佐藤光由

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佐藤 光由
(さとう みつよし)
生誕 (1961-04-16) 1961年4月16日(57歳)
群馬県
国籍 日本の旗 日本
出身校 群馬県立中央高等学校
著名な実績 8000メートル峰3座登頂

佐藤 光由(さとう みつよし、1961年 - )は、日本の登山家

概要[編集]

1961年、群馬県安中市松井田町に生まれる。群馬ミヤマ山岳会に所属。数多くの海外遠征に参加し、8,000m峰3座に登頂した。1985年には植村直己物語撮影隊にした。1989年山田昇隊がマッキンリーで遭難した際は、第一報を受けた3月6日の翌日に宮崎勉とともに第一陣として現地入りし、捜索隊として現地を奔走した。

スポニチ登山学校講師、公益社団法人日本山岳協会国際委員長、群馬県山岳連盟理事長等を歴任。

有限会社プモリ電設 専務取締役

経歴[編集]

  • 1961年 - 群馬県に生まれる。
  • 1980年3月 - 群馬県立中央高等学校卒業。
  • 1980年10月 - 第35回国民体育大会[栃木国体]選手
  • 1981年10月 - 第36回国民体育大会[滋賀国体]選手
  • 1982年秋 - ダウラギリⅠ峰[ペアルート](8,167m/ネパール) カモシカ同人隊
  • 1984年冬 - アンナプルナⅠ峰[南壁](8,091m/ネパール) 群馬県山岳連盟隊
  • 1985年夏 - 日中合同黄河源流探検(中国) 日本ヒマラヤ協会隊
  • 1985年10月30日 - エベレスト[東南稜](8,848m/ネパール)登頂。(植村直己物語撮影隊:(八木原圀明,阿久津悦夫,木本哲,名塚秀二,三枝照雄,佐藤光由)
  • 1987年冬 - アンナプルナⅠ峰[南壁](8,091m/ネパール) 群馬県山岳連盟隊
  • 1989年3月 - マッキンリー山田昇三枝照雄小松幸三捜索隊参加。(山田隊捜索隊:宮崎勉,名塚秀二,尾形好雄,佐藤光由,小西浩文,新郷信廣,山本篤他)
  • 1991年春 - カンチェンジュンガ[東稜](8,478m/インド) 日本ヒマラヤ協会、インドITBP合同隊
  • 1991年冬 - サガルマータ(エヴェレスト)[南壁](8,848m/ネパール) 群馬県山岳連盟隊
  • 1992年10月 - 第47回国民体育大会[山形国体]監督
  • 1993年10月11日 - チョ・オユー(8,501m/チベット)登頂。(群馬県山岳連盟隊:八木原圀明,宮崎勉,名塚秀二,田辺治,江塚進介,佐藤光由,星野龍史,後藤文明,尾形好雄)[1]
  • 1993年冬 - サガルマータ(エヴェレスト)[南壁](8,848m/ネパール) 群馬県山岳連盟隊
  • 1997年7月20日 - ブロード・ピーク(8,047m/パキスタン)登頂。(群馬県カラコルム登山隊1997:佐藤光由,吉田英樹,吉田文江,福本誠志,梁瀬佐市,岩崎栄,後藤文明)[2]
  • 1999年冬 - マナスル[ノーマルルート](8,163m/ネパール) 群馬県山岳連盟隊

関連書籍[編集]

  • 八木原圀明著『氷壁に刻む:山田昇・八木原圀明二人の登攀史』(上毛新聞社,1990年)
  • 八木原圀明著『8000メートルの勇者たち:ヒマラヤニスト・山田昇とその仲間の足跡』(山と渓谷社,1990年)ISBN 9784635170437
  • マッキンリー遭難対策本部編『極北の烈風に死す:マッキンリー山田隊』(東京新聞出版局,1990年)ISBN 4-8083-0366-3
  • 佐瀬稔著『ヒマラヤを駆け抜けた男:山田昇の青春譜』(東京新聞出版局,1990年)ISBN 4-12-202877-9
  • 佐瀬稔著『残された山靴』(山と渓谷社,1999年)ISBN 978-4635171380(ヤマケイ文庫,2010年)ISBN 978-4635047234

脚注[編集]

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  1. ^ 八木原圀明. “群馬県山岳連盟「嶺呂」第49号 1993/10/29”. 2013年10月29日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年10月20日閲覧。
  2. ^ 日本山岳会. “群馬県カラコルム登山隊1997「ブロード・ピーク」”. 2013年10月20日閲覧。

関連項目[編集]