分福茶釜

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文福茶釜の綱渡り
―ジェームス夫人英訳(1886年)

分福茶釜(ぶんぶくちゃがま、ぶんぷくちゃがま)は、日本中で語り継がれている昔話(民話)、あるいはおとぎ話[1]童話[2]のひとつ。文福茶釜とも表記する。タヌキがあらわれ、化けて人を騙す場面が見られる。

概説[編集]

江戸時代赤本絵本に、茶釜から顔や手足を出した狸の姿や傘を持って綱渡り英語版をする姿がデフォルメされたことによって、そのイメージが広範にそして甚だしく笑話化されて伝えられてしまった[3]。もともとは狐の恩返しをテーマにしたものであり、関敬吾『日本昔話大成』の中の「狐と博労」、「狐遊女」と同種の昔話である[3]

そのルーツは群馬県館林市茂林寺に伝わる伝説で[4]、茂林寺には現在も狸が化けたとされる茶釜が伝わっている。茂林寺にある茶釜は、応永年間(1394年–1428年)開山以来十代の住職に付き従った老僧、守鶴愛用の茶釜で、一度水を入れると、一昼夜汲み続けても水がなくならないという伝説が伝えられている(松浦静山著『甲子夜話』巻三十五[5]所収)[7]

語源[編集]

「分福」という名の由来については諸説ある。この茶釜はいくつもの良い力を持っていたが中でも「福」を「分」ける力が特に強かったことに由来し、「福を分ける茶釜」という意味から分福茶釜と呼ばれるようになったという説明[注 1][8][4]沸騰する音の擬声語という説がある[4][9]

おとぎ話版[編集]

巌谷小波のおとぎ話版『文福茶釜』によって広く人口に膾炙したという評もある[10][12]その要約は、次のようなものである:

上野国館林茂林寺で、茶の湯が趣味である和尚さんが茶釜を買って寺に持ち帰る。和尚の居眠り中、茶釜は頭や尻尾、足をはやし、小坊主たちにみつかり騒動となるが最初和尚は信じない。しかし湯を沸かそうと茶釜をにかけると[注 2]、足のはえた正体をあらわす。怪しい釜なので出入りの屑屋に売却。その夜、茶釜はみずから不思議な姿をあらわし、狸の化けた茶釜だと正体をあかし、文福茶釜と名乗る[注 3]。狸は、寺での扱いをなじり(火にかけられたり、カンカン言わせて叩かれたり)、屑屋には箱にしまうでもなく丁重に養ってもらいたい、そのかわり軽業、踊りの芸を披露する、ともちかける。屑屋は見世物小屋を立ち上げ、茶釜大夫の曲にあわせた{仮リンク|綱渡り|en|Tightrope walking}}芸は人気を博す。一財をなした屑屋は満足し、もうけの半分を布施とするとともに茶釜をもとの茂林寺に返還し、同寺の宝となった[14][10]

このおとぎ話の内容は、江戸時代の赤本類のものに近い[10]。場所(茂林寺)まで指定するのは、これが伝説から純粋な童話になりきっていないひとつの兆候だと志田義秀はしている[15]

寺社伝説[編集]

月岡芳年画『新形三十六怪撰』より「茂林寺の文福茶釜」。タヌキが僧に化けたという説に基いて描かれたもの。

茂林寺縁起[編集]

茂林寺の縁起などによれば、開山(1426年)より代々の住職に161年仕えた老僧、守鶴が元亀元年(1570年)の千人法会のとき披露した無尽の茶釜で、いくらでも湯を汲んでもなくならなく、守鶴は釜を、福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と命名した、七世の住職月舟正初の頃である。その後十世守鶴は(または狸)の姿を現してしまい、寺を去った[16]

茂林寺に現存する伝・分福茶釜は、紫金銅製、容量1斗2升(21リットル強)、真形しんなり茶釜である。周囲は4尺 (1.2 m)、重量3 (11.2 kg)、口径は8寸 (24 cm)で、元の蓋は逸失していおり、現在は新たに作られた蓋があてがわれている[17]

茂林寺が開帳の際に発行している「分福茶釜略縁起」はいくつか異本があり、含まれる要素もまちまちである。そのうち古いものは建前上は天正15年(1587年)とあるが、実際は元禄以降の版行ではないかと考察されている[18]。19世紀頃の稿本は、『甲子夜話』巻三十五に所収された縁起と文章がまったく一致する[8]。こちらでは、守鶴が茂林寺で経た歳月は120余年となっており、霊鷲山で釈迦の説法を聞いたというから齢は2000年ほどということになり、日本に渡ってきてからも800年が経つとも明かしたという。書を能くしたが、書籍はほぼ残らず、直堂の札があるのみという。茶釜の茶で練って丸めた秘薬を守鶴が伝えたとも記される[6][8]

高源寺[編集]

