兼高かおる世界の旅

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兼高かおる世界の旅
ジャンル 紀行番組
出演者 兼高かおる
芥川隆行(聞き手)
製作
プロデューサー 兼高かおる
荒澤邦夫(制作P)ほか
制作 KRT(ラジオ東京テレビ)→TBS
ほか
放送
音声形式二ヶ国語放送
1978年11月26日 - 放送終了)
放送国・地域日本の旗 日本
兼高かおる世界飛び歩き
放送期間1959年12月13日 - 1960年6月19日[1]
放送時間日曜日 10:30 - 11:00
放送分30分
兼高かおる世界の旅
放送期間1960年9月20日 - 1990年9月30日
放送時間放送時間を参照
兼高かおる世界の旅 さよならスペシャル
放送期間1990年11月23日
放送時間金曜19:30 - 20:54
放送枠金曜テレビの星!
放送分84分
回数1回

特記事項:
放送回数:全1586回。1964年1月12日放送分、1966年7月10日〜8月28日・10月2日放送分、及び1967年4月2日からの放送はカラー放送。
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兼高かおる世界の旅』(かねたかかおる せかいのたび、英題:KAORU KANETAKA in "Hopping Around The World"[2]KAORU KANETAKA'S "THE WORLD AROUND US")とは1959年12月13日から1990年9月30日にかけて30年10か月の間、TBS系列局で主に毎週日曜日の朝に放送された紀行番組である。2007年5月6日からTBSチャンネルで再放送が開始された。

概要[編集]

形態[編集]

ジャーナリスト兼高かおるディレクタープロデューサーレポーターナレーター、そして時にはカメラマンすべてを兼ね、世界各地160か国を取材した映像を放送していた。

放送開始当初のタイトルは『兼高かおる世界飛び歩き』( - とびあるき)だったが、1960年6月19日放送分をもって一旦中断。3ヵ月後の9月20日放送分から放送を再開し、『兼高かおる世界の旅』に改題した。放送回数は『世界飛び歩き』を含めて1586回。全行程は721万kmであり、地球を180周した計算になる。

単に映像を放映するだけではなく、ナレーションとして兼高が芥川隆行に旅行の状況を語る。ただし『世界飛び歩き』時代は、芥川でなく別のTBSアナウンサー[3]が、紹介する国の概要などをナレーションするなどその都度間に入り、それとは別に、兼高は旅先であったことなどの詳細をナレーションするという形で番組は進行していった。

兼高のナレーション参加は番組開始当初から一貫して行われていた。「世界の旅」に鞍替えしてからも同様の構成で特に変更は無かった。しかし、途中から落合博一と簡単な会話をしつつ番組が進行するという形に変化していった。そして、(再放送等で確認できる限りにおいて)42回目ごろには担当が芥川に変わり、両者の会話も非常に活発になって兼高自身も生き生きと語るようになり、この形式が番組終了まで続いた。

協賛[編集]

「ワールドポート」に駐機するボーイング707

番組開始から20年以上にわたりパンアメリカン航空が協賛していた。オープニングで使用された機材は初期がボーイング707でその後747に変更された。1985年のパンアメリカン航空の日本市場撤退後、スカンジナビア航空(SAS)[4]に代わっている。オープニングで使用された機材はDC-10である。

オープニングでは世界各国の映像を流しながら当番組の数々の賞歴をエンドロールの形式で流し、最後の方では飛行機の映像に変わっていたが、のちに協賛会社のナレーションが追加された。パンアメリカン航空時代は「番組の制作に当たっては世界で最も経験のある航空会社パンアメリカンの協力を得ました」で、のちに「この番組の制作にあたっては世界の翼、パンナムの協力を得ました」となり、スカンジナビア航空に交代以降は「この番組の制作にあたっては世界100以上の都市と日本を結んでいる北欧の翼、SASの協力でお送りします」、のちに「この番組の制作にあたってはSASスカンジナビア航空の協力を得ました」と言っていた。

