250万円)という条件で契約を更改したが、更改後の記者会見では、「監督が考えていることを試合で表現するのがキャッチャーなので、このシーズンと同じようなことを二度としたくない」との表現で悔しさをにじませた[36]

2021年、3月18日に教育リーグの対ヤクルト戦で左ふくらはぎの肉離れに見舞われた影響で、レギュラーシーズンの開幕を二軍で迎えたため、一軍への合流はセ・パ交流戦直前の5月18日にまでずれ込んだ。もっとも、投手出身で前年の二軍監督から一軍の監督に異動していた三浦大輔は、伊藤の豊富な経験[37]、右打ちから犠打に至るまで多彩な打撃、相手投手に多く投げさせる打席での粘りを高く評価。交流戦の開幕を機に、伊藤を「2番・捕手」としてスタメンに固定した。交流戦では通算打率.263ながらチーム2位の11四死球を喫した影響で、チーム3位の出塁率.382を記録したほか、チームの野手としては7年ぶりの3打席連続犠打や、チームの捕手としての一軍公式戦シーズン初盗塁もマーク。開幕から交流戦開幕までの勝率が.293でセ・リーグの下位に低迷していたチームも、伊藤が出場した交流戦13試合では勝率.643(9勝5敗3分け)と好調だった[38]

選手としての特徴[編集]

打撃[編集]

2013年に打率 .285、2019年には規定未到達ながら8本塁打・OPS .731を記録するなどオリックス・DeNA時代通して強打[39]を持つキャッチャーであるが、若手時代は三振数の多さと低打率が課題とされていた。

守備・走塁[編集]

遠投120メートルの強肩に加え、捕手ながら50メートル6秒フラットの俊足[40]を兼ね備えている。

オリックス時代には上記の通り一塁・三塁の守備にも就いたが、DeNA移籍後は全て捕手として守備に就いている。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2008 オリックス 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2010 2 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2011 66 188 160 15 25 7 0 2 38 11 3 2 14 1 11 0 2 57 0 .156 .218 .238 .456
2012 66 197 176 11 36 9 0 0 45 10 0 0 12 4 5 0 0 48 2 .205 .222 .256 .477
2013 137 475 410 36 117 20 2 3 150 40 4 0 35 3 24 0 3 84 10 .285 .327 .366 .693
2014 137 429 358 37 92 16 1 3 119 48 0 2 39 3 24 1 5 80 2 .257 .310 .332 .643
2015 104 290 247 20 67 9 1 1 81 28 0 1 11 2 29 1 1 53 4 .271 .348 .328 .676
2016 80 203 187 18 45 7 0 3 61 15 1 0 12 0 3 0 1 36 6 .241 .257 .326 .583
2017 103 239 196 21 37 9 2 5 65 23 0 0 22 1 18 1 2 47 2 .189 .263 .332 .594
2018 7 16 13 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 2 0 0 3 1 .000 .133 .000 .133
DeNA 47 151 128 12 25 5 0 1 33 11 1 1 0 2 18 0 3 29 5 .195 .305 .258 .562
'18計 54 167 141 12 25 5 0 1 33 11 1 1 1 2 20 0 3 32 6 .177 .289 .234 .523
2019 84 301 256 30 65 8 0 8 97 27 5 5 3 2 37 6 3 45 4 .254 .352 .379 .731
2020 30 63 51 5 11 3 1 0 16 6 0 0 1 0 10 1 1 15 2 .216 .355 .314 .669
NPB:12年 864 2556 2186 205 520 93 7 26 705 219 14 11 150 18 181 10 21 498 38 .238 .300 .323 .623
  • 2020年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]



