剣詩舞

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剣詩舞(けんしぶ)とは、剣舞詩舞(扇舞とも)の2つからなる日本の芸道である。剣舞と扇舞を合わせて 剣扇舞 (けんせんぶ)と呼ぶこともある。ともに、詩吟(吟詠)にあわせ和服で舞い詩の情緒を表現する。

詩吟と剣詩舞は、基本的に別々の者が行う。人数は決まっておらず、吟者と舞者が一対一の場合もあれば、吟者一人に対して複数人で舞う場合も多い。

剣舞[編集]

剣舞は、広い意味では、刀剣を持って舞うこと。ここでは、詩吟に合わせて日本刀を用いて舞う日本の近現代の剣舞を解説する。演目によっては、刀に加えて扇子を用いることもある。古武術や居合などの古武道の影響をうけた芸術的な舞踊である。


剣を抜いて群舞することは、出陣や、凱旋の祝宴の際など世界中の民族の間で広く行なわれていた。

個人での剣を用いた舞としては、三国志に燕の太子丹の密命をうけた除哲が秦王の前で「青竜の剣舞」を行ない、秦王のスキをみて風車のように廻していた青竜刀を秦王めがけて投げつけたが、コントロールに難があり秦王は避け、除哲は志成らずと見るとその場で自分の胸に得意の唐手の一撃を加えて死んだとある。

つづいて、漢の高祖の時、鴻門の会において、項羽の股肱范増の命をうけた項羽の従弟項荘が剣を使った舞にことよせて沛公にせまってスキを見て刺殺しようとしたが、沛公の忠臣張良がこれを見破り、かねてから内通していた項羽の季父項伯に命じて同じく剣を抜いて舞わせ、項荘の邪魔をしたため、項荘が遂に沛公をうちもらしたとある。

これらの剣を用いた舞は、いずれも相手を騙し討ちしようとしたもので日本の近代以降の剣舞とは、全く異なる。

日本の古舞の中に、剱の舞、剣の舞と称するものがあり、これは剣を持って目に見えない邪心や悪霊を切るに擬したもので、当時は神楽の部門に含まれていた。また、その他に古代武術の技巧を取り入れた、久米の舞と吉次の舞とがあって、その何れも剣を振って敵を撃つ有様を舞った。

太平記には、鎌倉時代の末期、河内国八尾城主 八尾顕幸が楠正成と共に南朝に忠節を尽した功績に対して北畠親房が宗去法師と名乗って使者となり、八尾顕幸に僧正位を与える勅令を伝えたところ、喜んだ顕幸が城内で祝宴を開き、自ら二本の太刀を振りまわして合戦の舞を舞ったという記事がある。

その後、武士の勃興とともに剣の舞は様々あり、記録に残っているもの以外にも行なわれたであろうことは容易に想像できる。しかし、江戸時代の中期以降は、武士達に紳士的であることが要求され、いざという時以外に刀を抜くことは慎むべきとして、剣を用いた舞は、あまり行なわれなくなった。

これらの剣舞は即興的に行なわれたもので現代の剣舞とはあまり関係がなく、恐らく近代以降の剣舞は、以上の古典が歴史と共に移り変りつつ、数世紀を経て今に及んだものとみるべきである。


詩吟を伴う剣舞としての最初の記録は、安政の時(1855~1860年)、昌平坂学問所の書生が酔った際に、頼山陽等の詩を吟じ、刀剣を抜き舞ったという。また、王政復古に際しては姿なき協力者として、勤王の志士の間に大いに歓迎され人心を掻き立て、あるいは士気を鼓舞する等、適時適所に少なからず役立ったという[1]。これもまた即興的な剣舞で、沿革の一端としてみるべきである。


現代まで続く剣舞の源は、明治維新後、榊原健吉が行った撃剣興行の余興として剣舞が披露されたことが定説となっている。系統だて整理した厳密な意味で現代剣舞の創立者は、日比野正吉(雷風)、長宗我部林馬(加藤鶯鳴,秦霊華)と言われ、明治20年頃、前者は神刀流、後者は弥生流を発表した。

