内閣 (日本)

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内閣(ないかく、英語: Cabinet)は、日本行政権を担当する合議制の機関である。内閣総理大臣国務大臣で組織される。

現在の内閣は第4次安倍改造内閣である。

内閣の地位[編集]

内閣の位置付け等については、日本国憲法第5章が規定している

  • 行政権を担当する最高の合議体として、国会(立法)、裁判所(司法)と並ぶ憲法上の機関である。
  • 国会に対して連帯して責任を負う(日本国憲法第66条)。
  • 議院内閣制をとる。
  • 内閣総理大臣に首長的地位を与える。
  • 内閣総理大臣に国務大臣の任免権を保障する。( →「罷免」の項を参照)

大日本帝国憲法は天皇を国家元首としていたが、現行憲法には元首の規定はなく、実質的機能を重視し内閣(または首相)を元首とする説など諸説がある[1]学説の大多数は、条約締結や外交使節任免および外交関係処理の権限をもつ内閣を元首とするか、行政権の首長としての内閣代表の内閣総理大臣を元首としている[2]

内閣の構成[編集]

総理の演台などにとりつけられる「内閣総理大臣紋章」のプレート

内閣は、内閣総理大臣(首相)及びその他の国務大臣(閣僚)から組織される(66条1項、内閣法2条1項)。内閣総理大臣と国務大臣に共通する任命要件は、「文民」であることである(66条2項)。

内閣総理大臣[編集]

内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で指名し、天皇が任命する(67条6条1項)。

人目 内閣総理大臣 生年月日 年齢 内閣 在任期間 日数 所属政党
90  57 安倍晋三 あべ しんぞう
安倍 晋三
 1954年
昭和29年)
 9月21日
64歳 第1次安倍内閣
 改造内閣
2006年平成18年)9月26日 -
2007年(平成19年)9月26日
0366日 自由民主党
96 第2次安倍内閣
 改造内閣
2012年(平成24年)12月26日 -
2014年(平成26年)12月24日
0729日
97 第3次安倍内閣
 第1次改造内閣
 第2次改造内閣
 第3次改造内閣
2014年(平成26年)12月24日 -
2017年(平成29年)11月1日
1043日
98 第4次安倍内閣 2017年(平成29年)11月1日 -
(現職)
0335日
第2次安倍内閣以後の在任日数 2107日
第1次安倍内閣を含めた安倍政権の通算在任日数 2473日

国務大臣[編集]

国務大臣は、内閣総理大臣が任命して、天皇が認証する(68条1項7条5号)。国務大臣として任命された者は、内閣総理大臣から具体的な担当事務について補職辞令がなされる(例:外務大臣を命ずる)。国務大臣の過半数は、国会議員の中から選任しなければならない(68条1項)。また、内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる(68条2項)。国務大臣の数は、14人以内とされている(内閣法2条2項)。ただし、特別に必要がある場合においては、3人を限度にその数を増加し、17人以内とすることができる(同条項ただし書き)。

ただし内閣法附則2号により、東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部が置かれている間は内閣法2条2項の「14人」は「15人」、「17人」は「18人」となる。 さらに内閣法附則3号により復興庁が廃止されるまでの間は内閣法2条2項の「14人」は「16人」、「17人」は「19人」となる。

国務大臣をもってあてられる職は、内閣法国家行政組織法、その他個別の法律によるため、中央省庁の長であるからといって国務大臣であるとは限らない(例:金融庁長官宮内庁長官公正取引委員会委員長などは国務大臣ではない)。逆に、内閣府特命担当大臣内閣の担当大臣のようなスタッフ的な閣僚も存在し、無任所大臣を置くことも認められている。

組閣の手続[編集]

総理大臣官邸

内閣を組織する(組閣)には以下の手順が踏まれる。

  1. 国会が、国会議員の中から内閣総理大臣を指名する(首班指名)。
  2. 天皇が内閣総理大臣を任命する(親任式)。
  3. 内閣総理大臣が国務大臣を任命する。
  4. 天皇が国務大臣の任命を認証する(認証官任命式)。これにより内閣が完成する。
  5. 内閣総理大臣が国務大臣の職を指定する(補職辞令、例:法務大臣を命ずる)。

