劉毓スウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

移動先: 案内検索
本来の表記は「劉毓崧」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。
劉毓崧

劉 毓崧(りゅう いくすう、Liu Yusong1818年 - 1867年)。字は伯山、号は松崖儒学者

江蘇省儀徴出身。儒学者劉文淇の子で、『春秋左氏伝』の研究を父より受け継いだ。幼いころより父に従って四方を旅していたが、1840年優貢生となった。後に曽国藩に招かれ、金陵書局の責任者となった。著作に『春秋左伝大義』、『周易』『尚書』『毛詩』『礼記』の『旧疏考正』それぞれ1巻、『経伝通義』4巻、『諸子通義』4巻、『王船山年譜』2巻、『通義堂筆記』16巻、『通義堂文集』16巻などがある。