伊達村倫 (涌谷伊達家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
伊達村倫
時代 江戸時代中期
生誕 寛延2年6月19日1749年8月1日
死没 安永5年11月20日1776年12月30日
別名 藤四郎、安芸
戒名 大通院智光道勝大居士
墓所 宮城県遠田郡涌谷町見龍寺
主君 伊達宗村重村
陸奥仙台藩
氏族 伊達氏涌谷伊達家
父母 伊達宗村、橋本氏
伊達村胤
兄弟 霊松院重村、沛姫、愷姫、土井利徳
村倫、認姫、土井利置堀田正敦、瑛姫、せい姫
片倉村廉娘・薫子
茂登
村常
テンプレートを表示

伊達 村倫(だて むらとも)は、江戸時代中期の武士陸奥国仙台藩一門第四席涌谷伊達家8代(亘理氏26代)当主。

略歴[編集]

寛延2年(1749年)、仙台藩6代藩主・伊達宗村の四男として誕生。宝暦3年(1753年11月29日、跡継ぎのなかった伊達村胤の養子となる。宝暦9年(1759年1月7日に養父・村胤が病死したため、同年2月29日に家督を継ぎ、5月3日仙台城に赴いて兄で7代藩主の伊達重村より偏諱を受け村倫と名を改め、安芸(通称)を称する。

宝暦13年(1763年)、坂本胤俊・山寺十左衛門らが謀反を計画するが失敗し、山寺は斬首、坂本は追放となった。明和5年(1768年4月19日白石城主・片倉村廉の娘・薫子を室に迎える。安永2年(1773年)、側室の子・茂登が産まれるが早世する。

安永5年(1776年10月6日、病療養のため、涌谷領から仙台へ戻る。同年11月20日、病死した。享年28。室・薫子も安永6年(1777年5月25日に26歳で病死した。

系譜[編集]

偏諱を受けた人物[編集]

関連項目[編集]

先代:
伊達村胤
涌谷伊達家
8代
次代:
伊達村常