一般には組閣本部における人事選考は内閣総理大臣の任命前に行われる。つまり次期首相となる者は国会の指名を受けた者という資格において組閣の準備に取りかかることが一般的となっている[3]。内閣総理大臣の任命によって従前の内閣はその地位を完全に失うことになるが(日本国憲法第71条[4]、内閣は合議体であることを本質とすることから内閣総理大臣が一人で内閣を構成している状態は望ましくはなく、内閣総理大臣の任命の時期から他の国務大臣の任命・内閣の成立までは極めて短い期間であることが憲法上期待されていると解されるためである[3][4]。実際には内閣総理大臣や内閣総理大臣周辺などから入閣予定者に対して、組閣当日は待機するように事前連絡があり、首班指名の後、総理大臣官邸に組閣本部が設置されると、順次官邸に来るよう呼び出しの電話があることが多い。その後、与党による閣僚名簿の了承や、親任式・認証官任命式が併せて行われる。

内閣の職務[編集]

憲法73条による職務[編集]

内閣制度創始100周年記念500円白銅貨幣(記念貨幣)  表 (左) は総理官邸、裏は内閣公印の意匠
  • 一般行政事務(憲法73条柱書)
  • 法律の執行、国務の総理(憲法73条1号)
  • 外交関係の処理(憲法73条2号)
  • 条約の締結(憲法73条3号)
    • 条約の締結は内閣の職務であるが、その成立、発効には国会の承認が必要とされる。承認は事前が原則であるが、事後であってもよい。
  • 官吏(公務員)に関する事務の掌理(憲法73条4号)
  • 予算の作成と国会への提出(憲法73条5号)
  • 政令の制定(憲法73条6号)
  • 大赦特赦減刑、刑の執行免除、復権の決定(憲法73条7号)

憲法73条以外の職務[編集]

閣議[編集]

内閣がその職権を行うのは、閣議によるものとされている(内閣法4条1項)。閣議は、内閣総理大臣が主宰し(同条2項)、内閣総理大臣はこの場において、内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議することもできる(同条)。また、各国務大臣は、案件の如何を問わず、内閣総理大臣に提出して、閣議を求めることができる(同条3項)。

内閣制度発足以来、閣議の議事録は作成されてこなかったが、2014年4月1日から議事録が作成され一部を除き公開されることとなった[5]

内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基いて、行政各部を指揮監督する(内閣法6条)。主任の大臣の間における権限についての疑義は、内閣総理大臣が、閣議にかけて裁定する(同法7条)。

法案の提出[編集]

国会で成立する法案の大半は閣法(内閣提出法律案、政府提出法案)であり、関係省庁がいわゆる「タコ部屋」と呼ばれる準備室を設置し、法案を作成する。

日本国憲法には内閣による法律の発案権について大日本帝国憲法第38条相当の規定がないため、学説上の対立が生じた[6]。政府は日本国憲法第72条「内閣総理大臣の議案提出権」を根拠として法律発案権を認め、内閣法第5条を規定した[6]。この解釈は通説の支持を得ているが、有力な異論も存在する[6]

歴代内閣の呼称[編集]

内閣制度発足時より内閣は内閣総理大臣の氏名をもとに◯◯内閣と称されている(例:石橋内閣福田赳夫内閣)。前職(あるいは元職)の内閣総理大臣が改めて内閣総理大臣に就任して組閣した場合には就任回数を追って第◯次◯◯内閣と称する(例:第2次池田内閣)。

また、一般に内閣総理大臣はそのままに内閣改造が行われた場合には改造内閣と称して区別される(例:三木内閣改造内閣)。2回以上内閣改造が行われた場合には第◯次改造内閣という(例:第2次池田第2次改造内閣)。

内閣に置かれる機関[編集]

狭義の内閣の概念は「大臣の合議体」であるが、内閣には、内閣の事務を補助するためにいわゆる内閣補助部局が設置されている[7]内閣法に基づき内閣官房が設置されているほか、法律に基づき必要な機関を設置できることとなっている。内閣府内閣法制局国家安全保障会議が各設置法に基づき内閣に設置されているほか、いくつかの本部や会議が法律に基づき内閣に設置されている。復興庁についても、東日本大震災からの復興を目的として、設置法に基づき時限的に内閣に設置されている。これらの機関は、国家行政組織法における国の行政機関ではないものの、行政機関個人情報保護法などで行政機関と定義され、法人番号も法律に基づき必ず指定される。