1970年 - 1971年時点でのオープニングは、カラーとモノクロを織り交ぜた映像になっているが、エンディングは、パンナムビル(現メットライフビル)屋上ヘリポートに着陸中のジョン・F・ケネディ国際空港パンナム専用ターミナル連絡便大型ヘリコプター(解説HP)やパンアメリカン航空旅客機、並びに所属スチュワーデスらを映したものとなっている。

タイトル[編集]

番組の第一期(白黒テレビ番組時代、及びカラー化移行直後時代、1977年まで。カラー放映時での番組タイトル・テロップ色は白色)において、テーマ曲には映画八十日間世界一周』のテーマが使用された。

最初期の放送作品のタイトル、例えば「バルセロナの情熱」のOPが差し替えられていることは下記の項目にあるとおりである。制作に参加していた「東京テレビ映画株式会社」は、KRテレビ時代の1955年に設立されている。一方で、東京放送・TBSという称号・略称が用いられるようになった時期は、東証に株式を上場した1960年10月である。よって、差し替えられた部分は、1960年10月以降で、かつ、東京テレビ映画株式会社が1967年に「TBS映画社」に改めるまでの間に使われたモノクロのオープニング映像を一部差し替えたものとなる。

オープニングタイトル(「兼高かおる世界の旅」の部分)のフォントは、最初期のころはゴシック体だったが、1971年時点のカラー版では「兼高かおる」が手書き風、「世界の旅」が楷書体に変わっている。

当初の番組タイトルは『兼高かおる世界飛び歩き』、英題:KAORU KANETAKA in "Hopping Around The World"であったが、2010年8月当時再放送された、1970年放送の番組オープニングでは、邦題『兼高かおる世界の旅』であるにもかかわらず、英題は "Hopping..." が継続して使用されていた。

特徴[編集]

「アジアのパリー(サイゴン、現・ホーチミンシティ)」「中東のパリー(ベイルート)」「南米のパリー(ブエノスアイレス)」など、美しい街に「○○のパリー(「パリ」ではなく「パリー」と発音)」と付けて紹介することも多かった。

番組のカラー放送化の遍歴[編集]

番組開始当初はモノクロであったが、1964年1月12日放送の#0194「アラビアの人造り(サウジアラビア)」にて初めてカラー制作・放送が行われ[5]、その後1966年7月10日8月28日放送分(#0311「南へのいざない」〜#0318「秋への序曲」)まで「夏休みカラープレゼント」と題してカラーで制作・放送され、続く9月4日の第15次取材ハイライトも一部の局[6]でカラー放送、更に同年の10月2日放送の#0322「インディ500マイルレース」がカラー放送、1967年4月2日放送分(#0344「山あいの王都」)からはほぼ全作品[7]がカラーとなり、以前にカラーで取材されていたが放送では白黒だった回もカラーで再放送されるようになった。

ハイライト[編集]

番組では定期的にハイライトを放送した。これは今後放送する海外取材のフィルムを事前に簡単に紹介するものであり、一回分の放送枠を使って紹介するもの(いわゆる「予告編」)であった。以下、下記にある放送リストでは書ききれない各ハイライトの概要を簡単に記す。