茂林寺の史料によれば守鶴は住職を務めてはいなかったが、高源寺(群馬県邑楽郡邑楽町の旧狸塚(むじなづか))の開山・和尚(つまりは住職)であり[注 4]、狸の正体が発覚した時にこの釜を持って茂林寺に逃げたという言い伝えがあり、このとき蓋を落としていったとされる[19]{[注 5]

文福茶釜が、もともとは自分の寺にあったという伝承は、高源寺をふくめて群馬県の五つの寺にある[21]


近年での改変[編集]

見世物小屋が繁盛した後の結末が二つに分かれる

  • 古道具屋がタヌキを元の姿に戻す方法を模索するが、タヌキは化けたままで居続けた疲れから病にかかり、古道具屋の看病も虚しく元に戻れないまま死んでしまう。悲しんだ古道具屋は茶釜を引き取った寺で和尚さんに全てを話してタヌキを供養してもらい、茶釜は寺の宝として安置される。
  • タヌキはかつて和尚さんに食べ物を恵んでもらった恩があり、古道具屋が再び寺を訪れた際にその事を思い出した和尚さんと再会を喜んで寺で暮らすことになる。茶釜は毎日お供え物をもらい家宝になる。

柳田國男による分析[編集]

民俗学者の柳田國男によると、基話の「狐の恩返し」を基にすれば、動物と人間との交渉(交流)を物語る昔話の根幹には〈動物援助〉の考えがあり、選ばれた人間に神の使いである鳥獣が富を与えるのだという。そこで動物の危機を救ってやり報恩を受けるのを見ると、動物が献身的に尽くす好意も理解できる。動物援助から動物報恩に移行する過渡的な様相を帯びた話といえる[3]

別伝[編集]

山形県米沢市南原横堀町の常慶院にも似た類種の伝説が伝わっているが、こちらでは狸ではなくキツネが登場する。

その他[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 茂林寺の縁起類(『甲子夜話』も含む)に記述[8]
  2. ^ 巌谷小波は単に「」としているが、ちりめん本の挿絵などでは囲炉裏として描かれる[13]
  3. ^ 漣山人版では、寺の段では狸だと一切触れられていないが、ジェームス夫人訳では寺の段階で"badger"であると判明している[13]
  4. ^ ただし守鶴が高源寺の住職だったという裏付け史料はない[19]
  5. ^ 高源寺(茂林寺の末寺であるという)は、「二百八十年前」(1500–1540年頃)に「正鶴〔ママ〕」が開いたという村人の言い伝えを、大田南畝も『一話一言』(1779–1820年)で記録する[19][20]

出典[編集]

脚注
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  1. ^ 巌谷 1908
  2. ^ 志田 1941、244頁
  3. ^ a b c 野村純一ほか編『昔話・伝説小事典』みずうみ書房、1987年、210頁。ISBN 978-4-8380-3108-5。
  4. ^ a b c 『文福茶釜』”. Crepe-paper Books and Woodblock prints at the Dawn of Cultural Enlightenment in Japan 文明開化期のちりめん本と浮世絵. 京都外国語大学 (2007年). 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ 中村禎里 『日本人の動物観: 変身譚の歴史』、1984年、205頁https://books.google.com/books?id=Zk3TAAAAMAAJ 
  6. ^ a b 「分福」”. ArtWiki. 立命館大学アート・リサーチセンター. 2019年6月24日閲覧。
  7. ^ 『甲子夜話』[6]志田 1941、245–247頁引用。
  8. ^ a b c d 榎本 1994, pp. 138–139.
  9. ^ 稲田浩二; 稲田和子 『日本昔話ハンドブック』 三省堂、2001年、139頁https://books.google.com/books?id=dVAnAQAAIAAJ 
  10. ^ a b c 榎本 1994, p. 141.
  11. ^ Myers, Tim (2007). The Furry-legged Teapot. Robert McGuire (illustr.). M. Cavendish Children. ISBN 9780761452959. https://books.google.com/books?id=3-wIAQAAMAAJ4. 
  12. ^ 読売新聞(英語版・号不詳):小波によって"不朽の名声を得た (immortalized)"。童話作家ティム・マイヤーズの序文による[11]
  13. ^ a b James 1886.
  14. ^ 巌谷 1908「文福茶釜」, 221–237頁
  15. ^ 志田 1941、242頁
  16. ^ 榎本 1994, pp. 135–136.
  17. ^ 榎本 1994, p. 137.
  18. ^ 榎本 1994, p. 139.
  19. ^ a b c 榎本 1994, p. 136.
  20. ^ 大田南畝「増補一話一言巻四十一 狸塚」 『蜀山人全集』5巻 吉川弘文館、1908年、327頁http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993340/166 
  21. ^ 榎本 1994, pp. 136–137.
参考文献

関連項目[編集]