佐束村

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さづかむら
佐束村
廃止日 1955年1月1日
廃止理由 新設合併
佐束村、土方村城東村
現在の自治体 掛川市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 静岡県
小笠郡
総人口 2,983
国勢調査1950年
隣接自治体 掛川市菊川町小笠町
土方村、中村
佐束村役場
所在地 静岡県小笠郡佐束村

Shizuoka Ogasa-gun 1889.png

小笠郡の町村制施行時の町村
24が佐束村。
(25は岩滑村、26は土方村)
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佐束村(さづかむら、英語: Sazuka Village)は、日本にかつて存在したである。誤用されがちだが、読み仮名は「さか」ではなく「さか」である。

概要[編集]

明治政府が推進した明治の大合併にともない、1889年静岡県城東郡にて高瀬村小貫村中方村の3村が合併し、佐束村が設置された。また、城東郡が佐野郡と合併して小笠郡が新設され、佐束村も小笠郡に属することになった。それから50年ほどは村の領域に変化はなかったが、太平洋戦争さなかの1943年に小笠郡岩滑村と合併し、新制佐束村が設置された。戦後の昭和の大合併にともない、1955年に佐束村は小笠郡土方村と合併し、城東村が新設された。

地名[編集]

大東町上佐束区、下佐束区の航空写真(1975年)。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
大東町上佐束区、下佐束区の航空写真(1983年)。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
大東町上佐束区、下佐束区の航空写真(1988年)。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

村の名称[編集]

村名の由来[編集]

村名の「佐束」は、かつて存在した「狭束郷」に由来する。奈良時代の文献に「狭束郷」の使用例が見られ、それによれば遠江国城飼郡に属していた11の一つとされていた[1]。「佐束」および「狭束」のいずれの表記も「谷間の流水を集め束ねて流す」[1]という意が込められているとされ、高瀬や小貫の佐谷から流れ出た渓流が、中方で束ねられていく様を表している[1]。なお、「佐束」の読み仮名は「さづか」であり、「さずか」ではない。これは、「束」の訓読みが「つか(ねる)」であることから見ても明らかである。

現在の使用状況[編集]

2005年掛川市新設にともない、旧佐束村の領域は全て掛川市に含まれている。掛川市の住所表記では「佐束」の語は用いられていないが、現在でも「佐束」といえば旧佐束村一帯を指す語として使用されている。佐束山、佐束川などの地名や、掛川市立佐束小学校、掛川市立佐束幼稚園などの公共施設の名称としても、そのまま残っている。また、薬局など店舗の名称として使用されたり、「佐束」の名を冠した菓子も発売されたりと、民生用に使用されることも多い。

派生語[編集]

佐束紙
にはさまざまな種類があるが、和紙の一種として「佐束紙」と呼ばれる紙がある。『広辞苑』には「遠江国狭束郷(現、静岡県小笠郡大東町)原産の楮紙帳簿用とする」[2]と記述されており、この言葉の由来は狭束郷にあると記されている。また、同書には見出し語として「さづか‐がみ【佐束紙】」[2]と表記されている。これにより、「佐束」の読み仮名が「さずか」ではなく「さづか」であることがわかる。

村内の地名[編集]

地名の変遷[編集]