  • 「第32次取材ハイライト その2」

洋風のセットで丸テーブルの前に座った兼高と芥川が冒頭で登場し、以降、各種ハイライト映像を解説を交えながら紹介した。

  • 「11周年ハイライト」

番組オープニング後、芥川が兼高の肩に腕を回した恰好で歩道橋を歩くシーンから始まる。その後、赤坂離宮等を見渡せる場所で、海外滞在中は既製品の服を買う程度しか時間がない、といったこぼれ話がでる。また、その赤坂離宮を見通す場所には首都高速が通り視界を遮っているのだが、その首都高速を題材に、番組制作の経緯が話された。いわく、首都高速が出来上がったのは東京オリンピックがきっかけだったが、この番組も、東京でオリンピックが開催されるのを見越して、また、番組開始当時の日本は欧米、特にアメリカのことを海外と考える、といったような、世界観の固定化や貧困化に対して別の側面を提供するという意味合いもあった、と兼高自身が説明している。 また番組内では、兼高が「和服も美しい」と発言したのに対し、芥川が「そうですね、(兼高かおるが)似合うか似合わないかは別として」と発言したのに対し、「あら、男性も和服が似合いますのよ。(芥川が)似合うか似合わないかは別として」と即座に応酬して見せた。なお、番組内では、兼高自身が芥川の額を示しながら「放送開始時はここまで(と言いながら額を指し示す)だったのが、今はここまで(と、放送当時の生え際を指し示す)変わりました」と、芥川の毛髪量も持ち出して、11年という長い年月を振り返った。

  • 「第33次取材ハイライト(アメリカ編)」

冒頭、ニット帽をかぶった芥川が訪れた部屋で、兼高は一人黙々とビューアを見ながらフィルムの編集をしているところから番組が始まる。このアメリカ編では、取材に2万3000フィート(7010.40メートル)の長さになるほどの撮影をしたという。だが、これらの膨大な映像を、わずか7本分、およそ30分未満(CMが含まれるため)の長さに整えなければならず、カットするフィルムが多いため、紹介できないことが大変もったいない、と兼高が話していた。なお、撮影に使われるカメラの種類が不明のため一概に言えないが、16mm映画用フィルム換算で10時間54分に相当する。

雑記帳[編集]

  • 最初期の番組オープニング・エンディングについて
    • 『兼高かおる世界飛び歩き』のころの番組が差し替えられたオープニングで放送される際、最初、パンアメリカン航空の機体全体が映っていたものが、一瞬画面が激しく乱れた後、ズームアップしたパンアメリカン機を背景にして「世界の旅」の字幕が出る。引き続き、「企画 TBS 東京放送」という字幕が出た後、また画面が瞬間的に激しく乱れ、その後は通常の編集通り、視覚的に違和感なく進行する。この激しい乱れの間に流れたフィルム映像は、その前後のと比較しても、お世辞にもきれいとは言えない、やや荒っぽい映像になっている。なお、エンディングでは、エンジン部分の映像が流れたのち、途中からズームアウトした位置での映像に切り替わり、「兼高かおる/世界の旅/終」(「/」は改行)と表示されて終了する。
    • SASスカンジナビア航空に協賛が変わってしばらくの間は、オープニングではシェフが行う機内サービスの様子が映し出されており、オープニングの終わりは飛行機が着陸するシーンで〆られ「協力/SAS/The Businessman's Airline/スカンジナビア航空」(「/」は改行)と表示されていたが、のちに機内の様子は映されなくなりコペンハーゲン空港の様子などが映されたものに、また、オープニングの〆も着陸するシーンから飛行中の機体の左斜め後方から映したものに変更され、「協力/SAS/NON-STOP/TOKYO-COPENHAGEN/スカンジナビア航空」(「/」は改行)の表示に変更された。 
  • 2011年1月30日 再放送 #0005 紫の國ウルグアイ ※二巡目の再放送 - 1960年1月17日
    • オープニング途中の「TBS 東京放送」の部分から、テーマ曲を強引にカットしてつぎはぎしたため、通常のオープニングでは流れない部分が流れる珍しいパターンであった。
  • 2010年11月21日再放送 #518 ソイビーンズの旅 -アメリカ合衆国・ルイジアナ州ニューオリンズ - 1971年2月7日
    • この放送回では、オープニングとエンディングで、和服姿の兼高かおると芥川が、和食料理屋の座敷で雑談を交わす珍しいパターンだった。特に出だしにおいては、芥川が豆腐を食し、それについての話を切りだす。それに対して兼高かおるは、戦前は満州から大豆を買い付け、現在はアメリカから買い付けているといった話や、栄養素の豊富さ、しょうゆなど各種原料に使われている話をする。これに対して芥川は、放送日が2月7日ということもあり、「ついこの間、例の福は内、鬼は外は、アメリカの豆で行ったわけですか」と語る。冒頭終盤では、「豆腐の角に頭をぶつける」という言葉を発しながら芥川が自らの額を軽くたたくなどして、本編が始まった。なお、この放送において兼高かおるは、「soybean(ソイビーン、大豆)」のことを、「ソイヤービーンズ」と発音していた。
  • 1967年6月25日放送「サイパンとグアム」(#354)ではパンアメリカン航空のグアム経由ハワイ行きの新航路(当時)を紹介。記念フライトに参加した司葉子星由里子やグアムで休日を過ごす越路吹雪といった当時の有名人のオフショットが収められている(越路は翌年グアムを紹介した回にも登場)。この回に限らず、オフを海外で過ごす有名人が登場することもあった。またこの放送で1960年にグアムで発見された「最後の日本兵」が紹介されているが、この放送の約5年後に横井庄一がグアムで発見される。

