冬寿

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冬 寿(とう じゅ、289年 - 357年)は、高句麗亡命した前燕の有力者である[1]

概要[編集]

336年に、高句麗に逃亡した。爵位は楽浪相[2]

1949年黄海道安岳郡で発見された安岳3号墳は、複雑な構造の回廊・石室の壁面が彩られた壁画古墳として著名である(世界遺産高句麗古墳群」の一つ)。盗掘を受けて遺物はほとんど残っていなかったが、壁面に「永和13年[3]・・冬寿・・」など68字にわたる墨書銘文が検出され、東晋の年号、生前の官職、出身地、冬寿が69歳で死去したことが明記されており、高句麗王墓をしのぐ朝鮮半島最大の墳室面積の安岳三号墳の被葬者は、墓誌が検出された冬寿が有力である[4]。ただし、被葬者は高句麗美川王の説もある。

高句麗は4世紀に前燕の攻撃にあい、王都を奪われ、平壌に避難したが、高句麗の後退とその後の復興は、楽浪郡帯方郡の中国遺民や当該期間の中国流民の支援と協力なしにはあり得ず、冬寿のような中国からの亡命高官が両者を媒介する役割を果たしたことが推察され、故国原王は、前燕に捕らえられた王母周氏と王妃と前燕に奪われた美川王の遺骸の返還要求と東晋への通交を果たしたが、冬寿がこれらに大きな役割を果たしたことが推察されている[5]

脚注[編集]

  1. ^ 世界大百科事典『冬寿』 - コトバンク
  2. ^ 李成市 『古代東アジアの民族と国家』 岩波書店1998年3月25日、26頁。ISBN 978-4000029032。
  3. ^ 東晋の年号「永和」は12年までしかないが、13年は西暦357年に当たる。
  4. ^ 李成市 『古代東アジアの民族と国家』 岩波書店1998年3月25日、25頁。ISBN 978-4000029032。
  5. ^ 李成市 『古代東アジアの民族と国家』 岩波書店1998年3月25日、28頁。ISBN 978-4000029032。