城東郡佐束村〜小笠郡佐束村〜小笠郡城東村時代
明治の大合併は、小学校を運営できる規模を基本に行われ、江戸以来のまとまりであった高瀬村、小貫村、中方村は、合併して佐束村となり、それぞれ村下の「区」となった。のちに岩滑村と新設合併し、新たに佐束村が設置された際は、高瀬、小貫、中方と並び、岩滑村も佐束村の区となった。土方村と新設合併し城東村が設置された際も、この4区はそのまま維持されたが、住所表記からは「佐束村」の名称は消えることになった。その後、城東村は中村を編入するが、そのときもこの区の体制に変化はなかった。
小笠郡大東町時代
城東村が大浜町と合併し大東町が設置されると、町により「行政区」制度が導入された、この制度下では大東町内にもともと40あった自治区(江戸時代の「村」以来の自治組織の単位で、概ね大字の範囲の区域)を15に統合再編した。佐束では高瀬区と小貫区を上佐束区、中方区と岩滑区を下佐束区とした。またこの制度下では、従来の高瀬、小貫、中方、岩滑の自治区を、それぞれ上佐束区、下佐束区の小区として位置づけた。これにより、旧佐束村の範囲は小学校区としてのみ位置づけられることとなった。その後、大東町時代では2行政区4小区体制が続いたが、大東町立佐束小学校の校区であるため、「佐束」としてまとめて呼称されることも多かった。毎年、佐束小学校区域では、高瀬、小貫、中方、岩滑の4小区対抗運動会が共催された。上佐束区と下佐束区は、大東町が意図的にまとめた中間的単位であり、実態としては旧村(小学校区)である佐束とそれを構成する旧来からの地縁組織4小区ごとのまとまりが強かった。なお、小字である井崎周辺では住所表記に混乱が見られ、自治区上の区域と実際の住所表記(大字)とが一致しない地域が一部見られる。
掛川市時代
平成17年4月1日に大東町と掛川市(旧制)、大須賀町が新設合併し新たな掛川市が設置されると、全市的に、小学校区あるいは明治の大合併後の旧村単位を「地区」、それ以前・江戸時代からの旧村(概ね大字単位の自治組織)を「区」とすることで整理が行われた。これにより、旧佐束村(佐束小学校区)の範囲は「佐束地区」となった。合併当初は、佐束地区の下に上佐束区・下佐束区の2つの区があり、その下に2つずつの小区という階層構造であったが、上佐束区と下佐束区という大東町時代の意図的な区域割については地縁的なまとまりも薄かったことから地域住民から疑問も出され、平成18年からは、上佐束区と下佐束区という単位は廃止され、これまで小区扱いであった高瀬、小貫、中方、岩滑は、それぞれ自治区(大区)として復活した。佐束は、現在では、4自治区のまとまりである統合的自治組織「地区」として、地域福祉や健康づくり、地域文化の振興など、自治活動を展開している。

歴史[編集]

  • 1889年 - 高瀬村、小貫村、中方村が合併して佐束村を新設。
  • 1896年 - 佐野郡、城東郡が合併して小笠郡を新設。
  • 1943年 - 佐束村、岩滑村が合併して佐束村(新制)を新設。
  • 1955年 - 佐束村、土方村が合併して城東村を新設。

地域[編集]

教育[編集]

産業[編集]

土井酒造場が醸造する「櫻花開運」

佐束村の主要産業は農業林業を中心とした第一次産業と、工業を中心とした第二次産業であった。主要産品は日本酒などが知られていた。日本酒を醸造し品評会で入賞を繰り返した土井酒造場や、ソケットレンチで高いシェアを占める山下工業研究所など、著名な企業の創業の地としても知られている。現在でも、両社は旧佐束村の村内に本社を設置している。

主な企業[編集]

神社仏閣[編集]

名勝旧跡[編集]

出身者[編集]

変遷[編集]

 
 
 
 
中方村
 
小貫村
 
高瀬村
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
岩滑村
 
佐束村
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
土方村
 
佐束村
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
中村
 
城東村
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
城東村
 
 
 
 
 
 
 
 
  • 佐束村と岩滑村の合併は新設合併のため、新たに同名の佐束村が新設された。
  • 城東村と中村の合併は編入合併のため、従来の城東村が存続した。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 鵜藤哲郎「佐束(現在掛川市の1地方名、狭束とかいた時代もあった)」『佐束の歴史』佐束地区センター、2007年9月
  2. ^ a b 新村出編『広辞苑』5版、岩波書店1998年、1077頁。
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関連項目[編集]