前田建設工業

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前田建設工業株式会社
MAEDA CORPORATION
Maeda company logo.svg
IidabashiGrandBloom.JPG
種類 株式会社
市場情報
略称 前田建設、前田建
本社所在地 日本の旗 日本
102-8151
東京都千代田区富士見二丁目10番2号
設立 1946年昭和21年)11月6日
業種 建設業
法人番号 4010001008789
事業内容 建築土木コンサルティング
代表者 小原好一(代表取締役相談役
福田幸二郎(代表取締役副会長)
前田操治(代表取締役社長執行役員社長)
資本金 284億6300万円
(2019年3月期)
発行済株式総数 1億9795万5682株
(2019年3月期)
売上高 連結4921億円 個別4013億円
(2019年3月期)
営業利益 連結359億円 個別298億円
(2019年3月期)
純利益 連結240億円 個別204億円
(2019年3月期)
純資産 連結2526億円 個別1901億円
(2019年3月期)
総資産 連結7176億円 個別4557億円
(2019年3月期)
従業員数 連結4133名 個別3001名
(2018年3月末)
決算期 3月31日
主要株主 光が丘興産株式会社12.28%
前田道路株式会社3.99%
アセットマネジメントOne株式会社3.72%
株式会社みずほフィナンシャル・グループ2.83%
株式会社三井住友フィナンシャルグループ2.10%
(2019年3月31日現在)
主要子会社 前田製作所42.0%
JM100.0%
フジミ光研50.0%
エフビーエス・ミヤマ50.0%
愛知道路コンセッション50.0%
(2019年3月31日現在)
関係する人物 前田又兵衛(創業者)
前田靖治(元社長)
上田恵一郎(元会長)
外部リンク http://www.maeda.co.jp/
特記事項:創業は1919年大正8年)1月8日
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前田建設工業株式会社(まえだけんせつこうぎょう、英:MAEDA CORPORATION)は、東京都千代田区に本社を置く大手総合建設会社。通称「前田建設」。

概要[編集]

1919年大正8年)創業。山岳土木から始まり、これまで日本一の高層マンション、東洋一のダム、世界一の海底トンネルなど数々のプロジェクトに挑戦し続けてきた。

近年では、従来の建設「請負」のみのビジネスモデルから転換し、「脱請負」事業に挑戦。国内第1号のコンセッション事業である仙台国際空港や、愛知県有料道路コンセッション、愛知県国際展示場コンセッションの運営権を獲得しており、日本においてコンセッションのトップランナーの地位を築いている。

創業理念は「良い仕事して 顧客の信頼を得る」。

歴史[編集]

創業~初期[編集]

始まりは、水力発電所建設[編集]

土木事業で身を立てるという志で飛島組の門をくぐった、創業者初代前田又兵衛。1919年(大正8年)1月8日、福井県小和清水の地で、飛島組「前田事務所」として創業。最初に請け負った事業は、長野県木曽川に流入する王滝川での木曽福島第2水力発電所建設。5名にも満たない陣容で取り組んだこの新設工事が、前田建設最初の挑戦であった。現在は跡地に放水口と基礎部だけが残り、当時の面影を伝えている。

初代又兵衛が掲げた創業理念は「良い仕事をして 顧客の信頼を得る」。誠実にものづくりに徹することで顧客と社会との間に信頼感が生まれ、これが次の一歩につながる。この理念は、100年経った現在も変わらぬ普遍的な姿勢として受け継がれている。

前田の原点、高瀬川発電所[編集]

続いて請け負ったのが、北アルプスの高瀬川渓谷への4つの水路式発電所建設工事。険峻な山岳、もろい岩質、吹き出す熱泉、岩を割るほどの冬の寒さと雪。「猿も顔負けする」といわれた厳しい環境下で、まず道を拓くことから始める難工事。多くの同業者が尻込みする中、初代又兵衛は自ら陣頭に立ち、社運を賭けてこの事業をやり遂げた。

当時、又兵衛のこの真摯な姿を目にした施主側の森矗昶氏(昭和電工創業者)が「先人が不可能といった事業を敢然制服し成就するのは、ただ至誠天を動かす底の人格である」と評したほど。このように、顧客の厚い信頼と部下の強い結束をもたらした高瀬川発電所こそ、創業理念を形にして示した原点ともいえる一大事業であった。

ダム建設のリーディングカンパニーへ[編集]

