佐藤一郎 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐藤 一郎
さとう いちろう
生年月日 1913年5月1日
出生地 神奈川県
没年月日 (1993-02-26) 1993年2月26日(79歳没)
出身校 東京帝国大学(現・東京大学
前職 大蔵省官僚・事務次官
所属政党 自由民主党
称号 勲一等瑞宝章
配偶者 妻・佐藤淳子
親族 義父・金光庸夫
長男・佐藤謙一郎

内閣 第3次佐藤内閣
在任期間 1970年1月14日 - 1971年7月5日

選挙区 神奈川県第4区
当選回数 4回
在任期間 1979年10月8日 - 1990年1月24日

選挙区 神奈川県選挙区
当選回数 2回
在任期間 1967年2月 - 1974年7月7日
テンプレートを表示

佐藤 一郎(さとう いちろう、1913年5月1日 - 1993年2月26日)は、昭和時代に活躍した日本の官僚・政治家。参議院議員、衆議院議員。経済企画庁長官自由民主党に所属した。

来歴・人物[編集]

一高東京帝国大学を経て、1937年大蔵省入省。戦争末期に神奈川県庁に出向し、教育・人事・庶務課長を歴任し、学徒動員をめぐって軍部とかなりやりあった。戦後は、片山哲内閣総理大臣秘書官、大蔵省で官房長・主計局長・大蔵事務次官を歴任し[1]、政界入り。1967年2月の参議院神奈川県選挙区の補欠選挙で当選、1968年第8回参議院議員通常選挙で再選された。1970年第3次佐藤内閣で経済企画庁長官として初入閣。翌年の内閣改造で退任。

1974年、2期目の任期満了で参議院議員を退任。その後は衆議院議員への転身を試み、1976年第34回衆議院議員総選挙に、引退する藤山愛一郎の後継者として旧神奈川4区から出馬したが、落選。3年後の1979年第35回衆議院議員総選挙で当選し、以後衆院議員に4回連続当選。1990年、息子の謙一郎にあとを譲って引退。

1993年2月26日死去。享年79。

厚生大臣金光庸夫は義父。前衆議院議員(民主党)の佐藤謙一郎は長男。

備考[編集]

  • 自民党内タカ派の一員として知られた。
  • 参院選初出馬の際は、選挙公報に「どうでしょう。最近の世界の激動ぶりは、アメリカも欧州も共産圏も、苦悩し、歴史的潮流に洗われています。この激動期を乗り切るには、日本の将来をしっかり見通し、大地を踏みしめた外交が必要です。まず新しい日米協力関係の確立-アジアを知らないアメリカに臆することなく友情ある説得をする。孤立し先鋭化する中国に国際社会復帰を呼びかけ共存・友好の手を差しのべる。そして防衛問題-強大な国防国家の復活も、まる裸の無防衛論も、現実無視のおとぎ話です。平和・経済国家としての道は、当面は日米共に安保の延長。やがては国連による集団安保しかありません。米軍基地の安全地帯への移転・統合・そして汚染問題が解明されるまでの原潜の横須賀寄港停止は当然です。」と訴えた[2]
  • 1989年に勲一等瑞宝章を受章した。
  • あだ名は学生時代から本人不本意ながら「えん(猿)べえー」[3]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 神奈川県選挙管理委員会 第8回参議院議員通常選挙の記録p76
  2. ^ 神奈川県選挙管理委員会 第8回参議院議員通常選挙の記録p76
  3. ^ 神奈川県選挙管理委員会 第8回参議院議員通常選挙の記録p76
先代:
菅野和太郎
経済企画庁長官
1970年 - 1971年
次代:
木村俊夫