劉継恩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
少主 劉継恩
北漢
第3代皇帝
王朝 北漢
在位期間 968年
姓・諱 劉継恩
諡号 少平皇帝
生年 不詳
没年 天会12年(968年
薛釗
世祖の娘
年号 天会 : 968年

劉 継恩(りゅう けいおん)は、十国北漢の第3代皇帝。後世の史家は少主少帝廃帝などと称している。

生涯[編集]

父の薛釗は士兵に過ぎなかったが、世祖劉旻の娘を娶って存在感を示した。劉旻の兄である劉知遠後漢の皇帝に即位した後、酒宴の席でその妻を傷つけたかどで自殺を命じられた。このとき継恩は幼少であったため連座を免れ、また叔父の睿宗劉鈞に嗣子がなかったことからその養子となった。

睿宗の代には太原尹に任じられたが政治資質に乏しく、睿宗は郭無為に対して劉継恩を「済世の才でない」と評価している。天会12年(968年)、睿宗が死去すると皇位を継承した。しかし実質的には郭無為が政権を掌握した状態が続いた。即位2か月後に酒宴の席で供奉官の侯霸栄に刺殺され、弟の劉継元(英武帝)が後を継いだ。

先代:
睿宗
北漢の第3代皇帝
968年
次代:
英武帝