昭和恐慌や戦時下という厳しい社会環境の中、過去に経験のない大規模ダム工事への挑戦を続けた。戦後間もない1946年(昭和21年)11月6日に「前田建設工業株式会社」として改組し、現在の前田建設が始まった。そして、1955年(昭和30年)に請け負ったのが、電力の緊急事態に備え計画された福島県只見川上流の田子倉ダムであった。

同時期に建設された佐久間ダムを凌ぐ38万kWの大型ダム建設。競合各社から垂涎の的となったこの工事は、社長として指揮に立った二代目前田又兵衛にとって、まさしく正念場。これを全社挙げての努力で受注し、当時で東洋一と称されたスケールのコンクリート重力式ダムを完成。この工事の中で、日本で最初といわれた多くの工法や記録が確立されていった。さらに1971年(昭和46年)には、東洋一の大規模揚水発電用ロックフィルダム、高瀬ダムを受注。こうして、ダム建設のリーディングカンパニーとしての地位を築き上げていった。

中興~山岳土木から都市土木へ[編集]

都市土木での新たな挑戦[編集]

ダム建設のリーディングカンパニーとしての実績で、社会の信頼と期待を高めていった前田。数々の困難なダム建設で培われた技術と経験をもって、事業領域を山間部から市街地へと拡大していく。まず、1951年(昭和26年)の営団地下鉄丸ノ内線工事から始まった都心での大型土木工事。この成功から、東海道新幹線国府津工区工事、名神高速道路茨城工区工事など、主要都市をつなぐ鉄道や道路の整備を担うようになる。

また、世界最長・最深の海底部分を有する青函トンネルで本州と北海道を、瀬戸大橋で本州と四国をつなぐなど、南北に長い島国日本列島内の移動時間を革命的に短縮。のちに1997年(平成9年)開通する、川崎と千葉を結ぶ東京湾横断道路(東京湾アクアライン)の工事では、世界最大級シールドによる海底での自動掘進とセグメント自動組立の技術を確立。このように、難易度の高い国家的プロジェクトを次々と手がけ、高度経済成長の基盤となる日本の交通網を造り上げていった。

世界へ進出する技術[編集]

国内で鍛え上げた技術は、海外でも高い評価を受けていく。1963年(昭和38年)に進出した香港では、香港政庁クワイチュン開発計画第2期工事、「世界一の空港」と評される香港国際空港ターミナルビル、香港紙幣の絵柄となったカプスイモン橋など、現地に欠かせない建造物を次々と手がけていく。最大の実績は、ランブラー海峡を跨ぐ全長1,596メートルのストーンカッターズ橋。世界最大級の斜張橋として2009年(平成21年)に竣工し、香港の社会基盤として街を支える。

タイでは、国連が決めた戦後最大の道路計画「アジアハイウェイ」に日本企業として初めて参加し、1965年(昭和40年)着工のランパン─チェンマイハイウェイ建設を担当。さらに、バンコク国際空港拡張工事やダオカノンーポート高速道路建設を経て、民間工事へと事業を拡大。ベトナムではダーミーダム水力発電所建設から始まり、現在はホーチミン市で地下鉄トンネル工事が進む。このように、土木事業への信頼は世界の舞台へと広がっていった。

新たなステージ「まちづくり」[編集]

建築分野へ[編集]

「土木の前田」として、揺るぎない実績を重ねてきた前田建設の歩みは、建築分野への進出でさらに加速していく。初の建築工事は、東京電力戸山変電所。土木工事に付随するダム管理棟や公団住宅から始まった建築事業は、1960年(昭和35年)の建築部設立から本格化。同年には、大型建築物件の住都公団・常盤平団地を受注。続いて、東京税関庁舎をはじめ、福井県会議事堂、姉崎火力発電所超高圧開閉所、皇居陛下御還暦記念桃華楽堂を施工するなど、都市土木建築とあわせ、まちづくりをトータルに担う企業へと成長していく。

社是「誠実・意欲・技術」の制定[編集]

1968年(昭和43年)、「誠実・意欲・技術」からなる「社是」を制定しました。これは初代前田又兵衛が、日頃から口にしていた「誠実・意欲・技術を旨として、何事にも責任と情熱を持って率先垂範、陣頭指揮を執る」に由来している。

 ─儲けることばかり考えていたのでは事業は永続きしない。そこに真心があり、取引先と心の触れ合いがあってこそ事業は永続し、発展する。(「誠実」より)

 ─仕事、それは自分との戦いである。負けないという自負心や、打ち克たねばならぬとして己を鞭打つこと。人生においても不可欠な心の糧である。(「意欲」より)

