倉真城

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倉真城(くらみじょう)は、遠江国にあった戦国時代の城砦(日本の城)。現在は遺構は残っておらず、付近に建つ石碑とは別で、現在の華嶽山世楽院(静岡県掛川市倉真2854)付近が同城跡であったと推定されている。最後の城主は松浦兵庫助。

概要[編集]

世楽院記に拠れば、倉真村内にある一町四方の高丘が倉真城跡であったとされる。縄張り等は不明である。同城は明応6年(1497年)11月13日に多数の敵に攻められ、城主の松浦兵庫助以下主従は自刃したと伝えられる。その後、城は破棄された様子である。

最後の城主であった松浦兵庫助は遠江三十六人衆の一人で、華嶽山世楽院、和光山永江院の開基であると言われる。諸説あって判然としないが、松浦兵庫助の自刃した明応6年は、駿河今川氏の戦力を率いた伊勢長氏が周辺の原氏を平定した時期に重なるため、駿河今川氏の家臣ではなく、それに敵対する勢力であったのではないだろうかという説が存在する。一方で、前年の明応5年には駿河今川氏に敵対的であった勝間田氏と組んだ掛川城主鶴見因幡守英寿が倉真の松葉城城主河合宗忠を襲い敗死させている。そういった混乱期にあるため、松浦兵庫助が誰に討たれたのかは諸説あって明らかではない。永江院にある松浦兵庫助位牌には左の如く記されている。全金吾竜穴院大再成功大居士。


参考文献[編集]

  • 『掛川誌稿』
  • 『掛川市誌』
  • 『掛川市史』