捕手 一塁 三塁














































2008 オリックス 1 1 0 0 0 1.000 0 0 0 0 - - -
2010 2 7 1 0 0 1.000 0 2 2 0 .000 - -
2011 65 369 27 5 4 .988 3 44 30 14 .318 - -
2012 66 343 38 3 2 .992 1 45 32 13 .289 - -
2013 137 987 83 8 8 .993 3 107 79 28 .262 - -
2014 136 945 72 3 8 .997 6 85 65 20 .235 - -
2015 100 530 49 1 9 .998 6 53 38 15 .283 - -
2016 65 296 27 2 3 .994 0 29 22 7 .241 11 77 6 0 7 1.000 -
2017 93 439 38 2 1 .996 3 31 20 11 .323 2 5 1 0 0 1.000 10 6 7 0 3 1.000
2018 7 42 6 0 0 1.000 1 8 6 2 .250 - -
DeNA 46 314 26 3 8 .991 1 30 18 12 .400 - -
'18計 53 356 32 3 8 .992 2 38 24 14 .368 - -
2019 84 623 39 4 5 .994 4 53 40 13 .245 - -
2020 23 115 10 0 2 1.000 0 9 8 1 .111 - -
通算 825 5011 416 31 50 .994 28 496 360 136 .274 13 82 7 0 7 1.000 10 6 7 0 3 1.000

表彰[編集]

記録[編集]

その他の記録

背番号[編集]

  • 61(2008年 - 2010年)
  • 54(2011年)
  • 22(2012年 - 2018年途中)
  • 29(2018年途中 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1年時は対外試合禁止で記録なし。

出典[編集]

  1. ^ DeNA - 契約更改 - プロ野球”. サンケイスポーツ. 2020年12月27日閲覧。
  2. ^ 帯田祥尚「こころは三河 私の古里 オリックス・バファローズ 伊藤光さん」 『中日新聞』2015年3月23日付朝刊、三河版、14面。
  3. ^ “夢を実現 プロ野球へ 伊藤さん(東海中出身)が活躍誓う”. 東海愛知新聞. (2008年1月10日). http://www.fmokazaki.jp/tokai/2008tokai/080110.html 2013年3月18日閲覧。 
  4. ^ 読売新聞夕刊紙2011年1月27~29日 光さす方へ Bs伊藤の闘い
  5. ^ 涙|TRAINING ROOM 84
  6. ^ “オリ3年目伊藤が正妻候補!岡田監督期待”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2010年11月17日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20101117-703223.html 2021年7月24日閲覧。 
  7. ^ “オリックス・伊藤、1軍昇格で再起!”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2011年5月20日). オリジナルの2011年5月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110523212813/http://www.sanspo.com/baseball/news/110520/bsk1105200504000-n1.htm 2021年7月24日閲覧。 
  8. ^ “オリックス・伊藤右手人さし指骨折 正捕手不在”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2011年9月13日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/09/13/kiji/K20110913001612240.html 2016年8月7日閲覧。 
  9. ^ “ホワイトセルの振ったバットが頭に…伊藤、負傷退場”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2012年4月12日). オリジナルの2012年4月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120413161635/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/04/12/kiji/K20120412003034120.html 2021年7月24日閲覧。 
  10. ^ 一般社団法人日本野球機構. “2013年度 パシフィック・リーグ 個人打撃成績(規定打席以上)” (日本語). npb.jp. 2019年3月3日閲覧。
  11. ^ 捕手・伊藤が急成長 オリックス反攻のキーマン”. 日本経済新聞 (2013年7月7日). 2021年7月24日閲覧。
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  13. ^ 2014年10月9日 侍ジャパン「2014 SUZUKI 日米野球」出場選手発表!”. 侍ジャパン公式サイト (2014年10月9日). 2015年3月26日閲覧。
  14. ^ オリックス選手会長、坂口から伊藤に交代”. スポーツニッポン (2014年11月28日). 2015年1月12日閲覧。
  15. ^ 欧州代表戦、侍ジャパン出場選手発表!6選手が小久保体制下で初招集”. 侍ジャパン公式サイト (2015年2月16日). 2015年3月22日閲覧。
  16. ^ ひかりTV 4K GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表 第2戦 2015年3月11日(水) 東京ドーム 打席結果・投打成績”. 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年3月11日). 2016年3月10日閲覧。
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  18. ^ “オリックス伊藤まさかの0-1 サヨナラ捕逸 パで初”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2015年8月6日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1518775.html 2016年8月7日閲覧。 
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関連項目[編集]