 ─工事の出来栄えをひと目見れば、これは前田がやったのだということがわかるような仕事でありたい。他人のまねをするより、他人がまねたがる「技術」それが我々の売りものである。(「技術」より)

三つの言葉からなる「社是」の中で、「誠実」こそが、創業者の心を表す最も適確な言葉。制定から数十年を経た現在も、その意志を未来へ向け受け継いでいる。

民間建築分野の拡大へ[編集]

公共工事から始まった建築事業は、1980年代には民間工事へと本格進出。光が丘IMA、牛久駅西口地区第一種市街地再開発事業など、工場、集合住宅や商業施設へと展開。1986年(昭和61年)には、高層RC建造物の開発に着手し、その2年後に財団法人日本建築センターの「高層コンクリート構造技術委員会」の審査が終了。その間に前田独自の構造設計法、部材の性能評価、施工法を確立。

1991年(平成3年)には、前田建設初の高層RC造21階建マンション、ライオンズタワー東札幌が竣工。これ以降、天王洲セントラルタワー、光が丘の超高層ビルJ.CITY、さらには日本初の開閉式屋根を備えた福岡ドーム建設へと挑戦を続け、建築技術の拡大を進めた。

日本一の高層建造物への挑戦[編集]

RC建造物設計・施工の技術開発を進め、21世紀には次なるステージへと成長していく。2003年(平成15年)、横浜みなとみらい地区に免震装置を備えた高さ100メートルの高層マンションM.M.TOWERSを建設。さらに2008年(平成20年)には、勝どきの再開発事業として、国内最高階層となる200メートルのツインタワーマンションTHE TOKYO TOWERSを竣工しました。数々の実績を重ねる中で、超高層RC造集合住宅の設計・施工システムMARC-Hシステムを確立。主要躯体のPCa化による合理化施工で、高品質・高耐久性の高層マンションを次々と誕生させる。

そしてPCa施工の集大成として、その技術を惜しみなく投入した工事が、2014年(平成26年)竣工のパークタワー千代田富士見町ザ タワーである。昭和初期から事業を営んできた地を、飯田橋駅西口地区再開発として生まれ変わらせる一大事業。現在、前田建設本社を含むオフィス棟飯田橋グラン・ブルーム、商業エリアのサクラテラスとあわせ、「飯田橋サクラパーク」街区となり、前田がめざす地域と一体感あるまちづくりそのものとして、賑わいを見せている。

技術開発から生み出す未来のまちづくり[編集]

こうして超高層RC造建造物を含む集合住宅分野でも、業界のリーディングカンパニーとなる。しかし、前田が思い描きめざすものは、建造物を造り上げることにはとどまらない。それは、これまで100年の歴史で培ってきた建築技術を活かし、未来のまちづくりを創造すること。

例えば、2014年(平成26年)の岩手県住田町新庁舎建設では、「森林・林業日本一」をめざす住田町の木材を可能な限り利用し、地元林業の活性化を図るとともに、開かれた建設現場として、住田町の職人や建設会社とのコラボレーションで施工を実施。木造公共施設のモデルケースとなる、地域社会への価値提供を実現。前田が手がける建造物が、それぞれの地域社会へ価値を生み出し、人々のくらしと経済を活性化させる。そんな未来のまちづくりの担い手となるビジョンを抱いている。

土木から建築へと事業を拡大し、人と社会のライフラインを支え、まちづくりへの貢献を重ねてきた。絶えざる挑戦と高い技術力の集積を通じて、日本全国17拠点、海外13拠点を有し、社員3,000名を超える総合建設会社へと成長を遂げた。

新たな建設サービスへの挑戦「脱請負」[編集]

「請負」だけの建設業から転換[編集]

欧米で20世紀終盤に巻き起こった経済不況は、建設業界にも大きな影響を及ぼした。21世紀、この波は日本にも例外なく押し寄せ、従来のビジネスモデルでは企業の存続そのものが危うい時代となった現在。これからも、社会への価値を持続的に提供し、くらしを支える存在であるために目を向けたものは、欧州で実績を上げていたコンセッション事業であった。

新規建設需要が縮小し、既存建造物の維持管理需要が拡大していく中、従来の「請負」のみのビジネスモデルからの転換に舵を取った。公共施設を建造するという従来の請負の範囲を超え、その運営権も手中におさめ維持管理していく。建設業自らが、企画・計画から、設計、建設、運営・維持管理、点検・補修まで、上流から下流の全てを担っていく。未来の建設会社の姿として「脱請負No.1」をめざす歩みを始めた。

再生可能エネルギー事業[編集]

