佐竹義術

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佐竹 義術
時代 江戸時代後期
生誕 寛政5年(1793年
死没 天保12年(1841年
改名 百太郎(幼名)→義術
別名 又四郎、河内(通称)
主君 佐竹義厚
出羽国久保田藩角館所預
氏族 佐竹北家
父母 父:佐竹義文、母:戸村義敏の娘
正室:佐竹義恭の娘(佐竹義純の姉または妹)
於庫多賀谷厚孝正室)、武子(佐竹義茂正室)、義陳
養子:義許 (多賀谷厚孝の子)

佐竹 義術(さたけ よしやす)は、佐竹氏一門の佐竹北家第15代当主。佐竹北家角館第8代所預。

生涯[編集]

寛政5年(1793年)、佐竹義文の子として生まれる。文政7年(1824年)、藩主佐竹義厚将軍徳川家斉に拝謁する際に同席する。文政8年(1825年)、父の隠居により家督を相続し、角館城代となる。天保5年(1834年)、北浦一揆が発生すると、自ら一揆勢と面談して取り鎮めた。天保7年(1837年)、嫡男の義陳(よしのぶ)が17歳で早世する。天保12年(1841年)死去。家督は外孫(長女の長男)で多賀谷厚孝の長子である義許が養子となって相続した。

参考文献[編集]

  • 林正崇『図説・角館城下町の歴史』無明舎出版、1982年