前田孝友

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前田 孝友(まえだ たかとも、宝暦9年7月8日1759年7月31日) - 天保3年5月25日1832年6月23日))は、加賀藩年寄。加賀八家前田対馬家8代当主。

父は前田孝昌。子は前田孝本。通称与十郎、大炊。官位は従五位下、伊勢守。

生涯[編集]

宝暦9年(1759年)生。明和6年(1766年)、藩主前田重教の娘邦姫と婚約する。明和8年(1771年)11月、婚約者の邦姫が死去する。安永6年(1777年)11月、父孝昌の死去により家督と知行1万8500石を相続する。年寄、金沢城代として藩主治脩斉広に仕えた。寛政4年(1792年)、学校惣奉行となり藩校明倫堂を創設する。享和2年(1802年)11月、藩財政の最高責任者である御勝手方御用主附となる。享和3年(1803年)、伊勢守に叙任。文化元年(1804年)、年寄職を免じられる。文化12年(1815年)4月、玉龍寺にて前田長種春桂院前田利家長女幸姫)の二百回忌を行う。文政元年(1818年)8月、解任された奥村栄実本多政礼に代わって御勝手方御用主附となる。文政4年(1821年)、隠居して家督を嫡男孝本に譲る。天保3年(1832年)没、74歳。戒名は孝献院殿前勢州刺史従五位下梅翁樹大居士。

参考文献[編集]