「脱請負No.1」に向けた事業の中で、先陣を切ったのは再生可能エネルギー発電。地球温暖化による気候変動問題が叫ばれる中、「環境経営No.1」を掲げてきた前田建設にとっては真骨頂といえる取り組みである。2013年(平成25年)、茨城県つくば市で最大出力2MWのメガソーラー事業の稼働を開始。岩手県大船渡市では、2015年(平成27年)から最大出力18MWの五葉山太陽光発電所の売電を始め、震災被災地の復興事業として地域に貢献。また、青森県六ヶ所村では最大出力20MWの吹越台地風力発電所が2015年(平成27年)稼働、山口県下関沖では最大出力60MWの安岡洋上風力発電事業を進めるなど、環境問題の解決に向けた取り組みを着実に進めている。

コンセッション事業[編集]

国内第1号のコンセッション事業は、仙台国際空港の特定運営事業。複数の他企業と組んだコンソーシアムで運営権を獲得し、長期にわたる民間運営を2016年(平成28年)にスタート。また、同年10月に始まった愛知県有料道路コンセッション事業では、県内有料道路8路線の維持管理、運営、改築などを進めている。さらに、2019年9月に誕生する、愛知県国際展示場(Aichi Sky Expo)のコンセッション運営など、地域の活性化を促す「脱請負」のビジネスモデルを着実に拡大している。

沿革[編集]

  • 1919年大正8年)1月 - 福井県出身の前田又兵衞が、飛島組傘下の前田事務所として創業。
  • 1946年昭和21年)11月 - 前田建設工業株式会社に改組設立。
  • 1960年(昭和35年)- 建築部設立。
  • 1962年(昭和37年)
    • 6月 - 東京証券取引所市場第二部に株式上場。
    • 11月 - 株式会社前田製作所を設立(現 連結子会社)。
  • 1964年(昭和39年)4月 - 東京証券取引所市場第一部に株式上場。
  • 1968年(昭和43年)- 社是「誠実・意欲・技術」制定。
  • 1969年(昭和44年)- フジミ工研株式会社を設立(現 連結子会社)。
  • 1976年(昭和48年)
    • 3月 - 東京都練馬区に技術研究所を開設。
    • 5月 - ミヤマ特殊工事株式会社(現 株式会社エフビーエス・ミヤマ)を設立(現 連結子会社)。
  • 1986年(昭和58年)- フジミビルサービス株式会社(現 株式会社エフビーエス・ミヤマ)を設立(現 連結子会社)。
  • 2002年(平成14年)12月 - 株式会社なおしや又兵衛(現 株式会社JM)を設立。
  • 2003年平成15年)2月 - 自社ウェブサイトに「前田建設ファンタジー営業部」設置。
  • 2009年(平成21年)4月 - 創業家以外から初めての社長(小原好一)が就任。
  • 2011年(平成23年)1月 - 「飯田橋駅西口地区第一種市街地再開発事業」の着工に伴い、本店を千代田区富士見二丁目から同神田猿楽町二丁目の現在地に移転[1]
  • 2013年(平成25年)- 「前田建設ファンタジー営業部」が舞台化。
  • 2014年(平成26年) - 再開発事業(飯田橋グラン・ブルーム)完成に伴い本社を移転。
  • 2016年(平成28年)
    • 4月1日 - 前田操治社長就任。
    • 7月1日 - 仙台国際空港(コンセッション)運営開始。
    • 8月 - 愛知道路コンセッション(現 連結子会社)を設立。
    • 10月1日 - 愛知県有料道路(コンセッション)運営開始。
  • 2018年(平成30年)
    • 12月 - 茨城県取手市に新技術研究所「ICI総合センター ICIラボ」を建設し仮移転。
  • 2019年(令和元年)
    • 1月8日 - 創業100周年。
    • 2月15日 -「ICIラボ」開所。
    • 8月30日 - 愛知県国際展示場(Aichi Sky Expo)(コンセッション)運営開始。

事業所[編集]

国内事業所[編集]

海外事業所[編集]

現地法人[編集]

  • MAEDA (BEIJING) BUSINESS CONSULTING CO., LTD.(北京 中国)
  • MAEDA VIETNAM CO., LTD.(ホーチミン ベトナム)
  • THAI MAEDA CORPORATION LIMITED(バンコック タイ)
  • MAEDA CORPORATION INDIA PRIVATE LIMITED(デリー インド)

主な施工実績[編集]

福岡ドーム
シティタワー広島

創業者(前田又兵衛)[編集]