明治25年頃ごろまでは東京においては、神刀流と弥生流とが勢力を二分していたが、26年頃から弥生流の幹部が西下し、東京の剣舞界は神刀流が独占した。

日清戦争においては士気昂揚のため普及し、発展期にある剣舞界にとって飛躍の機会となった。この頃、至心流(宮入清正)、菊水流(藤田南海)、金房流(金房冠一郎)[2]、紫山流(北川是治)、立花流(小林義雄)、白双流(日下部秀行)、敷島流(佐野星山)が興り、日比野雷風門下からは、大輪正秀、木崎正道、為石正夷などが普及に貢献した。

日露戦争においても同様に士気昂揚のために用いられ、戦後においては、戦勝祝賀会で演し物として剣舞が行われた。

また、日露戦争後、神田の錦輝館や横浜の喜楽座などで剣舞の大会が開催され、大衆の間に普及した。一方で、「改良剣舞」、「法界剣舞」、「娘剣舞」など武術を基礎としていない新趣向のものも流行した。

日露戦争の勝利の熱が冷めると、全盛を誇った剣舞は次第に衰退し、多くの剣舞家は剣道の指導と兼業となった。大正初期に道場を開いて専門に剣舞を教授している者は最も有力な流派である神刀流でも日比野雷風、木崎正道、多田正義の3名程度であった。その後、神刀流は多くの派に分れ、水心流からも水華流が分派し、他にも新しい流派が興った。

一時衰退した剣舞は、太平洋戦争において戦意昂揚のため多くの国民が剣舞に取り組み、芸能挺身隊として舞われる[3]こともあり再び盛んになった。

終戦後、GHQにより弾圧され再建は不可能と考えられた。しかし、山本泰山、本庄道保、鈴木凱山など当時の詩吟、剣舞の指導者達が、「これは伝統文化であって芝居的なもの」と陳情し解禁された[4]

昭和二十七年五月、東京下谷公会堂において木村岳風の詩吟大会が開催され、参加した剣舞家達が協議して「日本剣舞道連盟」を結成し、委員長に神刀流の加藤雷正風を選出し、昭和二十七年十一月皇太子立太子記念祝賀剣舞術大会を開催した。昭和51年、日本剣舞道連盟は、「全日本剣詩舞道連盟」と改称、現在まで続いている。

昭和43年10月には、「財団法人日本吟剣詩舞振興会[5]」が文部科学大臣の許可を受け、設立され、吟詠・剣舞・詩舞が一体となり流派を超えた活動が活発化した。それまでは、剣舞家と吟詠家が会場ではじめて会い、ぶっつけ本番なことがしばしば見受けられたが、舞台芸術としての形態をととのえ、芸術性の追求と実現のため剣舞家と吟詠家の連携、交流が活発に行われるようになっている。

詩舞[編集]

詩吟に合わせて扇子のみを持って舞うことは扇舞(せんぶ)または詩舞(しぶ)という。

流派[編集]