当番組の原盤フィルム[編集]

ファミリー劇場』で2010年 - 2011年初頭に放送された特別番組『月光仮面 〜幻の第一話を求めて〜』において、TBS緑山スタジオのフィルム倉庫の様子が映されていた。ここに至るには経緯があり、捨てられてしまった月光仮面第一話の原盤フィルムの代わりに、プリントが保存されているかもしれないということでTBS本社に赴き、データベース登録された作品に同作品が存在するかを検索してもらった。ところが「データベース上では見当たらないが、フィルム倉庫にはあるかもしれない」ということで、先のように緑山スタジオのフィルム倉庫の映像が映し出されるにいたった。倉庫の管理者は、数年前から原盤フィルムの整理をしてほしいと仕事を任されていると語り、その中で「ザ・ガードマン」とともに「兼高かおる」の名前を挙げて、テレビ創世記の貴重なネガが存在していることを紹介した。番組では、「兼高かおる」というラベルのある棚が映され、「60-1」や「61-10」などと仕切ったうえで、それぞれの中に、さらにネガやポジの違いなどを明記したラベルが付されたフィルム缶が保管されていた。ほとんどのフィルム缶には「200*年*月VTR変換済」との黄色く目立つラベルが新たに付されていた。

番組の受賞・推薦歴[編集]

1970年の放送では、当時の番組の受賞歴が、毎回オープニングで紹介されていた。しかし、翌1971年最初の放送(第33次ハイライト(アメリカ編))においては、以下のうち1962年から66年の4項目しか紹介されなかったが、翌週には元の6項目に戻った。余談だが、#0360 の「中東の王国 -サウジアラビア-」の放送回は1967年のため、当然のことながら同様に4項目しか受賞歴が掲載されなかった。

  • 1962年 - 日本放送作家協会企画賞
  • 1963年 - 広告電通教養報道番組部門
  • 1963年 - 米国観光省観光局長賞
  • 1966年 - 中央児童福祉審議会特別推薦
  • 1969年 - 在日外国政府観光協会功労賞
  • 1969年 - 第7回ギャラクシー賞
  • 1969年 - オーストラリア政府観光局 TVフイルム部門功労賞

以下は受賞年不明

  • インド政府観光局功労賞
  • フィリピン政府観光局賞
  • 英国政府観光庁賞
  • ベニス/ゴールデンライオン賞
  • ドイツ観光局報道賞

番組スポンサーの変遷[編集]

