佐屋川 (愛知県)

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佐屋川
Saya river07.jpg
佐屋川創郷公園より
水系 二級水系 日光川
種別 普通河川
延長 8.5 km
流域面積 14.7 km²
河口・合流先 日光川(蟹江大澪排水機場)
流路 愛知県津島市海部郡蟹江町
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佐屋川(さやがわ)は愛知県西部を流れる日光川水系の普通河川[1]

概要[編集]

愛知県津島市に端を発し、海部郡蟹江町を流下して、現在では日光川と蟹江川の合流部付近で排水機によって日光川へ排水している。河川延長8,500メートル、流域面積14.7平方キロメートル[2]

『蟹江町史』においては「[3]とも書かれるほど流れは穏やかで、かつては町を流れる複数の川とともに水郷としての風景を形成していた。

昭和17~18年頃に蟹江を訪れた吉川英治はこの地を「東海の潮来」と呼んだとされる[4]県道66号の夜寒橋の周辺から下流にかけての左岸、鹿嶋神社文学苑から吉川英治句碑の付近までは『文学散歩道』と名付けられ、桜並木とともに俳句や短歌を記した板碑が数多く立ち並ぶ[5]

かつてはフナコイなどの漁も盛んに行われていた。伊勢湾台風をきっかけとする河川改修や、都市化の進行・水質悪化もあって1962年(昭和37年)には蟹江漁業協同組合が解散したが[6]、現在も漁業権の保有者が存在しているという[7]尾張温泉付近には2ヶ所の管理釣り場が設けられて、各地からヘラブナを狙う釣り人が集まる。

歴史[編集]

かつては「西ノ森古川」と呼ばれており、現在の津島市高台寺町付近から流下して、蟹江新田の大海用で打樋によって排水していた[8]。蟹江町地内で見られる蛇行した河道はかつての日光川の乱流によって形成されたものと考えられており[3]、日光川を挟んで位置する大膳川とともにその痕跡を強く残している。

天保12年(1841年)の「蟹江本町村絵図」には現在と同様の佐屋川・大膳川が描かれており[9]江戸時代後半には下流域で現在の流路がほぼ固定されていたことが解る。川の流末に排水機が設置されたのは1927年(昭和2年)で[6]、その後も大海用排水機場や蟹江大澪排水機場が設置されて流域の排水を担っている。

なお、地元には「この佐屋川が木曽川の派川・佐屋川の河口であった」との言い伝えがあるという[3]。ただし、明治時代に締め切られた佐屋川の流路とこの川とは比較的に離れた位置にあり、事実とは考え難い。

佐屋川を扱った史料[編集]

尾張藩士の樋口好古が記した地誌郡村徇行記』の「西ノ森村」の条には以下の記述が見られる[10]

両水鑑ニ、西ノ森古川、上ハ高台寺ヨリ下ハ蟹江新田マデ、大海用ニ杁アリ、三本杁ト云、佐屋川トモ唱エリ。[8]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 蟹江町緑の基本計画(案)第1章 現況調査、1-18、2010年3月
  2. ^ 第3次蟹江町総合計画、P.88
  3. ^ a b c 蟹江町史、P.7
  4. ^ 蟹江町観光協会:吉川英治句碑
  5. ^ 蟹江町観光協会:文学散歩道
  6. ^ a b 蟹江町 企画情報課蟹江町の歴史年表
  7. ^ 平成20年第4回蟹江町議会定例会会議録、P.77
  8. ^ a b 『尾張徇行記』第二巻、P.346
  9. ^ 蟹江町史 附図「蟹江本町村絵図」
  10. ^ 蟹江町史、P.491~492

参考文献[編集]

  • 名古屋市叢書続編 第四巻『尾張徇行記』 名古屋市教育委員会 編集発行、1964年
  • 蟹江町史編さん委員会 編『蟹江町史』蟹江町、1971年
  • 蟹江町総務部企画課 編『第3次蟹江町総合計画』蟹江町、2001年