全日本剣詩舞道連盟は、平成19年6月当時、加盟流派数 73流派としていた。すべての流派がこうした団体に加盟しているわけではないので、実際の流派数は不明である。

現存しているか不明なものも含め以下に示す。

※順不同

  • 秋月流 中田鶯秀。
  • 精華流 桐島鶯哦。
  • 剣心流 藤田鶯誠。
  • 東流 古川慶風。
  • 伊東流 伊東祐憲、東京。
  • 桜堂流 宗家は前田桜堂。
  • 鹿島神刀流 高橋佐十郎。
  • 鹿島心流 宗家は入来徹洲。
  • 菊水流 宗家は伊藤南光。
  • 光幻流 冨田光幻、松本。
  • 薩摩真正神刀流 迫田博州、鹿児島。
  • 薩摩神刀自念流 榎木麗洲。
  • 秀鳳流 総師範は小林秀鳳。
  • 橘流 小倉神竜。
  • 竹生流 岩村秋水。
  • 天心流 岸田天心、東京。天心館長。
  • 天都流 犬童松楓。
  • 南影流 宗家は西庄秀礼、神奈川。
  • 南宗流 大木正武斎。二世は大木南宗、豊島区。
  • 水府流 宗家は佐々木神風。
  • 明倫流 杉本尚隆。
  • 神道流 山口昌玲。
  • 美寿々吟剣詩舞道愛好会 会長は樋口敏治、松本。号は詩吟では龍鵬、剣舞では鈍刀。
  • 大和真刀流誠和館 館長は谷津田秀和、東京。
  • 神道武正流 宗家は村松幸龍、武蔵野市。
  • 維新流 宗家は関根剣泉、東京。
  • 岳城流詩吟・景山流詩舞 神国館景山会総本部理事長 菅沼芳山、神奈川。
  • 石心流剣清会 宗家は石崎剣清、横浜。
  • 紫舟流 宗家は小林紫舟、三浦郡葉山町。
  • 剣舞一刀流 宗家 松永刀雲、神奈川。
  • 峯國流剣詩舞道会 宗家 久保峯國、神奈川。
  • 親麗流照麗会 会長 鶴田照麗、町田市。
  • 青沙流 宗家 漆畑青沙、静岡。
  • 日乃本流剣舞道 宗家 梯剣麗門、長崎。
  • 鋒秋流 宗家 大塚鷹秋、福井。
  • 精心流剣詩舞道水友会 会長 青木剣心、広島。
  • 鉄心流剣詩舞道 二代目宗家 大本翠山、広島。
  • 桜諷流吟剣詩舞道会 会長 中尾桜諷、山口。
  • 誠章流誠風館 館長 金中誠京、山口。
  • 筑紫流日本吟道詩舞菊風会 会長 藤井仙寿、福岡。
  • 翡翠流詩舞扇葉会 会長 岡田扇葉、福岡。
  • 大和陽心流瑞城会 副宗家 椎野瑞扇、徳島。
  • 八千穂流剣詩舞道会 宗家 菊川八千穂、札幌。
  • 吟舞道西峰流 宗家 大橋西峰、栃木。
  • 菊秀流 宗家 菊池秀園、東京。
  • 誠紀流誠修館 館長 石井誠紀、東京。
  • 神心流尚道館総本部 家元 安倍秀風、京都。
  • 岳翠流吟剣詩舞道会 剣詩舞部長 福森岳瀛、北海道紋別。
  • 踊翠流 北海道。
  • 和翔流 北海道。
  • 神刀流 日比野雷風-日比野正明-日比野正晴
  • 神刀流木崎派
  • 大日本正義流 多田正義、大阪。
  • 青柳流
  • 日本神道流 山田刀華、愛知。
  • 神道一刀流 掛布篁華、愛知。
  • 神刀無念凱山流 鈴木凱山、栃木。
  • 神明鍛心流 永野鍛心、東京。
  • 北辰神桜流 篠田桜峰、愛知。
  • 北辰神明流 遠藤剣峰。
  • 天辰神容流 杉浦容楓。
  • 田宮流 妻木正麟。
  • 神刀神明流
  • 水府新刀流 斉田電光、茨城。
  • 神明無双流
  • 神武流
  • 神伝真正金房流 金房冠一郎。
  • 神伝真正早渕流 早淵鯉昇。
  • 神伝真正豊田流 豊田治(凛風)。
  • 神伝真正冠翔流 喜多冠翔。
  • 神伝真正一如流剣詩舞道 中町如洲。
  • 大日本水心流 田中霊凰 高知。
  • 弥生流
  • 水華流剣舞道
  • 水心黎明流 川原霊宗。
  • 水心弘道流剣詩舞道 林霊山。
  • 渋川流 田村天月、石川。
  • 無想流剣武術 高橋蘇峰、佐賀。
  • 真槍流剣武術 海沼南至。
  • 無想伝心碧洲流 宮沢碧洲、長野。
  • 静山流 榊原静山(帰逸)。
  • 菊水流 藤上南山、岡山。

脚注[編集]

  1. ^ 和漢名吟集. 日本劍舞道連盟本部. (昭和35年1月1日) 
  2. ^ 明治18年創流とする資料あり
  3. ^ 剣舞入門ー今に生きる”サムライ”の美ー. 青幻舎. (2020/03/10) 
  4. ^ ひとこと~今年は終戦六十周年~”. 2020年7月31日閲覧。
  5. ^ 平成25年(2013年)4月より、公益財団法人 日本吟剣詩舞振興会。

参考文献[編集]

1919年(明治43年)「國民百科全書」(尚文館)

昭和44年「現代邦楽名鑑 吟道編 第5編」(邦楽と舞踊社)

(公財)日本吟剣詩舞道振興会

関連項目[編集]