  • 『世界飛び歩き』時のスポンサーは石川島重工業(石川島播磨重工業→IHI)だったという[8]
  • 数年後には三井物産をはじめとする三井グループが務め、そのときは「三井ワールドアワー(MITSUI WORLD HOUR)」とついていた(1977年4月に『クイズ世界をあなたに』に引き継がれる)。
    • 三井グループ提供時の放映当時はスポンサーのCMが字幕の形で放送されていたが、番組自体は原則的にフィルム制作のため基本的に素材には字幕CMは印字されていない(1967年3月まで)。ただし、兼高と芥川のトークに顔出しパートがある場合(特に1967年4月以降のカラー放送)は一部の回では顔出しパートをビデオ収録していた(顔出しパートをフィルム収録した回もある)関係で番組全体をキネコで記録したものもあり、その該当回では放映当時の字幕CMが素材に残っているが修正されずに放送されている。こうした事情から本放送時にはカラーだったのが、TBSチャンネルでの再放送では白黒という回もある。
    • この当時、オープニング・エンディングにはインフォマーシャル的なコメントがあった。[9]
    (オープニング)「三井ワールド・アワー 兼高かおる世界の旅。この番組は躍進する日本経済の原動力、三井グループの代表11社の提供でお送りいたします。300年の伝統と信用。最も新しい経営と技術を誇る三井各社は、産業経済の発展に貢献するとともに、貿易を通じて広く世界に活躍しております。番組の制作に当たっては世界で最も経験ある航空会社・パンアメリカンの協力を得ました」
    (エンディング)「この番組は躍進する日本経済の担い手、三井グループの代表…(協賛11社読み上げ 中略)以上11社がお送りいたしました。パンアメリカン航空は、世界で最初に大西洋横断空路・中南米空路・太平洋横断空路・また世界一周空路を開設した航空会社です」
  • 1977年4月から1987年9月まで三洋電機(および同社グループ)による1社提供番組。
    • 三洋電機グループ提供時代にはヒッチハイク枠で同社の石油ファンヒーターの回収CMをおこなったことがあった。また1986年12月1日に「SANYO」のロゴが一新されたことを受けて、同年12月7日放送分からオープニングキャッチがリニューアルされCMソングも一新された。同年11月30日放送分までは「♪20歳(はたち)になろうが〜 50になろうが〜」の歌い出しで始まるCMソングがオープニングキャッチとして流された。
  • 1987年10月から関西ペイントの1社提供番組だったが、1989年10月から1990年3月までファーストグループの一社提供→1990年4月からは複数社提供となった。

二ヶ国語放送[編集]

TBSが音声多重放送を開始時からこの番組は二ヶ国語放送となり(初めての二ヶ国語放送は1978年11月26日)、副音声で英語によるナレーションを放送していた。また「KAORU KANETAKA'S "THE WORLD AROUND US"」の英題が付され、英語吹き替えは提供クレジットに至るまで徹底していた(「This program is presented by Sanyo Electric Group.」)。

ニュースを除けばソースが外国語ではない「英語吹き替え番組」は珍しく、芥川役は若い男性が吹き替えを行った。

放送時間[編集]

主に日曜日の午前中の時間帯に放送された。

  • 『世界飛び歩き』時は日曜日10:30 - 11:00。休止期間をはさんで『世界の旅』となった時(1960年9月20日から1961年1月3日まで)は火曜日22:30 - 23:00。
  • 1961年1月9日から9月25日まで…月曜日22:30 - 23:00。
  • 1961年10月2日から1962年4月30日まで…月曜日22:50 - 23:20。それまで21時台に放送されていた『JNNニュース』が22:30からの放送に繰り下がったため。
  • 1962年5月6日から1977年3月27日まで…日曜日11:00 - 11:30。
  • 1977年4月3日より1987年9月27日まで[要出典]…日曜日9:00 - 9:30。関口宏司会の『クイズ世界をあなたに』開始に伴うものである。
  • 1987年10月4日から最終回まで…日曜日8:00 - 8:30。同じく関口司会の『関口宏のサンデーモーニング』の放送開始に伴うものである。

番組の終焉[編集]

番組が開始した1959年当初は日本人の海外旅行が制限されており[10]、海外情報を映像で知る貴重な番組として幅広く親しまれた。しかし、番組末期の1980年代には日本人の海外旅行も一般化した上、他局でも海外情報を取り扱ったテレビ番組が数多く制作されるようになるなど、番組を取り巻く環境は大きく変わっていた。