このほか、人事院は、国家公務員法に基づき「内閣の所轄の下」に置かれている。なお、各省は、国家行政組織法に基づき内閣の統轄の下に行政事務をつかさどる機関として設置されるものであり、前述の内閣に設置される機関とは位置付けが異なる[7]

2017年8月現在、法律に基づき内閣に設置されている機関は、下記のとおりである。

機関名 設置根拠法 設置日 備考
内閣官房 内閣法 1924年12月20日 当初は内閣所属部局及職員官制に基づき設置
内閣府 内閣府設置法 2001年1月6日
復興庁 復興庁設置法 2012年2月10日
内閣法制局 内閣法制局設置法 1952年8月1日 当初は法制局として設置
国家安全保障会議 国家安全保障会議設置法 1986年7月1日 当初は安全保障会議として設置
高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部(IT総合戦略本部) 高度情報通信ネットワーク社会形成基本法(IT基本法) 2001年1月6日 当初の呼称はIT戦略本部
都市再生本部 都市再生特別措置法 2002年6月1日
構造改革特別区域推進本部 構造改革特別区域法 2002年12月18日
知的財産戦略本部 知的財産基本法 2003年3月1日
地球温暖化対策推進本部 地球温暖化対策の推進に関する法律 2005年2月16日
地域再生本部 地域再生法 2005年4月1日
郵政民営化推進本部 郵政民営化法 2005年11月10日
中心市街地活性化本部 中心市街地の活性化に関する法律 2006年8月22日
道州制特別区域推進本部 道州制特別区域における広域行政の推進に関する法律 2007年1月26日
総合海洋政策本部 海洋基本法 2007年7月20日
宇宙開発戦略本部 宇宙基本法 2008年8月27日
総合特別区域推進本部 総合特別区域法 2011年8月1日
原子力防災会議 原子力基本法 2012年9月19日
国土強靭化推進本部 強くしなやかな国民生活の実現を図るための防災・減災等に資する国土強靱化基本法 2013年12月11日
社会保障制度改革推進本部 持続可能な社会保障制度の確立を図るための改革の推進に関する法律 2014年1月12日
健康・医療戦略推進本部 健康・医療戦略推進法 2014年6月10日
社会保障制度改革推進会議 持続可能な社会保障制度の確立を図るための改革の推進に関する法律 2014年6月12日
水循環政策本部 水循環基本法 2014年7月1日
まち・ひと・しごと創生本部 まち・ひと・しごと創生法 2014年9月5日
サイバーセキュリティ戦略本部 サイバーセキュリティ基本法 2015年1月9日
東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部 平成三十二年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会特別措置法 2015年6月25日
特定複合観光施設区域整備推進本部 特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律 2017年3月24日
人事院 国家公務員法 1948年12月3日 「内閣の所轄の下」に置かれる。

廃止された機関[編集]

日本国憲法及び内閣法施行前は、企画院興亜院情報局といった、いわゆる内閣直属の機関がいくつか設置されていた。

内閣法の下、法律に基づき内閣に設置された機関のうち、廃止された機関は下記のとおりである[8]

組織図[編集]

内閣制度の変遷[編集]

太政官制から内閣制へ[編集]

明治維新後、古代の律令制を参考にして新たに設置された太政官を国政の最高機関とした太政官制が採られた。この期間の政府組織は、幾度も大きな改正が行われ、制度の模索が続いた。1873年(明治6年)の官制改革では、太政官正院に置かれた太政大臣参議から構成される合議体である「内閣」が国政全般にわたる意思決定機関とされた(太政官内閣制)。また、参議と各省大臣にあたる省卿が分離しているという問題に対しては、明治六年政変後に参議省卿兼任制を採用することで解決を図った。これらの改革は天皇に対する輔弼と執行の一体化を指向するもので、後の内閣制度につながるものであった。

