八重山 (通報艦)

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Yaeyama.jpg
艦級概観
艦種 通報艦
艦名 列島名
前級 なし
次級 千島
艦歴
計画 1885年度計画
起工 1887年6月7日
進水 1889年3月12日
就役 1890年3月15日
除籍 1911年4月1日
性能諸元(新造時)
排水量 常備:1,609t
全長 垂線間長:96.0m
全幅 10.15m
吃水 4.0m
機関 レシプロ蒸気機関2基2軸、ニクロス式缶6基
5,400馬力
燃料 石炭350t
最大速 20.0kt
兵員 200名
兵装 12cm砲3基
47mm速射砲8基
魚雷発射管2門

八重山(やえやま)は、日本海軍通報艦。艦名は沖縄県八重山列島にちなんで名づけられた。

艦歴[編集]

1887年に横須賀海軍造船所で起工し、1890年に竣工。8月23日、第一種と定められた。機関はイギリスホーソンレスリー社製である。

日清戦争では、韓国派遣陸軍部隊の揚陸援護、大連旅順威海衛攻略作戦等に参加。

1895年10月、日本領となった台湾において抵抗した中国人がイギリスの商船「テールス号」に逃げたため、八重山がこれを追跡して臨検を行うという事件が起きた。これが公海上で行われたことからイギリスから抗議を受け、外務省は海軍に対して責任者の処罰を要求した。その結果、艦長の平山藤次郎海軍大佐と上司の常備艦隊司令長官、有地品之允海軍中将予備役に編入することで解決が図られた。

1898年8月23日、通報艦に類別された。北清事変においては、大沽に派遣された。

1902年5月1日、海防艦武蔵が暴風のため根室湾口で座礁したため、その救助任務中の5月11日、暴風のため根室港厚岸鼻北方で座礁し、9月1日に離礁後、10月から翌年6月まで横須賀造船廠で修理改造を行った。

日露戦争に際しては主に第3艦隊第5戦隊所属艦として旅順攻略作戦、黄海海戦(修理中の龍田の代理として第1艦隊第1戦隊に所属)、日本海海戦樺太作戦等に参加。無電の存在しない時代には、その快速を生かして基地間の連絡や偵察任務等に活躍したが、通信技術の進展に伴いその役割を終え、1911年4月1日に除籍、翌年3月23日に売却された。

艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • 三浦功 大佐:1889年8月2日 - 1891年8月28日
  • 平山藤次郎 大佐:1891年8月28日 - 1893年10月12日
  • 平山藤次郎 大佐:1894年5月25日 - 1895年12月14日
  • 鹿野勇之進 大佐:1895年12月24日 - 1896年4月13日
  • 外記康昌 大佐:1896年4月13日 - 8月7日
  • 東郷正路 大佐:1897年3月9日 - 4月17日
  • 橋元正明 大佐:1897年5月15日 - 1898年3月1日
  • 酒井忠利 大佐:1898年3月1日 - 9月1日
  • 松枝新一 中佐:1898年9月1日 - 1899年3月22日
  • 大井上久麿 大佐:1899年3月22日 - 6月17日
  • 松本和 中佐:1899年6月17日 - 1900年5月20日
  • 梶川良吉 中佐:1900年6月7日 - 12月24日
  • 徳久武宣 大佐:1901年4月23日 - 6月10日
  • 西山実親 中佐:1904年4月21日 - 1905年8月31日
  • 築山清智 中佐:1905年8月31日 - 12月12日
  • 藤田定市 中佐:1905年12月12日 - 1906年7月6日
  • 真野巌次郎 中佐:1906年7月6日 - 9月28日
  • 上村経吉 中佐:1906年9月28日 - 1907年7月1日
  • 中島市太郎 中佐:1907年7月1日 - 1908年4月7日
  • 松岡修蔵 中佐:1908年4月7日 - 12月10日
  • 堀内権三郎 中佐:1908年12月10日 - 1909年12月1日
  • 向井弥一 中佐:1910年1月15日 - 12月1日
  • 河瀬早治 中佐:1910年12月1日 -

参考資料[編集]

  • 呉市海事歴史科学館編『日本海軍艦艇写真集・巡洋艦』ダイヤモンド社、2005年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 官報

関連項目[編集]