こうした状況を踏まえ、番組は一定の役割を果たしたと判断され1990年9月30日放送分をもって終了。『兼高かおる世界飛び歩き』時代から計30年半の放送にピリオドを打った。放送3日後の10月2日には、聞き手役だった芥川隆行が肺癌で逝去している[11]。また同年11月23日には総集編『兼高かおる世界の旅 さよならスペシャル』が『金曜テレビの星!』で放送された。

淡路島にある淡路ワールドパークONOKOROには、「兼高かおる旅の資料館」が併設されており、番組の資料映像や海外の特産品、当時のロケーションや編集風景を再現した展示が行われていたが、施設の老朽化に伴い2020年2月末で閉鎖された。

ネット局[編集]

※系列はネット終了時点のもの。

放送対象地域 放送局 系列 備考
関東広域圏 東京放送 TBS系列 制作局
現・TBSテレビ[12]
北海道 北海道放送
青森県 青森テレビ 1969年12月開局から
岩手県 岩手放送 現・IBC岩手放送
宮城県 東北放送
秋田県 秋田放送 日本テレビ系列
山形県 山形放送 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1989年9月まで
1980年3月までは日本テレビ系列単独加盟局
テレビユー山形 TBS系列 1989年10月開局から
福島県 福島テレビ フジテレビ系列 1983年9月25日打ち切り
1971年5月までは日本テレビ系列局
1971年6月 - 9月はTBS系列単独加盟局
1971年10月 - 1983年3月はTBS系列とのクロスネット局
テレビユー福島 TBS系列 1983年12月4日開局当日から
山梨県 テレビ山梨 1970年4月開局から
新潟県 新潟放送
長野県 信越放送
静岡県 静岡放送
富山県 北日本放送 日本テレビ系列 1977年10月2日から1990年3月25日まで[13]
石川県 北陸放送 TBS系列 1977年10月2日から[14]
福井県 福井テレビ フジテレビ系列
中京広域圏 中部日本放送 TBS系列 現・CBCテレビ
近畿広域圏 朝日放送 現・朝日放送テレビ(テレビ朝日系列)
1975年3月30日まで
毎日放送 1975年4月6日から、ネットチェンジに伴う移行
島根県

鳥取県・島根県
山陰放送 1972年9月17日までの放送エリアは島根県のみ
1972年9月24日より鳥取県でも放送
岡山県

岡山県・香川県
山陽放送 現・RSK山陽放送
1983年3月までの放送エリアは岡山県のみ
1983年4月より相互乗り入れに伴い香川県でも放送
広島県 広島テレビ 日本テレビ系列
フジテレビ系列
1964年2月9日から1964年5月3日まで[15]
日曜10:30 - 11:00に放送
中国放送 TBS系列 1964年5月10日から最終回まで[16]
山口県 テレビ山口 1970年4月開局から
1978年9月まではテレビ朝日系列との、
1987年9月まではフジテレビ系列とのクロスネット局
徳島県 四国放送 日本テレビ系列 途中打ち切り[17][18]
愛媛県 南海放送
高知県 テレビ高知 TBS系列 1970年4月の開局から
福岡県 RKB毎日放送
長崎県 長崎放送
熊本県 熊本放送
大分県 大分放送
宮崎県 宮崎放送
鹿児島県 南日本放送
沖縄県 琉球放送

ネット局に関する備考[編集]

