前田耕地遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

移動先: 案内検索

前田耕地遺跡(まえだこうちいせき)は、東京都あきる野市に所在する縄文時代草創期の遺跡である。

概要[編集]

神子柴文化末期かそれに続く時期の遺跡とみられ、掃除山遺跡より遡ると推定されている。多量の石槍と剥片を伴う二棟の住居跡が検出されている。一棟は掘りこみがなく、8個の川原石が外周の一部に沿って並べられており、いわゆる平地式の住居跡とみられている。もう一棟は、柱穴こそ確認されなかったが、深さ10センチほどの掘りこみを持ち、中央のやや北寄りに炉が設けられていた。そして、二棟の住居とその周辺からは、2000点を超える石槍と膨大な剥片などが出土しており、ここで石槍を集中的に製作していたことが分かる。しかし、膨大な石器群の出土にもかかわらず、検出された住居跡はわずかに二棟と少なく、住居跡以外の遺構は、全く検出されていない。しかも土器はというと、二個体分の小片が出土しただけで、石皿などの植物採取活動にかかわる道具も検出されなかったことからみても、ここを通年生活の場としていたとは考えにくい。

前田耕地遺跡では、竪穴住居跡の床面を覆う土の中から、大量の哺乳動物と魚類の骨片が検出され、特に魚類の骨片を詳細に分析した結果、住居内に60から70個のサケの頭部が存在していた。そこで、前田耕地遺跡が多摩川とその支流である秋川が合流する川べりに立地するという特徴を考え合わせると、サケが溯上するを中心とする時期に、その捕獲と合わせて石槍を集中的に製作したと推定される。サケの保存を考えれば、前田耕地遺跡もまた、一年の特定の時期に居住地とされることはあっても、通年的な定住集落を形成するまでに至っていない[1]

なお、石槍を主体とする石器群をもつ遺跡は、新潟県中魚沼郡津南町本の木遺跡、同中林遺跡、群馬県伊勢崎市石山遺跡、千葉県富里市南大溜袋遺跡、神奈川県綾瀬市寺尾遺跡などである。これらの遺跡は、槍先形石器が多く、他の石器は少ない、石鏃をほとんど伴わない、石器作りに石刃技法がみられない、土器はないか、あっても非常に少ないなどの特色があり、一般に石片、破損品などの出土が多く、石器製作址的な性格を示すものが多い[2]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 『縄文文化』勅使河原彰 新日本新書 1998年
  2. ^ 「狩人の系譜」今村啓爾 『日本の古代10 山人の生業』大林太良編 中公文庫1996年

参考文献[編集]

  • 『日本史講座 第1巻』歴史学研究会・日本史研究会編 東京大学出版会 2004年 ISBN 4-13-025101-5

関連項目[編集]