伏見町 (大阪市)

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伏見町
芝川ビルディング
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 大阪府
市町村 大阪市
中央区
人口
2015年(平成27年)10月1日現在)
 • 合計 393人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
541-0044

伏見町(ふしみまち)は、大阪府大阪市中央区町名。現行行政地名は伏見町一丁目から四丁目まで。2015年10月1日現在の人口は393人、世帯数は211世帯[1]郵便番号は〒541-0044。

地理[編集]

船場のうち北から4番目の町で、東・北・北西は高麗橋、南西・南は道修町とそれぞれ接する。東端は壱丁目筋、西端は渡辺筋となっており、船場のうち町の東西端がそれぞれ東横堀川西横堀川跡に至らない唯一の町である。

地内には芝川ビルディング青山ビル伏見ビルなどの国の登録有形文化財の建造物が点在する。

歴史[編集]

現在の3丁目・4丁目は、船場の開発過程で伏見城下から呉服商たちが移住してきたところで、当初は伏見呉服町と称したが、のちに伏見町と呉服町に分かれた。心斎橋筋以東の伏見町は舶来品を扱う唐物問屋の集住地となり、同以西の呉服町は移住以来変わらず呉服商の集住地となっていた。

現在の1丁目・2丁目は、船場の開発過程で天満鳴尾町(現・北区天神西町の一部)の魚商人たちが移住してきたところで、当初はそれぞれ靱町・天満町と称した。しかし、1618年元和4年)に生魚商人たちが6筋南へ移住して上魚屋町(現・中央区安土町1丁目の一部)が形成され、さらに、1622年(元和8年)には塩魚・干魚商人たちも下船場へ移住して新靱町・新天満町(どちらも現・西区靱本町1丁目の一部)が形成されたため、靱町・天満町はそれぞれ本靱町・本天満町に改称された。

1872年明治5年)に本靱町・本天満町・伏見町・呉服町を統合して伏見町1 - 5丁目に改編され、1989年平成元年)に現行の伏見町1 - 4丁目に改編された。

施設[編集]

青山ビル
伏見ビル

史跡[編集]

企業[編集]

かつて存在した施設[編集]

交通[編集]

鉄道[編集]

道路[編集]

国道
主要地方道

出身者[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 中央区 人口