  • 1974年までの朝日放送では毎年8月は全国高校野球選手権大会中継のため開催中に日曜日と1回戦 - 準々決勝開催日が重なった場合、当番組は当初は平日23時台に振り替え放送をしていたものの後年は放送休止となった。これは1967年以降最後の年まで、毎年8月は過去の傑作選を放送していたためでもある。
  • 1975年からの毎日放送で毎年3月下旬から4月上旬まで選抜高等学校野球大会を中継する際は第1日目のみ休止し、中継終了後に時差放送していた(9時台移行後も同様)。その他の日はベスト16までは本番組 - 『家族そろって歌合戦』終了後、準々決勝(当時は4試合日)は本番組 - 昼のJNNニュース終了後の中継開始。
  • 1977年4月から1987年9月までの一部の系列局では、同時間帯を自社製作枠としていた。
    • このうち中部日本放送(現:CBCテレビ)では1週遅れの9:30 - 10:00の放送になったが、1987年10月からは同時ネットに復帰している。
    • 長崎放送では1週遅れの8:00 - 8:30、1989年9月まで11:00 - 11:30、同年10月から最終回まで10:30 - 11:00と最後まで遅れネットだった。
    • 岩手放送(現:IBC岩手放送)では、本番組は1時間先行の7:00から放送されていた[19]
  • 系列外の南海放送でも同時ネットされ、8:00 - 8:30枠へ移行してからも前述の『関口宏のサンデーモーニング』(ただし9:30飛び降り)とワンセットで同時ネットされていた。
  • 同じく、系列外の秋田放送、山形放送、北日本放送、四国放送でも、同時ネットされていた。同局では南海放送とは異なり、後座番組の『サンデーモーニング』ではなく前座番組『日曜放談』とセットで同時ネットされていた。また、秋田放送では放送末期は火曜日10:50からの遅れネット。
  • 1990年10月開局のチューリップテレビは、開局前のサービス放送で最終回のみ放送された。
  • 広島県では1964年2月から系列外の広島テレビで放送が開始され、5月10日から本来の系列局である中国放送へ移行した。

TBSチャンネルでの再放送[編集]

2007年5月6日から、TBSチャンネルで再放送が開始された。放送時間は2007年12月23日までは毎週日曜11:30 - 12:00(再々放送は、翌週日曜11:00 - 11:30)、2008年1月13日からは毎週日曜8:30 - 9:00(再々放送は、翌週日曜8:00 - 8:30。1987年10月4日から1990年9月の最終回までの地上波初回放送と同じ時間帯である)。1586回の放送の中から529回分を再放送する。再放送にはオリジナルフィルムを最新技術で修復し、デジタルリマスターしたものを使用する。

2011年1月23日放送分からは、第2回放送「バルセロナの情熱」を筆頭に、当面モノクロ・最初期時代の内容が放送される。TBSチャンネルの当番組モノクロ版ページでは、「放送開始初期の頃の作品で、兼高のナレーションのみで番組は進行する。」「モノクロ映像」との但し書きが付された。

2012年10月1日からのTBSチャンネル1(HD放送)、TBSチャンネル2(SD放送)の開設に伴いTBSチャンネル1に移行した。2012年11月4日から更にTBSチャンネル2に移行し、スカパー!(CS放送)以外のケーブルテレビ局やブロードバンド経由での視聴は出来なくなった。2013年4月1日より、スカパー!プレミアムサービスおよびスカパー!プレミアムサービス光、一部ケーブルテレビでの放送が開始される。

TBSオンデマンドでの配信媒体は以下のとおり

冒頭の断りテロップ[編集]

TBSチャンネルにおける再放送の際、国名や地名の変化、あるいは既に存在していない施設などへの対応のため、冒頭に「断りのテロップ」を編集し挿入している。表示されるテロップには、確認できるだけで5種類ある。

TBSチャンネル再放送及びParavi登録リスト[編集]

スタッフ[編集]

  • 制作プロデューサー:荒澤邦夫
  • 製作:TBS映画社(現TBSスパークル)→教育文化制作、TBS
    • 番組開始初期は製作が東京テレビ映画株式会社でTBSは企画のクレジット表記だった。

テーマ音楽[編集]

ヴィクター・ヤング八十日間世界一周」のテーマ曲が初め使われたが、のちに三洋電気グループ提供になった時にこれを大幅にアレンジした久石譲作曲のオリジナルテーマ音楽が使われ、さらに協賛がパンアメリカン航空からスカンジナビア航空に変わった時に一部アレンジが変更されたものに差し替えられた。

