佐竹義武

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佐竹 義武は、佐竹氏の人物。

  • 戦国時代の人物。佐竹北家。佐竹義治の子とされる。久米城を任されたが、山入氏との戦いで戦死し、弟の佐竹義信が養子として跡を継いだ。
  • 江戸時代の人物。佐竹西家。本項で詳述する(下記を参照)。
  • 江戸時代の人物。佐竹東家。佐竹義智の長男として生まれるが早世。代わって弟の宇都宮武綱(改め佐竹義路)が東家を継いだ。

佐竹義武 (西家)[編集]

佐竹 義武(さたけ よしたけ、元禄6年(1671年) - 元禄9年(1693年))は、江戸時代の人物。佐竹氏一門の佐竹西家当主。佐竹西家・大館4代所預。

父は佐竹義房。養子は佐竹義方。通称は六郎。

元禄6年(1671年)、大館城代佐竹義房の子として生まれる。父の跡を継ぎ大館城代となった。

貞享4年(1687年)、大館八幡神社の正八幡宮と若宮八幡宮を創建した[1]。元禄9年(1693年)死去。享年23。

家督は東家佐竹義秀の末子亥之助(義方)が相続した。

脚注[編集]

  1. ^ 八幡神社”. 秋田県神社庁. 2015年10月12日閲覧。