公文克彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
検索に移動
公文 克彦
北海道日本ハムファイターズ #49
Kumon.jpg
2018年3月13日 マツダスタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 高知県安芸郡芸西村
生年月日 (1992-03-04) 1992年3月4日(28歳)
身長
体重
173 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2012年 ドラフト4位
初出場 2013年9月25日
年俸 6,000万円(2020年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

公文 克彦(くもん かつひこ、1992年(平成4年)3月4日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属する高知県安芸郡芸西村出身のプロ野球選手投手)。左投左打。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

高知高等学校では、2年時の夏に第90回全国高等学校野球選手権記念大会に出場。1回戦の中田廉上本崇司擁する広陵高等学校戦で5点差をつけられた6回から登板するも、同点に追いついた直後の8回に勝ち越しを許し敗戦投手となり、5-8で初戦敗退に終わった。2年時の秋からはエースとなり、3年時の夏は決勝で明徳義塾高等学校石橋良太と投げ合い3-2で勝利し、高知県予選を制し同校3年連続の甲子園出場に貢献する。第91回全国高等学校野球選手権大会では、1回戦の如水館高等学校戦で史上初となる2日連続雨天ノーゲームの末に、160球を投げ切り14奪三振をマークし9-3で完投勝利した[2]。ノーゲームの試合は、いずれも0-2と5-6で如水館高がリードしていた。2回戦は、庄司隼人擁する常葉橘高等学校に打ち込まれ6回7失点で降板し、チームも6-7で敗退した。甲子園通算3試合、19回19奪三振、防御率6.16。野球部の同期には木下拓哉がいる。

高校卒業後は、社会人野球大阪ガスに入団。2年目から公式戦に登板し、第82回都市対抗野球大会ではNTT西日本の補強選手になったが登板機会はなかった。3年目は、第83回都市対抗野球大会パナソニックの補強選手として出場[3]。初戦で山中浩史擁するHonda熊本と対戦し、2番手で登板し無失点に抑える好救援を見せ、チームも2-1で勝利した。しかし、先発したベスト8のJX-ENEOS戦では制球に苦しみ2回途中3失点で降板し、チームも5-9で敗退した。大会後に発覚したチーム内の不祥事により8月31日から6ヶ月の対外試合禁止が下されたため、第38回社会人野球日本選手権大会などには出場できなかった。

2012年のNPBドラフト会議で、読売ジャイアンツ(巨人)から4巡目で指名[4]。年俸1,000万円(推定)という条件で入団した。背番号は57。この会議では、大阪ガスのチームメイトだった松永昂大千葉ロッテマリーンズから1巡目で指名。後に入団している。

巨人時代[編集]

巨人時代(2013年7月18日、こまちスタジアムにて)

2013年は開幕を二軍で迎え、イースタン・リーグで主にリリーフとして起用される。チーム内で2位となる45試合に登板し、0勝5敗・防御率2.68と一定の成績を残すと、すでに巨人の優勝が決まった9月25日に一軍初昇格[5] 。同日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)でプロ初登板し、1イニングを無失点に抑える[5]。シーズンでは3試合に登板した。

2014年は一軍登板を果たせずにシーズンを終え、2015年は一軍では同じ左腕の高木京介戸根千明が活躍したため、この年も二軍暮らしに終わった。10月初旬、2軍監督の岡崎郁に「1軍に左の横投げはいないし、腕を下げたりして違う環境でやってみたらどうか」と提案され、10月のフェニックスリーグからサイドスローに転向した。

2016年は4月23日・DeNA戦の救援登板以来、12試合で救援として登板したものの、左肩を痛め6月2日に登録抹消となった。

日本ハム時代[編集]

2016年のシーズン終了後に、吉川光夫石川慎吾との交換トレードで、大田泰示と共に北海道日本ハムファイターズへ移籍した[6][7]。背番号は49

2017年には、6月14日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で、延長11回裏に登板。1回を無失点に抑えた末に、一軍公式戦での初勝利を挙げた。シーズン全体では、一軍公式戦41試合に登板。3勝0敗、防御率2.70という成績を残した。

2018年には、レギュラーシーズンの開幕直後に一時二軍へ降格しながらも、セットアッパーとして一軍公式戦でチーム最多の57試合に登板。2勝0敗11ホールド、防御率2.17という好成績を残したことから、シーズン終了後の契約交渉では、推定年俸4,100万円(前年から2,370万円増)という条件で契約を更改した[8]

2019年には、8月29日の対埼玉西武ライオンズ戦(帯広の森野球場)7回表に救援で登板。チームは試合に敗れたものの、自身は1イニングを三者凡退に抑えて交代したため、高木京介が保持していた「(一軍)公式戦の初登板から165連続登板機会無敗」という日本プロ野球記録を更新した[9]。一軍公式戦全体では、61試合の登板で17ホールドをマーク(いずれも自己最多記録)。防御率は3.96と前年を上回ったものの、無敗のままシーズンを終えたため、連続登板機会無敗記録は174試合にまで伸びた。