創業者の前田又兵衛は、明治10年2月8日、足羽川沿いの福井県足羽郡下宇坂村小和清水(現福井市)生まれた。幼名は松蔵[2]。 農業の傍ら小和清水石の石工を兼ねていたが、1899年(明治32年)、京都電灯が近くの足羽川宿布で北陸初の水力発電所を建設した[3]ことで、発電所や大型土木工事に関心を持った。

その後、急速な電力の普及で、京都電灯は矢継ぎ早に水力発電所建設計画を実行し、福井では地元の飛嶋文吉(飛島組)がその一翼を担った。

1910年(明治43年)に着工した、宿布上流で又兵衛の地元にあたる小和清水の発電所工事が又兵衛と飛嶋文吉を結び付ける工事となった。飛嶋文吉が受注し、石工工事は実績のある熊谷三太郎(後の熊谷組)が担当したが、この時、地元との折衝の仲介にあたったのが、区長をしていた又兵衛であった。この工事で初めて飛嶋文吉、熊谷三太郎、そしての前田又兵衛の3人が顔を揃え、運命的な工事となったといわれる[4]。この後、熊谷も又兵衛も飛島組に参加、全国の大型工事を受注し、近代福井の「土木建設の三傑」といわれた[4]

大正8年に前田建設工業の前身である前田事務所を設立。二高瀬川、千曲川、信濃川、阿賀野川筋等名だたる発電所建設工事を担当施工した[5]。昭和23年1月3日新郷発電所工事現場において病没。

前田建設ファンタジー営業部[編集]

ファンタジー営業部は、一般にはなじみが薄いゼネコンの業務内容を広く周知させるため、「ゼネコン汚職事件」などから流布しているゼネコンに対するネガティブなイメージを払拭するべく若手社員発案が元になる組織。部署として実在するわけではなく、それぞれ本来の役職が違う数名の社員がボランティアで所属している組織、及びその活動の名称である。

SFアニメ作品などに登場する土木施設について、出来るだけ作品内のディテールに準じて、実際の土木技術を用いて建設を行うと仮定し、概算工事費・概算工期の算出を行っている。自社ウェブサイト内のコーナーは2006年まで原則月1回更新されていた。メンバーの人事異動に伴いしばらく更新が行われていなかったが、2010年4月に新プロジェクトを開始。第36回(2005年星雲賞ノンフィクション部門受賞。

これまでに取り上げられた題材[編集]

単行本[編集]

  • 『前田建設ファンタジー営業部』(幻冬舎2004年) ISBN 4344007069  マジンガーZ編
  • 『前田建設ファンタジー営業部NEO』(幻冬舎、2007年) ISBN 9784344013490  銀河鉄道999編
  • 『前田建設ファンタジー営業部3 「機動戦士ガンダム」の巨大基地をつくる』(幻冬舎、2012年) ISBN 9784344021549  機動戦士ガンダム編
単行本として出版されたほか、『謎のホームページ サラリーマンNEO』でも取り上げられた。

企画協力[編集]

他社からの依頼[編集]

関連会社[編集]

  • 前田道路(道路舗装会社、業界大手)
  • 前田製作所クレーン高所作業車の製造・販売など)
  • 光邦(出版物の印刷など)
  • 東洋建設(海洋土木の大手、財務悪化により前田建設工業と資本提携)
  • 光が丘興産(建設資材卸売・不動産・輸入食品の販売、保険代理店など)
  • フジミ工研(コンクリート二次製品の生産)
  • エフビーエス・ミヤマ(ビルメンテナンス・土木工事請負など)
  • 正友地所(不動産管理・販売・コンサルティングなど)
  • JM(前田建設の旧リテール事業部より分離・独立)
  • 株式会社ジェイシティー(J・CITY施設管理、ホテルカデンツァ光が丘の運営など)
  • 仙台国際空港 (仙台空港の運営会社で東京急行・豊田通商等と共に出資)
ほか

脚注[編集]

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  1. ^ 本店移転に関するお知らせ 前田建設工業 2010年11月12日付リリース
  2. ^ 前田又兵衛翁伝記編纂会『前田又兵衛翁伝』(非売品)1940年5月 15頁
  3. ^ 京都電燈株式会社編『京都電燈株式会社五十年史』京都電燈株式会社 1939年11月54-55頁
  4. ^ a b 奥山秀範「ふくい歴史回廊〜小和清水発電所 三傑ここに集う」『福井新聞』2015年9月25日号 16面
  5. ^ 飛島建設社史編纂室編「飛島組時代人物略伝」『飛島建設株式会社社史・上巻』(非売品)1973年3月 513頁

関連項目[編集]