全盛鎬

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全盛鎬
生誕 1896年
Flag of Korea (1882–1910).svg 大朝鮮国咸鏡北道鏡城郡
死没 1950年9月15日
大韓民国の旗 大韓民国慶尚北道盈徳郡
所属組織 東北抗日義勇軍
大韓民国陸軍
軍歴 少将(中国軍)
准将(韓国陸軍)
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全 盛鎬(チョン・ソンホ、전성호)は日本統治時代の朝鮮独立運動家大韓民国軍人鐵舟(철주)。別名は全盛龍

人物[編集]

1896年、咸鏡北道鏡城郡に生まれる。

1910年、満州に亡命。鉄血光復団に加入。北路軍政署士官錬成所を卒業して教官となった。1920年、青山里戦闘に参加。1927年、韓国独立党東満僑民代表。金佐鎮池青天などと共に韓国革命委員会を組織した。1928年、延辺自治促進会副会長。日本の憲兵に逮捕され、清津刑務所で3年服役した。出獄後は再び満州に渡った。満州事変後、東北救国義勇軍高級参謀[1]

終戦後は帰国し、1945年11月1日、呉光鮮が組織した大韓国軍準備委員会(대한국군준비위원회)の副委員長[2]。同じ頃に韓国臨時政府の右派が創設した大韓武官学校(1946年1月末に閉校)の副校長となった[3]。12月、韓国光復軍国内支隊参謀長[4]

1949年、陸軍士官学校第8期特別第1班卒業[5]、任少領、第18連隊副連隊長[1]。1949年7月15日、第12連隊長(中領)[6]

1950年6月、朝鮮戦争開戦時、後退中の車両事故で重傷を負い後送される[7]。遊撃隊総司令部参謀長として勤務していたが、長沙洞上陸作戦で戦死した[8]。1951年8月21日、准将追叙[8]

出典[編集]

  1. ^ a b 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国編 中巻』、193頁。
  2. ^ 軍史第88号 (PDF)”. 韓国国防部軍史編纂研究所. p. 41. 2018年9月13日閲覧。
  3. ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国編 上巻』、68頁。
  4. ^ 남조선국군준비대, 광복군과 합류 결의”. 国史編纂委員会. 2015年12月21日閲覧。
  5. ^ 6・25戦争史 第1巻 (PDF)” (韓国語). 国防部軍事編纂研究所. pp. 332. 2016年11月18日閲覧。
  6. ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国編 上巻』、199頁。
  7. ^ 白善燁『若き将軍の朝鮮戦争』草思社〈草思社文庫〉、218頁。
  8. ^ a b 요정출입 단속 (PDF)” (韓国語). pp. 141. 2019年6月13日閲覧。

参考資料[編集]