1881年明治14年)10月12日明治天皇が出した「国会開設の詔」の中で、1890年(明治23年)を期して「國會」(議会)の開設を目指すと表明した。政府の中心で立憲主義体制の整備を図っていた伊藤博文らは、太政官制に替わる新たな政府機構の策定に取り組んだ。

太政官達第69号と内閣職権[編集]

日本の内閣の印

1885年(明治18年)12月22日に、「太政官達第69号」が発せられ、太政官制を廃止して内閣総理大臣各省大臣による内閣制が定められ、ここに内閣制度が始まった。内閣書記官長は、太政官内閣制の時期に非常設の官職として設置され、内閣制発足後も引き続き置かれた。

同日「内閣職権」が制定され形式的には内閣総理大臣に強い権限が与えられた。内閣の組織には宮内大臣は含まれなかった。この結果「宮中(宮廷)」と「府中(政府)」との区別が明確にされた。

初代の内閣総理大臣には、長州藩出身で参議であった伊藤博文が就任した(第1次伊藤内閣)。内閣総理大臣は、1871年(明治4年)以来三条実美が務めてきた太政大臣とは異なり、公卿が就任するという慣例も適用されず、どのような身分の出自の者であっても国政のトップに立つことができる点で、明治維新におけるひとつの成果の完成をあらわしていた[12]。内閣制度はまた、各省大臣の権限を強め、諸省に割拠して力をつけつつあった専門的な官僚をコントロールできる、大臣レベルの指導者層の主導権を確立するうえで大きな役割を担った[12]

初代内閣名簿[13]
第1次伊藤内閣
職名 氏名 備考
内閣総理大臣 伊藤博文 宮内大臣を兼ねる[14]
外務大臣 井上馨
内務大臣 山縣有朋
大蔵大臣 松方正義
陸軍大臣 大山厳
海軍大臣 西郷従道
司法大臣 山田顕義
文部大臣 森有礼
農商務大臣 谷干城
逓信大臣 榎本武揚

内閣官制[編集]

1889年(明治22年)2月11日に大日本帝国憲法(明治憲法)が発布され、同年12月24日には、「内閣職権」を改定する形で「内閣官制」が制定された。

明治憲法には内閣総理大臣や内閣に関する記述はなく、国務大臣について規定されているのみだった。同憲法第4章55条には「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」、同条第2項には「凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」と記述されていた。同憲法下での内閣総理大臣や内閣は「内閣官制」を法的根拠として存在した。また明治憲法第4章56条には「樞密顧問ハ樞密院官制ノ定ムル所ニ依リ天皇ノ諮詢ニ應ヘ重要ノ國務ヲ審議ス」と天皇が国務(国政)を枢密院へ諮問することが記述されていたため、国政の意思決定機関は「枢密院」であり、内閣はその認可をもって国政を遂行する機関として位置付けられていた。ただ、内閣を構成する各国務大臣は枢密院の顧問官の議席を有し表決に参加することが出来たため、全く別々の意思決定組織という形でもなかった。

法律上は内閣総理大臣や国務大臣は帝国議会に対して直接責任を負うことはなかった。また内閣官制下の内閣の権限は内閣職権下の内閣よりも弱められており、内閣総理大臣は「各大臣ノ首班トシテ機務ヲ奏宣シ旨ヲ承ケテ行政各部ノ統一ヲ保持ス」(2条)とのみ定められ、具体的な権限などは定められなかった。そのため、内閣総理大臣は、内閣の中で「同輩中の首席(primus inter pares)」としての地位を占めるに過ぎず、他の国務大臣罷免の権限がないため、いわゆる「閣内不統一」は直ちに内閣総辞職に結びついた。憲法上は各国務大臣はそれぞれ自身の任務について天皇に助言を行い、天皇が最終的に行政権を行うという建前であった[15]

1907年(明治40年)には内閣官制が一部改正され、内閣総理大臣が閣令を制定する権限を定め、従来の国務大臣の単独副署をなくし、すべての勅令に内閣総理大臣との連署を定めるなど、内閣総理大臣の権限強化が図られた。