2020年には、レギュラーシーズンの開幕から、一軍公式戦8試合に救援で登板。勝敗とも付かず、連続登板機会無敗記録を182試合にまで伸ばしていた。7月11日オリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)で同点の8回裏にシーズン9試合目の登板を果たしたが、自身のフィルダースチョイスなどで4点を失った末に、一軍公式戦では初めての黒星を喫した[10]。さらに、15試合目の登板であった7月29日の同カード(札幌ドーム)で左足の内転筋に肉離れが生じたため、翌30日に出場選手登録を抹消された[11]

選手としての特徴・人物[編集]

投球フォーム(巨人時代)

最速152km/hのストレートスライダーが武器[3]

小学校時代は、阪神タイガースがキャンプをしている安芸市営球場まで練習見学に通っており、初めて貰えたサインは藤川球児からである[12]

2013年10月25日、社会人時代の2012年6月に左肩を痛め入院した際に知り合った看護師の女性と結婚した[13]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2013 巨人 3 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 13 3.0 4 0 1 0 0 4 0 0 0 0 0.00 1.67
2016 12 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 50 11.2 10 1 3 0 2 12 1 0 5 5 3.86 1.11
2017 日本ハム 41 0 0 0 0 3 0 0 3 1.000 154 36.2 39 2 8 2 2 33 2 0 11 11 2.70 1.28
2018 57 0 0 0 0 2 0 0 11 1.000 226 54.0 51 3 14 3 1 52 3 0 15 13 2.17 1.20
2019 61 0 0 0 0 2 0 1 17 1.000 213 52.1 41 5 18 3 1 31 1 0 24 23 3.96 1.13
2020 29 0 0 0 0 0 2 1 8 .000 116 24.0 33 3 11 1 0 19 0 0 24 21 7.88 1.83
通算:6年 203 0 0 0 0 7 2 2 39 .778 772 181.2 178 14 55 9 6 151 7 0 79 73 3.62 1.28
  • 2020年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]



投手












2013 巨人 3 0 1 0 0 1.000
2016 12 0 1 0 0 1.000
2017 日本ハム 41 1 8 0 0 1.000
2018 57 1 10 0 0 1.000
2019 61 4 10 1 1 .933
2020 29 3 4 0 0 1.000
通算 203 9 34 1 1 .977
  • 2020年度シーズン終了時

記録[編集]

投手記録
その他の記録
  • 初登板から連続登板試合無敗:182試合(2013年9月25日 - 2020年7月9日)※プロ野球記録

背番号[編集]

  • 57 (2013年 - 2016年)
  • 49 (2017年 - )

登場曲[編集]

  • 「紅空」lecca(2013年)
  • 「獅子奮陣」lecca(2015年)

脚注[編集]

  1. ^ 日本ハム - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2020年8月6日閲覧。
  2. ^ 高知 雨のち雨のちあっぱれ!公文が熱投160球”. スポニチ Sponichi Annex (2009年8月12日). 2013年1月23日閲覧。
  3. ^ a b 第83回 都市対抗野球大会 補強選手紹介”. パナソニック野球部 (2012年6月21日). 2013年1月23日閲覧。
  4. ^ ドラフト会議で菅野投手ら7選手の交渉権獲得”. 読売ジャイアンツ (2012年10月25日). 2013年1月23日閲覧。
  5. ^ a b “公文、147キロ直球で0封デビュー!原監督「素晴らしい」”. スポーツ報知. (2013年9月26日). http://hochi.yomiuri.co.jp/giants/news/20130926-OHT1T00030.htm 
  6. ^ “日本ハム移籍の巨人・大田、公文がコメント「北海道で活躍する姿見て」”. スポニチアネックス. (2016年11月2日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/11/02/kiji/K20161102013648620.html 2016年11月2日閲覧。 
  7. ^ トレード|2016年度公示”. 日本野球機構. 2016年11月4日閲覧。
  8. ^ “日ハム公文が大幅アップの4100万円でサイン 「50試合を続けることが大事」”. FullCount. (2018年11月30日). https://full-count.jp/2018/11/30/post258255/ 2019年8月29日閲覧。 
  9. ^ “日本ハム公文プロ新のデビューから165戦負けなし”. 日刊スポーツ. (2019年8月29日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201908290000636.html 2019年8月29日閲覧。 
  10. ^ ““負けない男”日本ハム公文、ファンブルでストップ”. 日刊スポーツ. (2020年7月11日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202007110000819.html 2020年7月13日閲覧。 
  11. ^ “日本ハム・公文が左足内転筋肉離れ、7月29日登板時に違和感 復帰まで4週間”. スポーツニッポン. (2020年7月30日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/07/30/kiji/20200730s00001173267000c.html 2020年7月30日閲覧。 
  12. ^ 公文 先輩の「松永さんだけには絶対負けません」”. スポニチ Sponichi Annex (2012年10月26日). 2013年1月23日閲覧。
  13. ^ 巨人の21歳セットアッパー公文が結婚 入院で知り合ったナースと”. スポニチ Sponichi Annex (2013年11月16日). 2013年11月25日閲覧。
  14. ^ “日本ハム・公文、5年目で待望のプロ初勝利「素直にうれしいです」”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2017年6月14日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/06/14/kiji/20170614s00001173413000c.html 2017年6月14日閲覧。 

関連項目[編集]