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前田 宗辰(まえだ むねとき)は、加賀藩の第6代藩主。加賀前田家7代。先代藩主・前田吉徳の長男。母は側室の浄珠院(上坂以与)。幼名は勝丸、犬千代。通称は又左衛門。初名は利勝(としかつ)。正室は会津藩主・松平正容の娘・常姫(梅園院)。続く4代の藩主重煕、重靖、重教、治脩の異母兄・長兄にあたる。
来歴[編集]
享保10年(1725年)、金沢の金谷御殿にて生まれる。[1]。父:前田吉徳(加賀藩第五代藩主)母:浄珠院(上坂景氐の妹)幼名は勝丸。同年松平の名字を与えられる。[2]元文元年(1736年)9月江戸に上り、翌年4月、名を犬千代と改めた後、又左衛門と改め諱を利勝とする。6月、正四位下左近衛権少将に任じられ、佐渡守と称し、将軍・徳川吉宗より偏諱を受けて宗辰と改めた。延享元年(1744年)4月、会津藩主・松平正容の娘・常姫と結婚。延享2年(1745年)、延享2年(1745年)6月、父吉徳の死により家督を継ぐ。10月左近衛権中将となり、加賀守と称する。11月、正室常姫が男子を出産するが、母子ともに死亡した。自身も翌延享3年(1747年)12月に22歳で死去した。その跡を宗辰の次弟の利安(重煕)が継いだ。
脚注[編集]
- ^ 以下、『加賀藩史料』。
- ^ 村川浩平『日本近世武家政権論』。
加賀前田氏加賀藩第6代藩主 (1745年 - 1746年) |
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