内閣総理大臣は、天皇が任命したが(大命降下)、具体的な人選は天皇の諮問を受ける元老重臣会議など憲法外の機関・人物の合議による場合が多かった。大正時代から昭和時代初期(いわゆる「大正デモクラシー」期)には、衆議院の第一党の党首が内閣総理大臣に就任する「憲政の常道」と呼ばれる慣例が確立し、政党内閣時代とも呼ばれるが、元老が衆議院議員総選挙の結果を参照した結果、第一党党首を推挙したという形式は守られた。

また、組閣は、内閣総理大臣が国務大臣の候補を自由に人選し、天皇が任命することとなっていたが、明治の一時期と昭和初期から終戦までの間、軍部大臣(陸軍大臣及び海軍大臣)については現役の大将・中将をもって充てるという「軍部大臣現役武官制」が採用されていた。武官の階級や現役・退役・予備役の別は、軍部が独自に決めることとなっていたため、結局、軍部が推す人物を軍部大臣に充てるほかなく、内閣総理大臣の人選の範囲は限定されることになった。さらに、内閣が軍部の意に沿わない決定を行った場合には、軍部大臣を退かせて替わりの人物を送らず、ひいては内閣総辞職に至らせることも出来るため、軍部の意向が政権に与える影響は大きかった。このほかにも、陸軍・海軍は、軍政の面では国務大臣の下にあったものの、軍令の面では天皇に専属する「統帥権」(明治憲法11条)を直接補佐することとされ、軍部大臣や参謀総長軍令部総長などには帷幄上奏の権限も与えられたため、内閣は事実上、軍事に関する政策に関わることは難しかった。

日本国憲法と内閣法[編集]

1947年(昭和22年)に日本国憲法が公布され、第5章に「内閣」の規定を置き、「行政権は、内閣に属する。」(65条)と定めた。

内閣は、内閣総理大臣及びその他の国務大臣から組織され(66条1項)、行政権の行使について国会に対し連帯して責任を負うとされるなど(同条3項)、名実共に国の行政の中心的機関に位置づけられた。また、内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で指名し、天皇が任命すると定め(67条6条1項)、議院内閣制を採ることが明確にされた。国務大臣は内閣総理大臣が任免して天皇が認証すると定め(68条7条5号)、内閣総理大臣の行政各部に対する指揮監督権を定めるなど(72条)、内閣官制を廃止して新たに制定された内閣法とともに、内閣総理大臣を内閣の「首長」として(66条1項)、内閣と内閣総理大臣の権限強化が図られた。

脚注[編集]

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  1. ^ 河合秀和 『情報・知識 imidas 2015』 JapanKnowledge、2015年、「元首[政治理論]」の項。
  2. ^ 田中浩「元首」、『日本大百科全書』 小学館、2016年。
  3. ^ a b 佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1983年、865-866頁
  4. ^ a b 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、229頁
  5. ^ “閣議の議事録、初めて公開 NSCにも作成義務”. 日本経済新聞. (2014年4月22日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2200L_S4A420C1EAF000/ 2014年10月6日閲覧。 
  6. ^ a b c 高見 2003, pp. 5-6
  7. ^ a b 五十嵐吉郎 「内閣官房、内閣府の現在-中央省庁等改革から13 年目を迎えて-」『立法と調査』347号、参議院事務局企画調整室、2013年、2018年9月9日閲覧。
  8. ^ なお、人事院の前身の臨時人事委員会は、「内閣の所轄の下」ではなく「内閣総理大臣の所轄の下」に置かれていた。また、内閣府の前身の総理府は、内閣府と異なり、各省と同様に国家行政組織法に基づき設置されていた。
  9. ^ 陸上幕僚監部、陸上自衛隊の部隊及び機関
  10. ^ 海上幕僚監部、海上自衛隊の部隊及び機関
  11. ^ 航空幕僚監部、航空自衛隊の部隊及び機関
  12. ^ a b 鈴木(2002)p.284
  13. ^ 板垣退助 監修『自由党史(下)』遠山茂樹、佐藤誠朗 校訂、岩波書店(岩波文庫)1992年、150頁
  14. ^ ただし、宮内大臣は内閣の組織に含まれない。
  15. ^ 内山奈月南野森 (2014年7月). “憲法主義 : 条文には書かれていない本質”. PHP研究所. p. 109-111. 2016年4月26日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

発足・組織・形態

運営・法律

歴史

その他