関連・派生番組[編集]

脚注・出典[編集]

  1. ^ 大阪ABC、岡山RSKは6月26日に「トルコ」の回を放送している
  2. ^ 1966年7月10日放送の第311回「南へのいざない」および1967年7月16日放送の第357回「ナッソーの魅力」の時点でのクレジット
  3. ^ 『TBS50年史』では芥川の後輩・落合博一とされている。
  4. ^ スカンジナビア航空は兼高が世界一周取材旅行をするきっかけを作った1958年の「世界一周早回り」の協賛社でもあった。
  5. ^ 当時の新聞には当該回にカラーマークは付いておらず、実際にカラーで放送されたかは不明。1975年3月30日の再放送ではカラーで放送されている。
  6. ^ 岡山RSK、大阪ABCはカラーマーク付き、広島RCCはマークなし
  7. ^ 「ナッソーの魅力」(#357 1967年7月16日放送)、「スコットランドの想い出」(#362 1967年8月20日放送)、「第18次取材ハイライト U.S.A.」(1967年9月10日放送)はモノクロ
  8. ^ 『20世紀放送史・上』(日本放送協会編・発行、2001年刊)より
  9. ^ 1967年3月放送の第16次取材旅行ハイライトではコメントが別途挿入されていたため、TBSチャンネルの再放送ではBGMのみが流れる。
  10. ^ なお、日本人の海外旅行が自由化されたのは1964年からである。
  11. ^ 芥川は最終回まで番組に参加していたが、この頃には既に肺癌が大きく進行しており、ナレーションも本調子とは言えない状態だったという。
  12. ^ 番組開始当初の製作クレジットは、TBS東京放送だった。
  13. ^ 北國新聞 1977年10月2日付朝刊テレビ欄および、北日本新聞 1990年3月25日付朝刊テレビ欄より。
  14. ^ 北國新聞 1977年10月2日付朝刊テレビ欄より。
  15. ^ 産経新聞・岡山版、1964年2月9日・5月3日、各テレビ欄。
  16. ^ 産経新聞・岡山版、1964年5月10日、各テレビ欄。
  17. ^ 徳島新聞 1966年4月4日付 朝刊7面「午前のTVラインナップ」によると金曜10:30から遅れネット
  18. ^ 週刊TVガイド岡山・四国版1986年1月18日 - 24日号
  19. ^ 下記に記述の秋田放送分と合わせ、出典は1988年(昭和63年)9月付け東奥日報テレビ欄より。
KRT 日曜10:30 - 11:00
前番組 番組名 次番組
不明
兼高かおる世界飛び歩き
(1959.12.13 - 1960.6.19)
不明
KRT→TBS 火曜22:30 - 23:00
リサイタル
兼高かおる世界の旅
(1960.9.20 - 1961.1.3)
脅威の科学
TBS 月曜22:30 - 23:00
不明
兼高かおる世界の旅
(1961.1.9 - 1961.9.25)
スポーツニュース
※22:30 - 22:50
兼高かおる世界の旅
※22:50 - 23:20
TBS 月曜22:50 - 23:20
兼高かおる世界の旅
※22:30 - 23:00
海外ニュース
※23:00 - 23:15
現代の顔
※23:15 - 23:25
兼高かおる世界の旅
(1961.10.2 - 1962.4.30)
これが世界だ
TBS 日曜11:00 - 11:30
背広の暴れん坊
兼高かおる世界の旅
(1962.5.6 - 1977.3.27)
TBS 日曜9:00 - 9:30
テレビ・ルポルタージュ
兼高かおる世界の旅
(1977.4.3 - 1987.9.27)
TBS 日曜8:00 - 8:30
8:00 - 真珠の小箱
※同7:15に枠移行
8:15 - 生きる〜こころと健康
※土曜10:15に枠移行
兼高かおる世界の旅
(1987.10.4 - 1990.9.30)
ふるさと讃讃
(TBSと各系列局の共同制作)